私は、人に攻められたり信頼を失うことに極端に恐れている気がします。その恐れは、私の周りから人がいなくなるのではないかと無意識に思ってるんじゃないかなぁと最近は思います。また、「謝ったら許してくれる」「謝ると素直だと思ってもらい、高評価になる」といったような甘い考えも働いているように思います。 こう分析してみると、「すぐあやまらないで」とよく周りの人に言われてきた。これまでは、あまり重く捉えず、「別にいいじゃん!」と思ったり、「この人の前ではあまり『ごめん!』と言わないで
この記事はあくまでも個人的な見解に過ぎず、賛否両論があると思いますし、「深読みし過ぎだ!」と言われたらそれで終わりです。しかし、私の最近の違和感の一つでもあるので、綴らせてください。 私は、『学校では教えてくれない〇〇』というフレーズにすごくもやもやしています。その理由として、以下のものが挙げられる。 ①学校教育のなかで子供の教育をすべて押し付けているように聞こえる。 ②学校で働く教員など教育関係者、文部科学省など学校教育に携わる人に責任を押し付けているように聞こえる
私は、教育実習で先生に当てられた子どもが答える際に『正しいかわからないけど・・・』と言ってから答え始めたり、『このほうが正しい』と主張する人がいたりという光景を見てきた。その中で、浮かんできた疑問は、『正しい』『正しさ』ってなんだろう?ということ! いま現代は、予測不能なVUCAの時代と言われ、今日正解だと言われたものが明日には不正解になっていたりふさわしくないと言われるような時代です。 VUCA(ブーカ)とは4つの単語 V ol
私は、clubhouseで何のroomかは忘れたが、教育格差のテーマでお話されていたものを聞いていた。そこで、ある方が「そもそも格差は悪いのでしょうか。」という質問をされていた。そのときに私は「はっ!」とした。教育格差=悪、改善の余地ありみたいな考え方を知らず知らずのうちにしていた。しかし、そもそもそれが善なのか悪なのか、善でも悪でもなぜそう思うのかも踏まえて考えていく必要があると思った。これまで、貧困も教育も格差の事実ばかり迫り、格差はなくすべきだという立場を取り続けてい
人と話していて、「みんなやっている!」とか「みんなどうこう~」という話をよく聞く。そのたびに私は、「みんなってなんだろう?誰だろう?」と考えてしまう。「みんな」というと、説得力が増すと思っているのだろうか。これは、悪気とかは全く無く、ただただ不思議なだけである。私は、「みんなって、誰と誰を指すんだろう?」と考えてしまう・・・。僕がおかしいのかなぁ。 気の許せる友人や後輩なら、「みんなってだれ?」といういやらしい質問をしてしまう。そのたびに、嫌な顔をされる。無意識に使って
私は、ふとなぜ授業時間が45分と決まっているのかなぁと疑問を持った。そこで、ググったところ、一番わかりやすく参考文献も記載されている「学校の授業時間が1時間45~50分なのはなぜか?」を見つけた。そこには、一文が記されていた。驚きが隠せなかった・・・。 1時間45~50分になった根拠や経緯に関する研究は見当たらない。 10分~15分など45分を区切ったモジュール学習など45分をいかに効率よくまた有意義な時間にするかだけを考えて、実習では授業案を創っていたのに、その前提
私は、1月から何度か主催者としてイベントを開催するようになった。そこで、悩むことの一つが以下である。 ・届いて欲しい人に届けることが難しい…… 工夫することとして、6点考えた。 ・何種類かのSNS(Facebook,Twitter,Instagram)で時間帯を変えながら継続的に発信する。 ・イベントを何度かしながら、発信者について興味を持ってもらう。 ・参加方法・応募方法をできるだけ簡略化して、参加のハードを
先日ある中学校で職業フェスで登壇させてもらった。それは、コロナウイルスの影響で職業体験が中止になってしまったため、その代わりにパン屋さんやアスリートの方など職業人が6人来校して、仕事について詳しく説明するフェスだった。私は、大学生という枠で中学生に単位のとり方や講義の内容などを説明させてもらい、質問タイムでは中学生から数多くの質問を受けた。その中で、一番印象に残った質問があった。それが以下の質問である。 大学に入るメリットは何ですか? 私は、あんまり考えずに、小学校か
