「右」と「左」のカナシイ混乱
マッコウからこんなことを言うと、「それはあなたの運動神経が鈍いからでしょう」と言われそうだが、わたしは自転車に乗れない。
子供のころに三輪車という便利なものは活用したが、その後二輪車になってから、全く乗れないというわけではなくとも、かなりヘタクソで危なっかしい運転だ。
それと言うのも、あのクソいまいましい「自転車の乗り方」というものが、どうしても右利き用だったから。
わたしたち左利きにとっては、右足が軸となるひとが多いので、右側に回って左足をペダルにかける。そして降りるときには、右足を下ろすのが一般的なのだ。
ところが、わたしに自転車の乗り方を教えてくれたひとは右利きだったから、もちろん左側から乗るようにわたしを訓練し、その結果ゆらゆらと今にも倒れそうな運転姿から終生逃れられなくなってしまった。
どちらにしろ、今や「真性左利き」であるだけでなく「真性ナマケモノ」と化してしまったわたしには、自転車そのものが必要ではないので、すでに乗れるかどうかもサダカではない。
思えば少数派の左利きとして、数限りない不具合を経験し、それにもかかわらず「あら、左利きなの。器用なのねえ」などと言われなき賞賛を浴び、わたしの人生は、右利きの世界への妥協と反発と諦念の日々だった。
急須から始まって、駅の自動改札、電話と銀行ATMのスロット、トイレットペーパーホルダの壁の位置、鋏、定規、腕時計、蛇口のひねりに冷蔵庫のドアに至るまで、全て右利き仕様の世界で生きてきたが、そのうえ10年ほど住んだタイの小乗仏教社会では、「左手は不浄の手」であるために、ひとにモノを渡すときなどに右手を使わねば失礼に当たるというオマケまでついた。
わたしの母はやはり左利きだが、子供のころの矯正にかなりの反発を感じていたらしく、わたしの小学校の担任と論壇をはってまで、矯正に反対していた。
その結果、学校で後から習わされたもの、たとえば習字、算盤、家庭科の縫い物とマッチのすり方以外は、全て真性左利きのわたしが完成してしまったというわけだ。
「言われなき賛辞」は、矯正を経験して両手が使える左利きのみへのものであって、わたしはその範疇にはないと言ってよいと思う。大体「矯正」という言葉自体、「正しいのは右利きだけ」と言われているようで、あまり気持ちのいいものではない。
さて、大脳が左脳と右脳に分かれ、右が「論理的な範囲」を扱い、左が「感覚的な範囲」を扱うことはよく知られている。
ところが、左利きの場合、この左脳・右脳の機能が逆になっているので、この大脳側頭葉にある右脳が、右利きのように、言語中枢をつかさどるとは限らないとも言われる。というより、左利きの場合は、左脳あるいは、これは大変興味深いのだが、左右両方に言語中枢の位置がまたがっていることが多いそうだ。
百科事典の「左利き」の項に載っていたが、右利きで言語中枢が左脳にある者は64%、右脳にある者は12%、左右の脳に差がない者が20%、そして、左利きで言語中枢が左脳にある者は22%、右脳にある者は46%、左右の脳に差がない者は32%だ。
これは言語中枢のある、側頭・頭頂領域の左右の比重を比較して得た資料とのこと。
まあ、右脳をちょっとばかり使っている「らしい」左利きは、視空間認知力が優れていると言われ、芸術やスポーツに秀でたひとびとが左利きに多いのは事実だが、不幸なことに、「アタマではわかっていても…」という論理と感覚の相反に悩まされるカナシイ経験をするひともかなりいる。
わたしの友人にやはり左利きが何人かいるが、そのひとりのトラウマとは、幼稚園のときに「さあ、答えるときは右手をまっすぐ上げましょう。いいですか、お箸を持つ手ですよー。」とやられ、自分だけ左手を上げて、皆の笑いを誘ったことだそう。
実はわたしも同じような経験を持つひとりだが、左利きにとっての右と左という言葉は、「論理的には理解していても、感覚的に定着していないのじゃないか」と思うことが現在でもしばしばある。
左脳が大半つかさどる言語能力のせいなのかもしれないが、どうもその不安定さは、「右」という「感覚」が「利き腕」(=左)と直結して感じられるためなのかもしれない。
たとえば誰かに行き先を説明するとき、「そこを左に曲がって…あ、違う違う、左じゃなくて右…」、または誰かに道順を説明されながら車を運転しているとき、「右って言ったのに、どうして左に車寄せるのっ」。
言葉のみで、右と左を説明したりされたりするのが苦手なため、日本語でさえ、知らず知らず手まで動いて説明を助けることになる。
ある程度「流暢」でもある外国語で、わたしがいきなり右と左を間違えるのは、さらに頻繁だ。やはり左脳にあるべき言語中枢が反対側にあるからなのだろうか。
最近の「右脳をもっと使おう」運動を目にするたびに、それもやはり「多数派右利きの視点」なのかもしれない、と「少数の左利き天才たちのひとりになれなかったわたし」は、鼻を鳴らしてしまうのだった。