学校という場を教育的価値だけで語らない
我が家の庭には柿の木がある。でも高すぎて取れないからずっと放置してきた。
今年は特に豊作の年で、まち全体がオレンジ色に染まっている。
我が家でもたわわに実っていて、落ちるだけを待つのも申し訳ない気持ちになり、ついに高枝切りバサミを購入。最大の3mまでうんと伸ばしてクレーンゲームのごとく収穫した。ほったらかしの柿は最高においしかった。
10月、神山町で「School Food Forum2023 –地域でつなぐ農と食– 」が開かれた。自身が理事を務めるNPO法人まちの食農教育主催の、初めてのフォーラム。
さらに11月上旬には、「石積み甲子園」なるものが町内の私の住む集落で開かれた。こちらも初めての開催で、神山町と関わりの深い一般社団法人石積み学校が主催した。
どちらも企画・準備段階から運営まで関わる機会をもらい、濃密な秋となった。どちらも大きな事故やトラブルなく、盛況のままに終わることができてほっとしている。
メモを兼ねて少し個人的な振り返りを。(公式の報告記事はHPに掲載予定デス)
School Food Forum —地域でつなぐ食と農—
フォーラムを企画する際に意識したのは、登壇者や話題提供の多様性。
公立学校と私立学校、学校内の取り組みと放課後、都市部と地方。話題提供者とモデレーターには、栄養教諭、学校教員、行政職員、料理人、生産者、コーディネーターなどなど、立場の異なる人たちに登場いただいた。
自団体としては、自らが掲げている「学校食」の周辺の解像度をより上げたいという自己学習的な目論見もあり、気づけばずいぶんと欲張ったセッションの構成になった。
▼ フォーラムの概要はこちら
https://shokuno-edu.org/archives/148
何か一つのゴールを定めるのではなく、「食・農・子ども・地域」をキーワードに各地で活動する人々が集い、多様な実践や視点をシェアし、各自の現場に持ち帰っていく。そんな場にできるといい。いやしかし、ゆるすぎるかもしれない。そう不安に思いつつも、蓋をあけると各セッションは一見別々のトピックのようで、でも確かにつながっていた。
社会課題に取り組もうと考えた時、何か特定の存在に原因があると考えがちだけれども、実態はもっと複雑だろう。複数の要因が相互に作用していて、結果として現在の形に落ち着いている。だとするならば、単体の解決案でこじ開けようとするより、全国各地でゆるくつながったチーム戦で臨んだ方がいい。そんなことを思う時間でもあった。
感性への訴えかけ
今回のフォーラムの開催は、昨年刊行された『スローフード宣言 食べることは生きること』の出版記念ツアーとして神山町を訪問先の候補に考えられないかと相談をもらったことに端を発する。
とはいえ当時はまだ企画段階で、著者のアリス・ウォータースさんが本当に来日できるかも未定だった。しかし確定を待ってから動くのでは遅すぎる。
そこで、彼女の来日如何に関わらず、NPOとしてフォーラムを開催することに。
その後、ツアーメンバーの並ならぬ企画・調整を経て、アリスさんの来日さらには神山町訪問も決まり、フォーラムでは予定時刻を超えて熱いスピーチを届けてくれた。
夜もディナー交流会で「Farmers first.」と力強いメッセージを届けてくれたのだけど、彼女のスピーチはいつも前向きなエネルギーに溢れている。現状の課題を訴えるよりも、より良い未来を語る。「そうでなければならない」という理屈ではなく、「そっちの方がいいよね」という感性への訴えかけ。
希望に溢れながらも重みのあるメッセージの中には、社会情勢を見据えた課題認識が見え隠れする。一つの公立中学校での取り組みがカリフォルニア州まで広がり、また全米ひいては海外にまでインパクトを届けることを可能にしたのには、政治的手腕もあっただろうと推察する。
複雑に絡み合ったシステムの一部を切り出して「課題だ」と声高に叫んでも仕方ない。見たい未来を小さくても実現してしまって、共感とともに広げていく方がいい。彼女の姿から学ぶことは多い。
地域の農業を支えるシステムとしての学校
アリスさんはCSA(Community Supported Agriculture:地域支援型農業)の考え方をもとにSSA(School Supported Agriculture:学校支援型農業)を提唱していて、スピーチでもそのことを伝えてくれた。我々の代わりに大地や海のケアをしてくれている農家を支え、応援していく仕組みを作りましょう、と。
NPOでも「学校食」を英語で説明する際に、「Community Supported School Lunch」という表現を使っている。立場の違いから来る差異は多少あるものの、言いたいことはほぼ同じなはず。
少し話は逸れるが、NPOが関わる高専の寮食における食材選定基準として「町産>県産>国産」と「有機>減農薬>慣行」を定めていて、これらを組み合わせた際には「町産有機>町産慣行>県産有機」となる。このことからも、いかに地域の農業に重きを置いているかが伺える。
人によっては産地よりも生産方法の優先度を高くしたいという考えもあるだろう。私自身、そう考える部分はある。農業による環境負荷の話を避けて通るべきではない。ただ、フォーラムに登壇していた生産者の話を聞くなかで、「産地は変えられないが、生産方法は変わっていける可能性がある」と思うようになった。
時間はかかるかもしれないが、農業による土壌や環境への影響に関する社会認識が広まったり、政策によるインセンティブが働いたり、食べる人の顔が見えるようになったり、価格や取引の諸条件が生産者に配慮されたものになったり、あるいは世代交代がなされたり…。それぞれのタイミングで転換する時が来るかもしれない。過去の効率化・機械化の流れにあわせて変化してきたように、今後も変わりうる。そしてそうした変化を後押しする意志を持った自分そして団体でいたい。
給食に話を戻す。
毎日一定数の食数が提供される学校給食。その食材がローカルに根付いたものであれば、地域の農家からすると安定供給の卸先となる。
一般の流通に乗せる際とは異なり、双方の合意があれば、例えば個包装にする手間をかけずにコンテナに新鮮な野菜を入れて納品することもできる。調理側の腕も必要になるが、規格の制限も緩和しやすいだろう。
その土地にある大きな組織(ここでは学校)が自らの持つインパクトに自覚的になることで、未来は大きく変わる。
フォーラム終了後、町内にあるオルタナティブスクール森の学校みっけが町内の有機農家とSSAの試みを始めたと聞かせてくれた。とてもうれしい。
先日、とある地域に講演に呼んでもらい、拙著のタイトルでもある〝まちの風景をつくる学校〟の意味するところを言語化する機会を得た。
農業高校での試みをもとに「身体感覚を伴う不可逆的な学び」「地域の景観創造を担う拠点」「多年代をつなぐ新たな交流機会」というキーワードを考えたが、今回のフォーラムでの学びを踏まえて「地域の農業を支えるシステム」を足すことにした。
学校という場を教育的価値だけで語らない、というのは自分の中で一貫している価値観なのかもしれない。