沢木耕太郎にHaveを教えた人
奈義町現代美術館の「うつろひ」はステンレスワイヤーが自由な曲線を描く不思議な彫刻で、光や時間によって印象が変わり1日中でも眺めていられる。実際には腰掛けるのに粗末なベンチしかないので、座り心地のよい贅沢なソファに沈み込んで本を読んだり音楽を聞いたりしながら、目の外にこの彫刻を感じてみたいと思っていた。
「森の芸術祭」にて、この美術館で坂本龍一&高谷史郎のインスタレーションがあると知って喜び勇んで行ってみると、まさに「うつろひ」のある浅い池のスペースに巨大なモニターが設置され、滝のような大量の水が流れ続けている中に能管の鋭い音色が響き渡っていた。妄想していた空間の出現!あとは贅沢ソファの設置だけです。
そしてほんと私って無知なのだ、制作者の宮脇愛子氏はこの美術館を造った磯崎新の奥さんだったということを初めて知った。そしてそして、それなら、もしかしたらあの人ではないかと検索してみたら、やはりまだ若かった沢木耕太郎初めての海外旅行で、haveの使い方をさりげなく教えた私の憧れの女性アーティストだったのだ。諦めていた落し物を見つけた幸せな瞬間!
あのエッセイは随分昔に読んだのだけど、強く心に残って時々思い出す。彼女はどんなものを作る人だったのだろうと気になっていた。でもタイトルとか何処で読んだとか忘れてしまったので、原文を探せなかった幻のエッセイです。検索で見つけたのは別のエッセイで、忘れないために記録しておく。『銀河を渡る』冒頭「ペルノーの一滴」
1962年パリの秋の夕暮れ、1972年ハワイの春の宵、1992年バルセロナのオリンピック会場の「うつろひ」と続く、このわずか3ページの短いエッセイも長く心に残るだろう。
しかし沢木耕太郎は厄介な人だ。彼の書くエッセイは短かく簡潔なので、するすると読んでしまう。でも読み終わったら次のも読みたくなって、気がついたら長い時間読み耽ってしまう。宮脇愛子の「うつろひ」と同じく《永遠と刹那を抱え込んでいる》のだろう。
おまけ
一番上の写真は奈義町現代美術館で一番好きな「月の部屋」です。この部屋では驚くほど音が響き、私は誰もいない時間帯に歩いたり踊ったりして楽しみます。
お向かいの屋内ゲートボール場の展示も素敵だった。天井から反対向きの針葉樹がぶら下がり下の水面に映っているのだ。窓の外はゲートボール場だから不思議さが倍増する。
その前に、この小さな町に屋内ゲートボール場があることが素敵じゃないか?私は雪国の暮らしはよく知らないけれど、降る雪を眺めながらゲートボールやるのは素敵な暮らしだと思う。