水彩画を木版にする(その2)
明治39年午歳の『明星』には木版画がたくさん掲載されている。
今回は、一見したところ石版のようにあっさりした摺りの木版を紹介しよう。
木版の印刷法も進化していることがわかる。
三宅克己《修善寺》
『明星』午歳第9号(1906年9月1日発行)には、2点の木版画が掲載されているが、三宅克己の原画を木版にした《修善寺》を見てみよう。
伊豆修善寺温泉の桂川にかかる虎渓橋あたりの光景だろうか。
小雨が降っているらしく、湯治客は傘をさしている。
木版画に特有の、摺りの圧によってしっかりした色彩が紙に定着されたという感触があまりなく、淡彩の石版印刷によるもののように見える。
奥の樹木の緑は輪郭からはみ出ているし、温泉旅館は省筆した簡潔さで描かれている。
石垣の石は、すばやくペンでスケッチしたように見える。
しかし、木版であることは、橋桁の下の岩を見ればわかる。岩には、はっきりと彫りによってできた板目が確認できる。
西村熊吉
目次では、「修善寺」という題名の下に、「(絵画)三宅克己/(彫刻)伊上凡骨/(印刷)西村熊吉」と記されている。
伊上凡骨については、このマガジンで、もう何度かふれているが、摺りを担当した西村熊吉の名が明記されているのは珍しい。西村は凡骨とよくコンビを組んで摺りを担当している。
目次で「(印刷)」となっているのは、手摺りではなく、機械印刷であったためかもしれない。
この時期には、木版画にも機械刷りが導入されていたが、その詳細がどのようなものであったかについては、調べきれていない。
「摺り」は手摺りの場合に使われる文字なので、機械刷りの場合は「刷り」の文字を当てるべきかもしれない。
拙ブログの西村熊吉についての過去記事をリンクしておこう。
水彩画を木版にした《修善寺》では、水彩の筆によるラフな彩色を再現している。
原画の感触に合わせて、彫りや刷りに変化が生まれている。
《修善寺》では輪郭線から色の部分をはみ出させたり、ラフに色を重ねたりして、水彩画のタッチを木版で再現しようとしている。
*この項続く。次回は、三宅克己と水彩画の出会い、木版《修善寺》と、石版印刷の絵葉書との比較を取り上げる予定。
*ご一読くださり、ありがとうございました。