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コロナ禍の広報、ポイントは担当者の人格化とオンラインサロン?

Web親睦飲み会をやってみて コロナ下での集客と距離感

私は、あるNPOの広報を担当している。
主にやっていることは下記のようなこと。
・HPの更新
・Twitterの更新
・NPO主催のロボコン運営の一部

HPやTwitterはコロナに関係なく運営できている(ようにみえる)けど、
ロボコンの運営はそうは行かない。

特に私が担当している大会では専用のかなり広い環境が必要になる。
よって、Web開催という形に無理やりシフトする事になってしまった。

正直、会場に人が集まれない中でやるロボコンなんて「継続されている」という事実以外に意味のないものだと思っていた。
もちろん「継続」が意味のないものだとなんて思ってはいない。
「我々に諦める意志はなく、どのようなことであれ参加者に機会を提供する」という立場表明は本当に大切なことで、
Web大会への参加や、いつか開催されるであろう現地開催への布石になるということはわかっている。

だから、現地開催で何を意図して運営してきたのかを考え直して、Web大会への置き換えを行おうとした。
運営の意味を考えたとき、表面的には、大会の運営は以下の1点で語られがちになる。
・イベントとしてのリアルタイム性=同時にロボットを評価される平等性
というか運営している人でこれだけ見ている人は多い。

だから、どうにかして場を用意することさえできれば大会として実施できると思ってしまう。
とにかくやる。どのようなクオリティであれ、実施さえされてしまえば、平等な評価をすれば許されるというわけだ。
そしたらその先に語られることは「どうやるか」「何をやるか」をメインに語ってしまい「誰のために実施したか」という本質が消えてしまう。


じゃあ実際に参加者たちが価値を見出しているものはなにかと考えると、私は下のようなものではないかと思っている。
(これは私が参加者だったときのイメージをもとにしている)
・他者のスキルを盗む
・情報を交換する
・コミュニティ形成
・抱えている問題を解決する(参加者、運営者への質問の場)

こういう話は実はアンケートでも判断がしにくい。
そもそも、コミュニティ形成は大会側で評価軸に入っていないと、運営も参加者も思いがちだ。
更に、多くのアンケートではこれが「大会の満足度」に内包されてしまう上、当事者が感じている効果と実際の効果に乖離がある場合もある。

しかも、いつだって学びは遅れてやってくる。
大体、その場の会話や観察で「気づきを得た」と言えるのはごく一部で、私を含めた大部分の人間は次に何かをやろうと思ったときに初めて思い出したり、無意識に利用したりするからだ。

だから、私はアンケートや投票のようなシステムを大会内に入れ込むことで、参加者・運営者・見学者の関係を形成することを志向してみた。
(詳細は割愛する。論文化の予定があるので)
実施してみて理解できたポイントは、相互のコミュニケーションを得て、三者がフィードバックを得ることでお互いに価値のある時間が形成できているということだ。
それについて、多少の手応えと挫折を覚えながら、20年度のロボコンは無事に終わることができた。


でもロボコンの運営を終えて知見を得ることで、もう一つの問題に目を向けることになった。
Twittterアカウントの運営だ。

Twitterはお互いに絡むことができないわけではないが、運営しているアカウントは情報を発信するものであるから、多くのフォロワーは発言するわけではない。
これにコミュニケーションの要素を加えていければ、より価値の高い広報活動となると思われた。
かといって、一人一人にコミュニケーションを取るのは限界があるし、それで形成される関係はスター型の組織構成になってしまう。

ただ情報を投げるだけであればこれも良いのかもしれないが、コミュニティの形成には少し弱い。
できることならば、その周りの人間がつながるようなシステムを構成することで、強固なグループにして行きたかった。

似たシステムを考えたときに、ネットサロン系がそれに当たるのかもしれないと思った。
顔が見えるようにしていけば、情報の発信者以外のコネクションを組みやすくなる。
ただ、そこまで閉鎖的にしてしまえば、今度はそこに入ることのハードルを上げてしまうことが予想できた。
そこで、Twitterスペースを使ってNPOメンバーの飲み会を放送することにした。

飲み会をラジオ的に放送して、ちょっとした失敗談を使って楽しんで聞けるようにする。
また、質問をタグつきツイートで受け入れることで、質問の内容が辿れるようにした。
これで、ある程度は興味の深度が視覚化できるし、考えが近い人間を探してフォローすることができる。

じゃあ実際にやってみるとどうかといてば、
全体のフォロワーの中から、接続してくれるメンバーは5%。
広報の面から見ればかなり厳しい。しかし、飲み会に参加することを契機にフォローを外されることもないから、まぁなんとかなっているのだろう。
だから、次段階として2次会を用意した。更にコアな人間を集めて、参加者が自由に発言できるようにする。
そうすると、より生の声も聞けるし繋がりが構成できるようになってくることを期待している。(気がする。)
実際は声が大きな人間がずっと喋ってしまうこともあるから、バランス取りが難しい。
場のコントロールが失敗すると参加者との断絶が起こるので当初の目的が果たせなくなる恐れがある。

ただ、ある程度濃度の段階付がうまく行ってくれば、1次会の濃度を下げることで間口を広くすることができるかもしれない。
濃度の調整で、参加や交流を促せるようになるのではないかと期待している。(実際は願望かもしれない)

ある作品で、「人は思想ではなくそれを体現する人間に従う。人は革命ではなく革命家のために戦っている」という話を聞いたが、
広報や組織もそうなのではないかと思っている。

広報であれば企業や組織、もしくはフロントの人間を、プレゼンテーションの人格にすることで人を集めやすくすることができると思う。
CMに殆どかならず人が映るのだって、そこに人格を見るからだろう。(確かこれは心理実験もあったような気もする)

学生時代に見ていた大学のラボとかもそういう傾向があるように感じる。
多くの学生がテーマにあこがれてラボを選び、上にいるボスやポスドクを嫌って出ていく。
これも結局、思想に憧れて入っても思想を体現する人材に輝きがないということだろう。
老舗の2代目3代目は大変だろうな。。。

脱線した。

ひとまずコロナ下でのイベントや広報において重要な点として「つながっている感」は大切だろう。
今までだってあったわけではないだろうが、外とのつながりが隔絶されればされるほど、そのバリューは増していくのだから。
サブスクサービス利用者間で使えるSNSとかあると面白そうだよなぁ。
もう少し運営して知見が集まってきたら、いつかこの話の結果をお話できれば良いなと思う。

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