浅井忠 編輯『中等教育彩画初歩 第四編』(下)
(上)は下記リンクで。
さて、(下)では、人物画と風景画を紹介しよう。
1 人物(その1)
第参図は少女像。
「例言」に四編収録の絵は、「着色ヲ施シテ後ニ黒画ヲ絵クモノ」とあるので、この絵を手本として絵を描く生徒は、まず画用紙に水彩で色を入れる。その際、人物の形、輪郭は正確に描く必要がある。この作業はけっこうむずかしいのではないか。
他の事例を見ていると、やはり着色時に正確に輪郭を意識しているように見うけられる。
実際の指導事例を見つけないと、そのあたりの細かいプロセスはなかなかわからない。
少女像を拡大してみた。
拡大すると、石版印刷の特徴と、描き方の工夫の細部がよくわかる。
表現上の工夫について見てみよう。
額の生え際は、肌色とグレーが重ねて刷られている。
鼻先の白抜きは、光が当たっていることを示すさりげない工夫だ。
影をどうつけるのかが、手本として具体的に示されている。顔の、向かって右の部分の陰影。眉の下の眼窩につけた影。わずかな色彩と、線描でいかにリアルさを再現するかという技法が、線の並行、交叉によって示されている。
こうした線描の技法の提示が臨本(手本)によって描法を学ぶことの意義を示している。自分で実際写生を行うときに、臨本模写で身につけた影の付け方を応用することができるだろう。
前髪のほつれもリアルさを出す工夫だろうか。
背景の彩色の右上部のあたりや、顔と首の境目の、霧吹きで顔料を吹き付けたような版面は石版印刷の特徴を示している。
第四図《老人》では、ヒゲの白抜きは光ではなく色彩をあらわしているのだろう。
首の後ろあたりの髪のほつれはおもしろい。細部をみのがさないところにリアルさを感じさせる工夫があるのだろう。
3 小柴英侍と石版印刷
ここで石版印刷を担当した小柴英侍にふれておこう。小柴印刷所は、英侍の父、小柴英が創設した。
鳥屋政一『日本版画変遷史』(昭和14年8月、大阪出版社)は小柴印刷所について次のように記している。
小柴英がそのもとで学んだ翠山は、梅村翠山をさしている。翠山は、木版彫刻師の3代木村嘉平に学び、銅版腐食法も身につけ、石版印刷も手がけた。
小柴英の長男が英侍で、英の隠居後、印刷所を継いだが、早逝した。英の没後は次男の画家錦侍が継いだ。「衝にある」は重要な役目につくという意味。
小柴印刷所は明治の雑誌などの石版印刷をたくさん手がけていた。エミール・オルリクは来日時に小柴印刷所で技法を学んだとされている。
石版は木版よりコストがかからず、印刷枚数も多く刷れるため、木版に代わって使用されるようになっていった。
ただ、石版は、木版に比べると奥行きが出にくく、平版ゆえの平板さをまぬかれがたい。
『彩画初歩 第四編』では、彩色された地に描く黒画(黒一色の絵)を印刷として示すために、石版の刷りを重ね、木炭の筆触を模写して、奥行きを出すことに腐心している。
1896年にこうした高度な石版印刷が中学生向けの教科書で実現されていることに驚く。
2 人物(その2)
第五図《農夫》は田植えの情景をとらえている。
奥にいる人物と手前の人物では、裁着の濃淡が異なり、それによって遠近感を表現している。
空を飛ぶ二羽の白鷺は、写実的であるというよりは、歳時記的な装飾のように見える。
第六図の《農夫》では千歯扱きによる脱穀の作業が描かれている。
右には新藁を束ねた藁におが描かれている。
千歯扱きの歯は、竹ではなく鉄製のように見うけられる。
第七図の《農婦》は、千歯扱きによる脱穀では少し籾が残るので、それを採るためにからさおにつけた棒を回転させて稲をうつ作業を描いている。
この棒は連枷、からざおと呼ばれている。
農婦は、素足に草鞋であるが、長時間の作業はたいへんだったのではないかと推測される。
農婦の前の影は現実的なものだが、背後の影は装飾的なもののように見える。
