コミュニケーションコスト
自分は人付き合いが好きです.しかし,割とすぐに疲れてしまうので,どういう人間となら付き合えて,逆にどんな人間だと付き合えないのか,考える機会が必要だと考えていました.今までもぼんやりと考えていたのですが,ちゃんと言語化してロジックが通じる形に分類すると思考の整理に良いのではないかと思ったので今回記事にしてみました.
分かり合う(コミュニケーション)を定義する
まずコミュニケーションの定義を行いましょう.Wikipediaの冒頭には下記のような記述があります.
辞典類ではまず、人間の間で行われる知覚・感情・思考の伝達、などといった簡素な定義文が掲載されている。
ただし、一般に「コミュニケーション」というのは、情報の伝達だけが起きれば充分に成立したとは見なされておらず、人間と人間の間で、《意志の疎通》が行われたり、《心や気持ちの通い合い》が行われたり、《互いに理解し合う》ことが起きたりして、はじめてコミュニケーションが成立した、といった説明を補っているものもある。 Wikipedia"コミュニケーション"
一行目は理性的な文章に見えます.
しかし,実際に言いたいことは2行目なんだけど,「意思の疎通」とか「互いに理解し合う」といったことを説明するときに「疎通された状態」を定義できないことから,「伝達」=「伝えた」とすることで説明を断念しているのではないかとも感じられなくもないですね.(感想)
そうすると,「疎通された状態」を定義できないと話が進まなくなるので,最低限これについて定義した上で話したほうが良いでしょう.
岡本(2013)ではコミュニケーションを下のように図示しています.
これによれば,コミュニケーションは「産出された言語から共通の基盤をもとに発生した自体を推論すること」と定義できているように見受けられます.そこから,意思が疎通された状態は「共通の基盤となる情報をベースにして相手が推論した情報がこちらの提供した情報と齟齬がない状態」であると定義できると思います.(私はこれをベースにここから書いていきます.)
なお,疎通された状態とは齟齬なく伝わっていることのみを保証しているので,これに対する見解や感情,その後の行動に対する同意は含まれていません.つまり,「コミュニケーションが取れた状態」は「相手の意見を理解できた」状態でしかなく,わかりあえたからと言って同じ道を歩むことにはならないということです.
例えば,AとBがケーキ屋に行ってAがショートケーキを勧めたにも関わらず,Bがチョコケーキを注文したとします.このときBがショートケーキを勧められた事実を理解しているならば,コミュニケーションは成立しているわけです.
きっとAは「ショートケーキを食べほてしい」という意図があるのでしょうが,意図が伝わった時点でコミュニケーションとしては成立,そこから食べるという行為を行うかどうかは受け手が権利を持つことになります.
もし,仮にAがBにショートケーキを食べさせるならば,交渉か強要によって実施する必要があります.
しかし、意図的に行われるコミュニケーションにおいて、目的を持たないということは稀でしょう.例えば,「分かり合う」という文言は単純に取れば先のコミュニケーションの成立によって満足される情報交換でしかありませんが,その裏には何かしらの意思決定や同意を得ることが目的にあると思われます.ここで目的と言う言葉を新たに使いました.先の意図と同じものに見えるかもしれませんが,コミュニケーションにおいて目的を意図的に隠して相手をコントロールする場合も存在することから必ずしも同じではないでしょう.
ただし,今回は簡単のために目的≒意図として扱うことにします.すなわち,発話者は自己の利害に関わらず自分の意図を明確にしてコミュニケーションを取ろうとしている事になります.一般社会ではかなり稀有な人間ですね.
コミュニケーションコストを定義する
コミュニケーションコストは近年になって言われるようになった用語で,厳密な定義が辞書に載っているわけではありません.
なので,ここでは「対象とする人間とコミュニケーション(CC)を取るにあたって必要になる,時間,労力,精神的損耗」を指したものとしましょう.仮に式で置くならこんな感じでしょうか.
CC= 時間×(労力+精神的損耗)/ 共通基盤の重複度
※分子側の数値はすべて>0とする.
※共通基盤の重複度は 0~1 を取る.
ミソは共通基盤の重複度で,これが小さいと理解度の確認に大きな労力が必要となりCCが爆増する原因になります.
この式は1度のコミュニケーションにおけるCCになるので,これを拡張して人へ適応してみます.対人コミュニケーションコスト(HCC)とします.
