臨死体験の探究~臨死体験における他者との遭遇に見られる真実性~
文責:佐藤大和(哲の光管理者)
橘隆志(立花隆)著『臨死体験』から約30年。「意識」とは何かという事を考える上で哲学的にも新たな視点をもたらす可能性があると考えられる臨死体験について探究してきた「哲の光」の管理者である筆者は、様々な臨死体験の報告から、その特徴や要素を析出し、これまでなされてきた解釈とその限界を改めて確認していきたいと考えた。そして、先日、『臨死体験の探究』(デザインエッグ社)なる書籍を出版した(https://x.com/TetsunoHikari/status/1870654559145857462、Amazonで2025年1月15日発売予定)が、その中でも触れている通り、臨死体験には、諸々の興味深い要素がある。
そもそも、臨死体験とは、英語ではNear-death experience(略称はNDE)と言われ、『広辞苑』などの辞書によれば、「死に瀕してあの世とこの世との境をさまよう体験」とある。文字通りに言えば、事故や病気などで死に瀕した人が「死に臨んでの体験」であり、臨床的に死を宣告された、またはそれに近い状態にあった人が、蘇生した後に語るその間の体験のことであるとされ、しばしば不思議なイメージや肉体の五感を超えた意識の変容状態が含まれ、体験後に人格の変容をもたらすという例もある。
臨死体験という言葉自体がある程度知られるようになった今日では、少なくとも臨死体験が本当にあるのかといった初歩的な疑問を抱く人はほとんどいなくなったと言えるが、その解釈としては「死に瀕した脳が作り出す幻覚だ」「死にかけた脳が発する最後の火花の副産物」とみなすことが一般的なものになっていると言って良い。しかし、病理学や生理学の枠内で妥当な説明を与えることが困難であったり、神経生理学の常識を超えていたりする事例が一定数存在するということも否定することのできない事実である。ここでは、そのようなことに関連して『臨死体験の探究』の中でも触れている諸要素のうち、臨死体験における他者との遭遇に見られる真実性について紹介してみたいと思う。
臨死体験中に遭遇した他者に、まだ死期が訪れていないから、物理的肉体に戻るべきだと告げられたという話や、自分の側に霊的生命がいるということに気付いたという話はしばしば耳にすることがある。筆者が、交通事故に遭って救急車で体外離脱体験をしたという人から聞いた話でも、天使に手を引かれ三途の川を渡ろうとした時に、曾祖父と祖父が二人並んでいて「此方に来るな!お前はまだ早い!」と大声で叫んでいたというものがあった。臨死体験中に神やキリストの存在を感じたと言う人もいれば、既に亡くなっていた友人や親族と出会ったと言う人や死者に手招きされたと報告する人もいる。さらに、過去の知人や現在の知人、未来に知り合うことになる人までがそこにいたという報告や、特に可愛がっていたが死んでしまったペットたちに迎えられたという報告もあり、人々が輝いていると語る人もいる。
この点について、先に述べた通り、臨死体験を「死に瀕した脳が作り出す幻覚だ」とする立場からでは、臨死体験での他者との出会いも人間には死者と再会したいという願望があることなどから脳が作り出したイメージに過ぎないと考えるであろうし、脳科学においては臨死体験者が亡くなった身内やイエス・キリストなどを見るのも海馬や偏桃体の変化によるものではないかとする見方もある。実際、それらが、脳が生み出したイメージの一種に過ぎないのではないかと思わせる事例もないわけではない。例えば、臨死体験研究の先駆者であり、アメリカの精神科医、心理学者であったレイモンド・ムーディが蒐集した臨死体験としてアメリカのロック歌手、ミュージシャンのエルヴィス・プレスリーが現れた体験があったり、近年の日本においても明治大学意識情報学研究所の岩崎美香が調査した事例の中にも、暗いトンネルを歩いていくとその先に光が見えて、当時大好きだったバンドのメンバーに手招きされて、そこに近付いていくと目が覚めたという事例もあったりするのである。また、1988年に急性膵炎で倒れ、2箇月間、生死の境をさまよった中原保は臨死体験をした際、10年前に亡くなった祖母が部屋に飾ってあった額に入った遺影とまったく同じ柔和な表情のまま出てきて、「保、こっちに来たらダメだ!」「ひきかえしなさーい!」「まだ早すぎる、戻りなさい!」「戻るんだ」と言われたという。ただ、写真そのままのイメージで祖母が口を動かして喋っているのを見たわけではなかったため、部屋に飾っていたものをいつも見ていたから、それが夢の中に出てきたのではないかと思うと考えているようである。