脱穀の歴史についてはKubotaの下記サイトが参考になる。
4 風景
第八図から第十二図の5枚は、風景をとらえたものである。
第八図《農家》。
近景の草を大きく描くことによって、奥行きを出している。
藁葺きの屋根の軒の影や背後の樹木は、黒よりも淡い階調で描かれている。色を刷って後に黒を刷っているが、黒の印刷は濃淡を考慮して複数回、行ったのではないかと推定される。
風景画の中では、第九図《村景》が、最も描き込まれた作品である。
人物を描くことによって、遠景、中景、近景の3層が明確に表現され、線描の濃淡と粗密の使い分けによって、農村の風景が奥行きのある立体的な世界として表現されている。
少ない色数でも、ここまで精緻な表現が可能だということに、この絵を目にした明治の中学生は驚いたであろう。
また、石版印刷の再現性にも留意したい。
明治30年代までは、こうした農村風景を素材にした挿絵が多い。
都市風景が登場するのは、明治40年代になってからである。
第拾図《染戸》。
「染戸」とは、いわゆる紺屋のことで、染め物を生業としている家のことである。
白布がたくさん干されている。
水をたくさん使うので、大型の井戸がある。人物は染料を運んでいるのだろうか。
第九図の《村景》に比べると、線描が少なく、地にのせた水彩の重ねや濃淡に主眼を置いた表現になっている。表現が密であればよいとは限らないという視点が感じられる。こうした略筆的な表現は近世日本絵画の伝統につながっている。
第拾図《漁舟》でも、省筆的な味わいが感じられる。
雲に輪郭がつけられ、左手前の桶の影が省筆されて描かれている。
速写したクロッキーの味わいがある。
第拾貳図の《村景》。
人物の表現には、写生の訓練が必要だが、風景は、家屋や樹木の表現法を理解すれば、写生でなくとも描けるのではないかと思えてくる。
写実的な風景に見えるものも、パターンの集積であるかもしれない。
浅井忠の『彩画初歩 第四編』は、写実的な表現には、描法としての型が存在しているということをメッセージとして含んでいる。
『彩画初歩』という書名が物語るように、この教科書は色がある絵の描き方を指南する内容を持っている。
『彩画初歩』は、一色の黒画→彩色のある黒画→フルカラーの水彩画という順序で構成されている。
そのプロセスを表現するために、印刷技術としての石版と木版が使われている。
さて、これで(上)と合わせて『彩画初歩 第四編』の全12図を紹介した。
残念ながら石版で木版ではなかった。
浅井忠と彫刻師の木村徳太郎、摺師の松井三次郎が組んだ西洋画の木版化の試みは、水彩画を取り上げた第五〜七編に掲載されているのだろうか。
現時点(2024年1月)では、『彩画初歩』全七編は国立国会図書館デジタルコレクションに公開されていない。
古書で入手するか、図書館で見るかしかない。調べてみると、比較的近く(といっても遠いが)の地域図書館が第七編を架蔵している。
しかし、図書館の本を撮影するのはむずかしい。参観できる状態か問い合わせる必要もある。
古書価は木版画が入っていると高価になる。手の届く価格で第五〜七編を見つけることができるだろうか。
5 浅井忠の水彩画
最後に、浅井忠の水彩画を2点紹介しよう。
これは、刊行年不明の『浅井忠画帖』に収められたもの。国立国会図書館デジタルコレクションで公開されているものである。書誌情報の「注記」に「自筆」と記されている。
次は、石井柏亭 編『浅井忠 画集及評伝』(昭和4年11月、芸艸堂)所収の《飛騨の高山》という水彩画である。これも国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている。
印刷は多色石版である。
ますます、浅井忠・画、木村徳太郎・彫刻、松井三次郎・摺の木版画を見たくなってきた。
紹介できる日が来ることを念じておこう。
*ご一読くださりありがとうございました。