『ファンをはぐくみ事業を成長させる 「コミュニティ」づくりの教科書』を最近読み、感じたことをあげていきたい。この本は私にとって、必需品であり、常に見直したい存在になった。内容が明確でわかりやすいことが読みやすさにつながっていた。私自身が教育系のオンラインコミュニティを運営していることから、この本を手にした。学ぶことが多かったが、今回はあるフレーズを取り上げて私の考えと共に述べていきたい。 私が惹かれたのは、上記の本に書かれていたコミュニティの3つの要素である。そこから考え
夢を追いかけること 夢を追いかけることは、とても大事だと思う。しかし、「夢を追いかけること」を他人に求めるのはよくないと思う。 私の思う夢の見つけ方 まずは、「やっていて楽しいもの」「夢中になれるもの」を見つける。それをとにかく極めてみて、成功体験を生む。成功までの失敗経験も大事だと思う。その中から、自分がやっていて、相手に価値を与えられるものが自分の職業につながっていくと思う。 さらに、自分の「なりたいもの」だけを追い求めていると、いつのまにか「在り方」がおろそかにな
昨日、『なぜ学ぶのか』を語り合う会を運営した感想や考えの変容について綴りたい。まず最初に言いたいのは、「開催してよかった!」の一言!こんなに人によって意味付けが違って、その一つ一つに原体験が伴っているというのがすごく興味深かった。考えれば考えるほど、「これ!」といった答えがないからこそ、味が深まっていく過程が面白すぎた。これは、第2弾も絶対やりたい!いろいろな人の考え方に触れて、自分の考えを洗練したい。 私の思う『学び』とは… 私は、会の最初は、『学び』は「選択肢を広げて
最近、人の話の中でよく使われる「時間がないんだけど…」に気になっている。聞き手側からすると、「時間がないから焦っているんだぁ」という認識しか持てない。話し手側からすると、何気ない言葉かもしれない。 このような何気ない言葉にはどんな意味があるのだろうかと、ふと最近思った。私もよく無意識に使っている。私自身は、「時間がないんだけど…」ということで、話している自分を安心させようとしているのではないかと分析している。 私自身、あまりこのセリフは必要ないと感じたので、自分も極
U&T会で3月から始動する新たな企画、『校則を考えるワークショップ』のお誘いを綴ります。ぜひご一読ください! なぜやろうと思ったのか? 私は、学生団体SHIRUBEに所属しています。と言っても、入ったのは去年の11月中旬ごろ。なので、まだまだ日は浅いです…。 学生団体SHIRUBEは、一人一人が多様な価値観を持っていることを踏まえたうえで、対話を通して他人や自己をより深く理解することができます。この団体のMissionは、「世の中をワクワクさせるかっこいい大人を増やす
学校教育では、成績も学校内のモラルにおいても、「正しくないといけない」「(成績が)高い方が素晴らしい」というステレオタイプに誰もがとらわれている気がする。また、小学校から大学までストレートに進み、就活をして就職して60歳前後まで働くといった道ができてしまっていることも、もっと問題提起をしたい。私は、そこにはっきりと違和感を持ったのは、恥ずかしながらも大学生になって教育学を学び始めてからである。 義務教育を受ける9年間、平日は一日のほとんどを学校で過ごしている。その中で、
学校の語源って、知ってますか?wikipediaを引用すると、、、 「学校」を意味する英語のschool、フランス語のecole、ドイツ語のSchuleは、「スコレー」が語源となっている。 「スコレー」=たんなる余暇ではなく、精神活動や自己充実にあてることのできる積極的な意味をもった時間、また、個人が自由または主体的に使うことをゆるされた時間のこと この語源は、興味深くないですか?なぜ私が興味深いかと思うと、まさに今の学校教育の仕組みと180度異なるからです。もちろん
私は、最近「本質」についてよく考える。 なぜかというと、今学校教育関係で話題になっている校則や部活動、労働環境、教員採用試験の受験者数の減少などの問題に対しての対処は、本質を考えた議論や改善になっているのだろうか。 私には、目に見える部分だけを少し修正したり、マニュアル化したりして終わりという風になっている気がしてたまらない。 世界一幸せな国フィンランドの教育が今注目されていて、もちろんいい面も多いだろう。しかし、「○○がいいから日本も採用しよう」といった簡単な