しかし、橘隆志も写真そのままの動かない映像が出てきたという話は、他からは出てこなかったと言うし、このようなイメージの一種に過ぎないと言える事例はそれほど多くはない。また、橘の研究などでは臨死体験において、出会った人物が生きている人であったという話も一定数あったとしている一方で、アメリカの精神科医であるエリザベス・キューブラー=ロスは実際に生死をさまよった子どものうち、親が既に先立っている者以外は親を見ることはなく、誰に会えるかを決める要因はたとえ一分でも先に亡くなっている人だと言い、自分の愛する人を想像するという単なる願望の投影では説明できないという。キューブラー=ロスの話についてはそれを裏付ける具体的な数値は提示されていなかったが、2001年に行われたヴァージニア大学のエミリー・ウィリアムズ・ケリーの研究でも、臨死体験者が遭遇した既に亡くなっている129人の他者のうち、68人が男性、61人が女性で、そのほとんどが親族で、友人や知人は6人だけであったということや、生きている人を見たと報告した臨死体験者は、研究に参加した274人のうち11人だけであったということが明らかになっている 。また、アメリカの放射線医であるジェフリー・ロングの研究でも臨死体験中に出会った人が、体験の時点で存命かどうかを記述していた84人のうち、体験時に間違いなく生きていたと答えた人は、4パーセントに当たる僅か3人であったという。通常の夢や幻覚で見るのは、ほとんどが直近の記憶に残っている存命中の人であるのに対し、臨死体験では死んでしまった身内との出会いが多いという点も、臨死体験における他者との遭遇を夢や幻覚と同様のイメージの一種としては説明し難い点の一つと言えそうである。
さらに、驚くべき例として、臨死体験時点で記憶になく肉体の五感では知り得ない他者に関することを臨死体験中に知り、蘇生してからその真実性が確かめられているという事例の存在がある。例えば、キューブラー=ロスは、ある12歳の子どもが臨死体験で、素敵な愛や光、そして彼女の兄がそこにいて、大きな優しさや、愛、共感で彼女を包んでくれたという話を紹介している 。彼女はこの体験を父親に打ち明けた際、「でも、一つだけ問題があるわ。私、お兄ちゃんなんていないのに」と言うと、父親は泣き出して、実は兄がいたのだと告白したという。彼女が生まれる3箇月前に亡くなっていたが、そのことを彼女には伝えられていなかったのである。そのような報告は、21世紀以降も、ある程度蓄積されてきていると言え、ここでは、そのいくつかを紹介しておきたい。
エミリー・ウィリアムズ・ケリーが紹介している事例
2001年にヴァージニア大学で精神医学を専攻するエミリー・ウィリアムズ・ケリーが行った臨死体験中に出会う他者に関する研究でも、将来の妻と出会う数箇月前に亡くなった将来の義父と臨死体験中に出会い、後に写真で認識したという事例が一件あったことを報告している。
ピム・ヴァン・ロンメルが紹介している事例
オランダの心臓専門医であったピム・ヴァン・ロンメルは、婚外子で実の父親を知らなかった人が心停止の際に臨死体験をし、祖父と知らない男性を目にし、蘇生して10年後に母親から実の父親が第二次世界大戦で殺害されたということを打ち明けられ、写真を見せられた時に、臨死体験で出会った知らない男性が実の父親であると分かったという事例を紹介している。
サム・パーニアが紹介しているアンドリューの事例
英国の蘇生医療の専門家であるサム・パーニアは、3歳半の時に心臓の病気で入院し開心手術を受けたアンドリューという少年の話を紹介している 。アンドリューは女の人に迎えられ二人で明るい場所に飛んで行ったと語っており、臨死体験後に亡くなった祖母が母と同じくらいの年齢の頃の写真を見ていると、アンドリューは臨死体験で会った女の人は祖母だったと言ったという。
ジェフリー・ロングが紹介しているサンドラの事例
アメリカの放射線医であるジェフリー・ロングは、脳炎に罹り意識を失ったサンドラという5歳の女子の話を紹介している 。サンドラは意識を失ったとき、隣人で家族の友人である年配の男性に「今すぐ帰りなさい」と言われ、体外離脱をしていた状態から自分の身体に戻ったという。そのことを家族に話すと、サンドラが入院した次の日、その年配の男性が心臓発作で亡くなっていたことを両親から初めて告げられたという。また、この時、同時にサンドラは彼女が生まれる前に死んだ、存在すら知らなかった姉にも出会ったと言い、意識を取り戻して数日後、その少女の絵を描き、絵について両親に説明すると、両親は顔面蒼白になって部屋を出ていき、暫くして戻ってくると、彼女が生まれる前に交通事故で死んだ姉のことを話したというのである。
エベン・アレグザンダーの事例
近年、有名になったアメリカの脳神経外科医であるエベン・アレグザンダーの臨死体験がある。アレグザンダーは、唯物論を信奉する脳神経外科医だったこともあり、最初は死後の世界の存在を否定していた人物だったが、細菌性髄膜炎に罹り、大脳皮質の機能を完全に失った際に臨死体験をしている。アレグザンダーはその際、「目が眩むような」や「現実」といった言葉では表現しきれないような世界で、隣に深いブルーの目をした頬骨の高い、美しい女性がいたと述べており、アレグザンダーもその女性も、生き生きとした絶妙な色に彩られ蝶の羽根に乗っていた。そして、その女性から言葉を介さずに「あなたは永遠に、深く愛されています」「恐れることは何もありません」「あなたのすることには、ひとつも間違いはありません」といったメッセージを伝えられた。アレグザンダーは、生後間もなく養子に出されており妹がいたことを全く知らなかったが、臨死体験から蘇生し退院してから4箇月後に実の妹ベッツィの写真が送られてきた。その翌日、アレグザンダーはキューブラー=ロスの著書にある前出の12歳の少女の話を読んでいると、写真の妹が臨死体験中に出会った女性であったことに気付いたという。直ぐに気づかなかったのは写真の妹は蝶の羽に乗っていた時の輝く光に包まれていなかったからだというが、写真の妹も栗色の長い髪に深いブルーの目をしていたようである。
