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15.臨床マインドによる落とし穴

はじめに

医師と患者の間には診療契約(準委任契約)があります。診療契約においては、医師は患者に対し、患者の疾病、傷病を治療して健康の回復増進をはかるべき責任があるとされています。(資料1)

一方で、産業医は事業者と契約を結びますが、労働者とは契約を結んでいません。その契約上、産業医が提供する業務は企業の安全配慮義務の履行の補助を行うことにあります。産業医は事業者と労働者の双方に職務上の倫理的責任を果たす立場でもありますが、ここでは割愛します。

前者を臨床医マインドとすれば、対象者(患者)の健康の回復増進が使命ですし、後者を産業医マインドとすれば、対象者(従業員)が企業の安全配慮義務違反にならないようにすることが使命です。この二つのマインドは当然ながら大きく異なり、その中での落とし穴をご紹介します。

産業医と臨床医の比較

まずは産業医と臨床医の比較を表に示します。

産業医臨床医比較

過介入の落とし穴

過去の記事でもご説明しましたが、産業医が従業員に介入するのは一義的には企業の安全配慮義務のためであり、働けるかどうかを判断するためであり、安全に健康に働けるように支援するためです。その際に重視すべきは事例性です。疾病性にばかり着目して数値が少し悪い労働者を全て精査・治療につなげることは望ましいものではありません。臨床のガイドラインで治療開始する値の労働者に全て介入するのは、多くの場合で過介入です。必ずしも、「臨床ガイドラインの治療開始する値=介入して必ず治療につなげる値」ではないことにご注意ください。

従業員(患者)に肩入れしすぎる落とし穴

臨床医は基本的に患者の味方であり、守ることが使命にあります。また、柏木らによれば臨床医の85.8%が「主治医判断は患者に甘くなる」と答えており(資料5)、臨床医は患者に与するものと言えます。しかし、 臨床医マインドによる従業員個人に与した意見と、その従業員以外の従業員や組織全体のための意見や安全配慮義務による意見は必ずしも合致しません。産業医は一個人の利益ではなく組織全体を優先する立場にならざるをえないのです。特に、主治医と産業医を兼務する際には、患者である従業員に肩入れしすぎないようにご注意ください。

守秘義務の落とし穴

臨床医の守秘義務と産業医の守秘義務の範囲は異なります。また得られる情報の範囲も異なります。例えば、会社側からある従業員について情報提供を求められたときの対応として、臨床医であれば、職務上知り得た健康情報を第3者に提供することは,プライバシー保護の倫理原則から考えて断るのが普通です。たとえ本人の同意があったとしても、当人が不利益となる状況を予想して開示するかどうかは非常に厳しい状況になります。一方で、産業医は、「本人の健康保持や適正配置または就業制限に関する必要な情報に限り開示する」ことが基本となります。安全と健康に関する事業者責任の原則(安衛法の第3条)により、産業保健の現場では健康情報等の守秘義務(刑法134条及び刑事訴訟法149条等)よりも本人への安全配慮義務が優先されます(資料6)。安全配慮義務の履行は事業者の責任ですので、必要な情報は必要な範囲で開示・共有していくことが求められます。安全衛生活動は産業医だけでやっていくものではありませんので、守秘義務があり一切の情報は開示できません、という姿勢にならないようにご注意ください。資料6に詳しい説明がありますのでぜひご参照ください。
なお、主治医と産業医を兼務する際に診療において取得した個人情報と、産業保健活動において取得した個人情報とは原則として区別して取り扱わなければなりませんので、さらにこの落とし穴についてご注意ください。
なお、守秘義務以外にも健康情報を取り扱う際の落とし穴は多く潜んでいます。これは「健康情報の落とし穴」でご説明していますのでご参照ください。

また、この記事は、以下の「臨床マインドからの脱却」と「産業保健マインドとは」という2つの記事に続きます。有料記事設定をしておりますが、ご興味があればぜひどうぞ


参考資料

資料1:保険診療契約について 資料元
資料2:斉藤政彦(2007). 産業と臨床の比較検討, 産業ストレス研究,14,167-171
資料3:芦原睦, 山内麻利子, 大平泰子(2009).臨床医と産業医の連携職場のメンタルヘルス最前線一その重要性と課題一,Jpn J PsychosomMed 49, 135-149
資料4:上原正道, 梶木繁之(編)浜口伝博(監)(2013).産業医ストラテジー バイオコミュニケーションズ株式会社
資料5:柏木雄次郎ら (2006).メンタルヘルス不全者の職場復帰支援に関する調査研究─事業場内・外関係者双方への質問紙調査結果─. 日職災医誌, 54, 113-118
資料6:藤野 昭宏 (2013). 産業医と倫理 - 産業医に求められる倫理と使命 -.産業医科大学雑誌特集号, 35.27-34



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