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天井のない監獄

イスラエルによるパレスチナ人大量殺戮。
連日投稿されている子どもの惨たらしい映像に目を背けたくなる。
しかし、逃げるわけにはいかない。
レイシズムに取り憑かれた大人の犠牲となった子どもの姿を、しっかり記憶し、誰かに伝えていかなくてはと思う。
それが彼らと同時代を生きる私の責務だ。

そして、人間の狂気も。
ハマスが仕掛けたのだから、どっちもどっちだと屁理屈をこねくり回す時は過ぎた。
シオニストという悪魔が人を殺すことに躊躇なく、パレスチナ民族浄化を実行しているという現実に向かい合っていると、これが世界の終わりなのだとひしひしと感じる。

さすがに、#Ceasefirenowとして、世界中で停戦と平和を求める動きが広がっている。
日本でも。
ところが、自由だの人権だの民主主義だのといつも叫んできた西側諸国が、イスラエルというテロ国家を野放しにして、パレスチナ民族浄化を黙認している。
そして、自由と民主主義を守る世界の警察官だと厚かましく自称してきたアメリカとテロ国家イスラエルの密接な関係を調べてみるとよい。
自由、人権、民主主義など上っ面の概念でしかなかったことを思い知らされる。
国連の場で『イスラエルに歯向かう人間はみなハマス』、『パレスチナの子どもを殺すのは正常だが、ユダヤ人の子どもを殺すのは犯罪』とテレビで平然と言い放ち、イスラム教徒への憎悪をかきたる人々を目の前にすれば、レイシストを放置してきた報いを、今私たちが受けているのだ。

私は、停戦や平和を求め行動する人々の純粋さを、あざ笑うつもりはいっさいない。
しかし、人間の愚かな歴史を踏まえると、千坂氏の見解が妥当だろう。
ガザが天井のない監獄と呼ばれているのがわかる。
彼らにとっては生きること自体が責め苦なのだ。
私の虚無はさらに深まっていく。

武力に対して平和で対しようとするのは、相手も共通の平和への観点があれば有効だろうが、相手が自己最優先のレイシズムの立場で、自己生存のためには手段を選ばないような立場には、平和の対置は無力だろう。

千坂氏X投稿

話を少し変える。
突飛に聞こえるだろうが、日本人は、自ら進んで天井のない監獄のなかで生きることを選択した民族だ。
例えば、イマドキの大学では、学生が構内に戦争反対のビラを貼ったり、ジェノサイド反対という立て看を設置すると、「極左暴力集団と同じ主張」であるという理由で大学当局が、ビラや立て看を撤去するそうだ。
言論や表現の自由は日本の大学からすでになくなっていた。
それどころではない。
学生の中には、ビラ貼り許可を学生が大学側に取らなかったことを非難したり、SFCの景観に立て看はそぐわないとか慶應義塾には立て看の文化がないなどと言い募り、立て看を撤去した大学当局を支持する者も見受けられた。
彼らは空気を吸うことまで許可が必要な徹底管理された空間の中で生きることがお望みのようだ。
北朝鮮の金日成総合大学に留学されることを大学側を支持した学生たちに推奨したい。

そして、マスク。
病院はもちろん、スーパーやコンビニ、銀行、官庁で働いている人のマスク着用が定着してしまった。
中学校に勤務する人の報告ではこうなっている。
世界の中でも最悪最低な日本マスメディアのコロナ怖いキャンペーンに乗せられ、公衆衛生や感染対策という名目のもと、自由と人権を差し出し、監獄の中で生きることを選択した日本の大人の犠牲に子どもがなった。
私にもその責任の一端がある。
間違いを悔いている。

マスクに対する日本人の愚劣さにはキリがない。
ベートーヴェンの第9合唱というお馴染みの年末行事が来月ある。
驚いたが、サントリー1万人の第九合唱では、合唱参加者にマスク着用をレッスンで求め、12月の本番でもマスク着用の必要性に言及していた。
芸術や文化を冒とくするにも限度がある。
指揮者である佐渡という御仁は芸術家としての己の矜持を、銭のため売り渡したのだろう。
日本人は奴隷の印であるマスクを着用して、生きることの喜びがモチーフである第9を合唱するというシュールな映像を、世界中に配信することになりそうだ。
そうなれば、世界の人たちは日本がパレスチナと形と性質は異なっても天井のない監獄であるのを認識する。

これを日本の終わりだと表現せずに、何と言い表したらよいのだろうか?

2023/11/28   追記

例の第九合唱は、マスクを外してもいいが、ネックファン必須で12月3日に行われるそうだ。
言葉を失った。

日本人の脳みそが溶けていることを12月3日世界中に知らせる形となろう。




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