再びやってきた。東京オリンピック1年前。

2020年7月23日。
今日は、いよいよ来年に迫った東京オリンピックの開会式のちょうど1年前である。

まさか人生の中で2回こういう台詞を言うことになるとは夢にも思わなかった。

今から1年前、2019年7月24日に、俺はFBに以下のようなことを書いた。

「2020年7月24日に打ち上がるはずの巨大な花火を、単なる打ち上げ花火にはしない。
東京が、日本が、故郷が。
スポーツ界が、社会が、地域が。
新しいうねりを上げる狼煙にしてやれ。」

結局、明日打ち上がるはずだった巨大な花火は、1年延期になってしまった。
しかも、最近の報道を見ていると、その打ち上げさえ無理なのではとか、もう少し延期したらとか、花火の規模を小さくしたらとか、色々な言説が飛び交っている。

私自身は、様々な縁に恵まれ、2017年に東京の地でとある自治体の職員として奉職することになり、奉職と同時にこの巨大な花火の打ち上げに携わる団体に出向することとなった。
出向以来、資源管理を中心とした持続可能性に関する計画策定に携わったり、大会全体に係る計画や文書を取りまとめたり、会議運営に携わるなどの業務に携わらされてもらい、本番時は、現場最前線というよりは、いわばバックオフィスに近い所でこの巨大な花火の打ち上げに携わる予定だった。

打ち上げの1年延期が決まった後は、その事の重みに衝撃を受けながらも、再度決まった打ち上げが成功するための業務に奔走してきた。
しかし、そもそもこの打ち上げ延期になった要因であるちょっと厄介なウイルスとそれがもたらす感染症対策に各自治体は追われているわけであり、君もちょいとそちらの業務も手伝ってくれ、ということとなった。と言う訳で、打ち上げ準備業務の方は2カ月間ほどお休みをし、期限付き移籍をしているわけである。

誰が想像したよこんな未来。
誰が想像できたよこんな未来。
今頃は打ち上げの直前準備に奔走し、家には寝に帰るだけの生活なんだろうなー、と思っていたよ。
まさか、一時的とはいえ打ち上げとは関係ない業務に携わり、2020年7月23日という日に家でゴロゴロしてるとは思わなかったよ。

未来は変えられるとよく言う。
しかし、自らの力とは全く関係なく、予想もできない方向に大きく変わってしまうことだっていくらでもある。
それをまさに目の当たりにした気分である。

じゃあ、どうせこの花火だってどうなるか分からない?
それを言われたらそうかもしれない。そりゃ、1年後の事は誰にも分からないって、丁度僕等はそれを身をもって学んだところだ。

じゃあ、そんな誰にも分からない未来のために頑張ることはない?

まあ、そういう考え方もあるかもしれないが、それでも俺は頑張ってみたいのである。
結末は分からなくとも、そこには何か意味があるかもしれないのだから。

まずは、目の前のちょっと厄介なウイルス氏に少しおとなしくなっていただくために、期限付き移籍先での業務に励みたい。君の正体がもっと分かってきたら話は別かもだが、今はもう少しおとなしくしてもらう必要がありそうなんだよ。
そして、期限付き移籍から復帰したら、2021年7月23日に花火を打ち上げられるよう、全力で奔走したい。

2021年7月23日にどんな花火が打ちあがるか、今は想像がつかない。
でも、それは、決して単なる打ち上げ花火にはならないだろう。

東京に、日本に、地域に、そして世界に。
希望を見せる、花火にしたい。

きっと、美しい花火になるはずだ。