コルトン・バーポの事例
アメリカネブラスカ州で暮らしていたコルトン・バーポが2003年、3歳の時に虫垂炎で病院に緊急搬送されて、2回の手術で生死の境をさまよった際に天国を旅してきた時の話もある。この話はアメリカで広く読まれ、映画化もされているが、コルトンが臨死体験で出会ったという他者について、彼の知りえない情報も含まれていた。その例として、コルトンは、自分が生まれる前の1998年に流産して出生することなく終わった姉がいたことを聞かされていなかったが、臨死体験で姉と出会い、姉の名前は決まってなかったことなどを知ったと語っている。また、彼の出生の前の1975年に死去した祖父の詳細なども語ったという。そして、コルトンの父は牧師であったこともあり、コルトンの臨死体験を綴った図書はキリスト教を主題としていると言えるが、コルトンが臨死体験で出会ったというイエスについても本人の知るはずない聖書の記述などに基づいた姿であったことを語っている。
木内鶴彦の事例
日本の彗星探索家の木内鶴彦も、臨死体験中に喪服を着た中年の女性に出会い、「鶴彦、お前は何をしに来たんだ」と聞かれたという。そして、臨死体験から蘇生した後に両親らが机の上に古い写真を広げ、昔話をしていた時、机の上の写真に目をやると臨死体験中に出会った喪服を着た中年の女性が写っていて、その女性は、木内の伯母に当たる人で、木内が生まれて間もなく若くして他界しているため、会ったこともそれまで写真を見たこともなかったようである。
このように、臨死体験時点で記憶になく肉体の五感では知り得ない他者に関することを臨死体験中に知り、蘇生してからその真実性が確かめられているという事例は一定数報告されていると言える。この点について、実在しない世界(夢や幻覚、空想など)から真実を知ることはできないと考えるなら、その全てを単なる作話や思い込みとして片付けることも難しいように思える。そして、詳しくは『臨死体験の探究』の中でも触れているが、臨死体験には他者との出会いの他、意識が肉体から遊離するような感覚を伴う体外離脱体験もしばしば報告され、体外離脱中に見た光景が客観的事実と一致することが後から確かめられた例も多く、体外離脱体験は臨死体験の要素の中でも、客観性、測定、実証などといった基準に当てはめて証言の正確性を確認することが、少なくとも一定の水準で可能な出来事であると言えることは重要であろう。
これらのことから、『臨死体験の探究』においては、脳還元主義的な立場からの説明が当てはまらない部分を無視したり否定したりして、臨死体験の真相を断定するのではなく、どのような世界観の中に人間のそのような意識体験を位置付けるべきかを考えていきたい。
参考文献
Emily Williams Kelly (2001). Near-death experiences with reports of meeting deceased people, Death Studies, 25(3)
P.M.H. Atwater & the International Association for Near-Death Studies (2007). The big book of near-death experiences : the ultimate guide to the NDE and its aftereffects, Rainbow Ridge Publishing
Pim van Lommel (2010). Consciouness beyond life : the science of the near-death experience, HarperOne
レイモンド・A・ムーディ・Jr著『エルヴィスアフター・ライフ』佐藤重美 訳 中央アート出版社 1998年
サム・パーニア著『科学は臨死体験をどこまで説明できるか』小沢元彦 訳 三交社 2006年
サム・パーニア / ジョシュ・ヤング著『人はいかにして蘇るようになったのか 蘇生科学がもたらす新しい世界』(浅田仁子 訳 春秋社 2015年
トッド・バーポ / リン・ヴィンセント著『天国は、ほんとうにある』(阿蘇品友里 訳 青志社 2011年
エベン・アレグザンダー著『プルーフ・オブ・ヘブン』白川貴子 訳 早川書房 2013年
ジェフリー・ロング / ポール・ペリー著『臨死体験9つの証拠』河村めぐみ 訳 ブックマン社 2014年
中原保著『わたしの臨死体験記』文藝春秋 1993年
木内鶴彦著『生き方は星空が教えてくれる』サンマーク出版 2003年
岩崎美香著「臨死体験による一人称の死生観の変容 日本人の臨死体験事例から」『トランスパーソナル心理学 / 精神医学』13巻1号(日本トランスパーソナル心理学 / 精神医学会 2013年