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山を見て感じること

山頂にたどり着き、休憩所のベンチに腰を下ろしてぼーっと山を眺める。
しばらくしてゴォーという音が耳を貫き
少し遅れて目の前の山の木々が揺らめき
しばらくするとピタッと止まった。
眼前には綺麗な紅葉樹林の山々が壮大に広がる。
ただ眺めていると山々として見てしまうが
何千本、何万本、何十万本の木が生えていて
よく見ると遠くから見ても分かるほどに
木それぞれに微妙な違いがある。

木の色
木の大きさ
木の角度

当然だが近くで見たらもっと違いがあるのだろう。
ただ、近くで見るから気づく事もあれば
遠くから見るからこそ気づく事もある。

ハイキングの途中にはわざわざ
この木とこの木が違うとは思わない。
木は木として、木を一括りにして見ている。
実際は虫がついている木もあれば、蜜を垂らしている
木があったりとそれぞれが違い特徴がある。

山は風が吹くと木が揺らめく程度で
大抵は静止して見える。
しかし、実際は生える木は大きくなり葉を変えて常に変わり続けている。
人はそれほど変化に鈍感なのかもしれない。
特に、毎日見ていると変化には気付きにくいが、たまに見ると違いがよく分かる。

紅葉や桜の季節
山の色が変わり始めるとき
人々はようやく興味を示す。

なぜ紅葉や桜を綺麗と感じるのか。

普段中々みられない景色へと変わるから綺麗だと感じるのか。
では逆に桜や紅葉が当たり前となり
緑色に染まった山が中々みられない景色だとしたら
人々は綺麗だと言うのだろうか。

山を見たことすら無い人であれば
季節関係なく山を見るだけで感動を覚える事だろう。

そんな景色を一人占め出来るのだ。

この壮大な山の景色を高額なお金を出さないと
見れない世界だとする。

一部の人にしか見れない光景にしてしまうと
恐らく一生に一度は見たい景色へと変わる。

山を見るとき人は見慣れた物には目はいかない。

山を見るときすぐに目がいくのは、山頂に建てられた
鉄塔や城などの見慣れない物が目に止まり記憶に残る。

しかし、自然が長年をかけて作りだした壮大な光景は
見慣れているだけで
もっと素晴らしいものなのかもしれない。

自然と心を調和させて
広く狭く、深く浅く、山の物語を想像しながら
ぼーっと眺めてみる

すると、新しい発見があり、気づきがある。

山を眺める時間もまた贅沢なものだ。






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