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1年でピザ窯をつくった話 1 「きっかけは年末恒例の餅つき」

「あの庭の空いているスペースに、ピザ窯があったら面白そうですね!」

すでに2〜3缶空けた後のアサヒスーパードライを片手に、酔って調子に乗っていた僕の発言だ。

2018年12月30日。年末の最後の土曜日。郊外にある妻のご実家で年末恒例の「餅つき」が催されていた。

普段は畑を耕すためのトラクターなどが置いてある家の裏にある倉庫。この日に限ってはきれいに片付けられ、即席の「餅つき」会場と化す。
朝から昼過ぎにかけ、親戚や知人たちが年越しの挨拶も兼ねて入れ替わり立ち替わりで集まってくる。妻と結婚してから早数年。楽しみに毎年参加している家族行事だ。

「餅つき」と言っても、杵と臼でつく従来のやり方とは違う。
製餅機(せいとうき)と呼ばれる機械に、蒸した餅米を上から投入すると、モーターの勢いで餅が練られ、横の口金からところてんの様にニュルニュルと出てくる。それを用意しておいた餅とり盆という大きめの金ダライのような器で受けながら、手でこねて大きな餅の塊にしていくやり方だ。

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もちの塊はすぐに作業台に移され、「鏡餅」であればそこからさらに小さく切って丸くかたちを整えていったり、「のし餅」であれば、塊を木型に入れて均等な厚さになるように平らに伸ばしていく。

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この一連の工程を4〜5人で分担しながら行うのだけれど、「餅をつく」という最も体力を使う作業を機械が補ってくれるので、流れさえ覚えてしまえばそれほど難しいものではない。(冷静に考えれば「餅つき」イベントなのに餅ついてないじゃんというツッコミもありつつ…。)

できあがった板状の「のし餅」は、倉庫の奥から順番に並べられていく。徐々に板の上に埋まっていく餅を眺めると、達成感に加えて天井近くの窓の外から射し込む陽の光に照らされ、少し神々しささえ感じられる。

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作業しつつも、休憩を兼ねて義母があらかじめ用意してくれた煮物や、できたて餅を大根と醤油で和えた辛味餅が作業台の横のパイプテーブルの上に用意され、それを箸で突きつつ、談笑しながら冷えた缶ビールを飲む。
数日前まで、年末進行で仕事を終わらせるためにバタバタしていたことも相まり、1年無事納まったなぁという気持ちになる良い時間。

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ここで唐突だけど、義父を少し紹介したい。
今回の催しを取り仕切り、「餅つき」の作業を丁寧に教えてくれた人。一見強面だが、性格がさっぱりとしていて、とても良い方だ。人望もあるので親戚たちも集まってくるのだと思う。
車やバイクをいじったり、DIYの知識も豊富でいろいろ教えてくれるので、僕は心の中で「親方」と呼んでいる。

親方と僕はお酒好きで意気投合し、お会いする度に必ず杯を交わす。
もちろん、この日も例外ではない。
親方から「ここんとこ毎年やってきてるから大分いい感じになってきた。何か覚えるとすぐ調子乗るのが気になるけど(笑)」と言われたりしながら軽い会話を楽しんでいた。その流れで、ふとこんな話が出てきた。

「家の横にある庭のスペースが空いてるからなんかやりたい」

ご実家には畑とは別に、割と広めの庭があり、義父母によっていくつか野菜などが育てられているのだが、家の横にあるスペースが使われていないので勿体ないとのこと。

僕はちょっとした思いつきのつもりでこう話を繋げた。

「あの庭の空いているスペースに、ピザ窯があったら面白そうですね!」

親方や、聞いていた周りの義母や妻、親戚たちまでも

「ピザ窯いいねぇ!」

と話に乗ってきた。
僕の元来のお調子者の性格とアルコールの相乗効果で

「じゃあ、ピザ窯作っちゃいましょうか!」

という方向にどんどんなっていった。

その日、その場限りのただの酒呑み話で終わるのが、よくあるセオリーだと思う。
しかし、まさか1年後現実になろうとは…。

新しい年がもうすぐ始まろうとしていた。

(つづく)


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