HCC = CC / 距離
※距離感は 0~∞を取ります.
ここで,距離が自身から見て適切な場合を1,近ければ≦1,遠ければ大きく値を取ります.すなわち無理くり近づいてくる人間は0に近づくことでHCCが増大し,逆に遠ざかる場合はHCCが低下します.
HCCの式において,主体的に対応可能なパラメータは時間と距離,共通基盤の重複度になります.HCCの減少においてネガティブな方法は時間≒0に近づけていくか,距離を無限に離していくことになります.逆にポジティブな方法であれば,共通基盤の重複度を上げていく方法になりますが,それが成立するためには一時的に多くのCCを割くことと不確定である相手を動かしていく必要性があるため,必然的に難易度は高くなります.
HCCを元に人間を分類する
さて,これまでのHCCを元に図のように人間を分類してみました.
まずコミュニケーションが取れるか否かで分類します.
コミュニケーションが取れない
”コミュニケーションが取れる”は最低限です.なぜか人類社会には意図的に都合の悪い発言を無視する人間が排除されずに残っていたりしますが,こういった手合の人外は理性的な社会に生きる資格はないので無視するべきです.今日日ネズミですら言語コミュニケーションをしますし,ハチも動作によって意思疎通を行っています.そんな世界に会話ができない人類などバクテリア程度と同義です.HCCで論ずるならば,会話ができないということは共通の基盤がほぼ存在しないということと同義であり,HCCが無限大に発散します.時間と労力をドブに捨てることになりますから早急に離れるべきです.
コミュニケーションが取れる
ではコミュニケーションができる場合はすべての人間と良い関係がきづけるかといえば,そうでもありません.ここではとりあえずHCC分母側の共通基盤の重複度と距離に応じた条件分けを行ってみます.
①重複度が高い・距離が自由に設定できる
一番ラクな相手ですね.お互いの疲れない距離感を探して付き合っていけば安定した関係を気づくことができます.必要に応じて距離を作ればHCCが下がり楽な人間関係を築く事ができます.
例:大人の人間関係,安定したコミュニティー,趣味のサークル
②重複度が高い・距離が自由に設定できない
実は割と起こりうるパターンです.パーソナルスペースに踏み込まれてしまうことでバランスが取れずに幸せ疲れしていくパターン.距離が1を切って一気にHCCが上がるというパターンです.感情では理解されないことが多いので,付き合い方のルールをお互いに決めると気が楽になるかもしれません.
例:中学生の恋愛,教えたがりおじさん
③重複度が低く・距離が自由に設定できる
重複度が低いことから良い方向に持っていこうにもCCが大きく,このままの関係維持は非常に疲れる相手です.距離をこちらが自由にできるなら,適切な距離を探すことでコミュニケーションが取れる人間になります.ただしこういった人間は④に向かっていく傾向があるため,単純な関係維持はかなり難しい部分もあります.
例:老いた親,OB
④重複度が低く・距離が設定できない
CCが高いくせに向こうから近づいてくるタイプなので,非常に大きなコミュニケーションコストの提供を強いられる相手です.
しかもこういうタイプの人間は,相手がコストを払って当然と思っていがちなのでたちが悪い.挙げ句,考え方や価値観は重複していると思いこんでいていう事聞かないと憤慨する.先のショートケーキの例であれば,食べないと説教してくるタイプの人間.
井一に逃げるべき相手ですが,その多くが自分から距離が取れない相手であることが多く,しかも自分側が捨てられない理由を考えていることで事態が悪化している場合があります.捨てちゃえばいいのにね.往々にしてその人の周りにあるプラスな関係や社会的な安定を切りたくないせいで,例外的に存在する高HCCな人間を切り捨てられないジレンマに陥る場合が多いですね.
例:(いわゆる)毒親,あわない上司,苦手な先生やクラスメート
まとめ
実際何が正解かはわかりませんが,私はHCCの考え方をおいて合わない人間と距離をとっていくことでかなり気楽に人間関係を構成できるようになりました.”人”が苦手と思わず,”人”の構成要素や関係性に視点を持っていくことでより低コストかつ幸せな人間関係が構築できるのではないかと思っています.もう一歩踏み込むならば,HCCの考え方では調整できるパラメータが複数あるので,いくつかのアプローチを選んで関係性を改善することもできるかもしれません.
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