絵葉書とその原画:太田三郎の場合(下)
今回は絵葉書の原画を公開するとともに、印刷されたものと比較してみたい。
1 はじめに
さて、「絵葉書とその原画:太田三郎の場合(上)」では、原画がある絵葉書は、雑誌『女学世界』の第7巻第9号(明治40年6月)の付録であるということが明らかになった。
愛知県碧南市出身の工芸家藤井達吉の作品が美術館に寄贈された際、その関連資料の中に、多数の絵葉書があり、そのなかに未使用の『女学世界』の付録絵葉書が32枚あった。
土生和彦氏の『【資料紹介】藤井家に残された絵葉書』(『碧南市藤井達吉現代美術館紀要』第4号、2017年3月31日発行)という文章にこれらの絵葉書の解説が掲載されている。
https://www.city.hekinan.lg.jp/material/files/group/62/45207894.pdf
土生氏は『女学世界』の付録絵葉書の一覧を作成しており、保存されていた未使用絵葉書の中に、この文章で話題にしているものと同一のものがあり、それが『女学世界』の第7巻第9号(明治40年6月)の付録であることが判明した。
絵葉書の図柄は2つの要素からなる。
まず方形の枠内の皷を打つ女性。
それから、女性像に一部重なるように描かれたクローバー(白詰草、苜蓿)の葉。
女性と花、植物の組合せは絵葉書の図柄の定番で、花、植物の方が季節感を出す役割をはたしている。クローバーの花は春に咲くが、5,6月は盛んに繁茂する時期で、葉のみが描かれていると考えられる。
さて、絵葉書を掲げておこう。
女性の背景、帯の模様の一部が銀刷りである。
皷の中央部と周縁、枠の方形の影が金刷りである。
銀刷りは劣化しにくいが、金刷りは劣化しやすく、褐色に見える。
金刷り、銀刷りについては下記記事を参照されたい。
さて次節で、いよいよ原画を紹介することにしよう。
2 絵葉書の原画
絵葉書愛好家には、肉筆のものより、印刷されたものの方が好ましいという感覚がある。柳田國男もその一人であった。
筆者も印刷された絵が好きで、だからこそ、こうした、近代日本の書物・雑誌における美術的イメージを探究するnoteを運営しているのである。
しかし、今回、紹介する太田三郎の肉筆の絵葉書は、見ていると、画家の筆の運びが想像され、画家の存在を身近に感じることができる。小さな絵葉書の原画であるが、太田三郎の肉筆画ではあり、彼の仕事ぶりが直接画面からうかがえるのは、喜ばしいことである。
印刷された絵葉書との比較は、後にするとして、まず原画の特徴についてメモしておくことにしよう。
購入した際は、原画より少し大きい黒の台紙が添えられていた。絵の裏は白紙で何も描かれていない。
女性像の背後の褐色の塗りから、水彩絵具ではないかと推定される。
小さな筆を使っていることが、クローバーの茎や女性の眉の描き方から推定できる。
方形の線を見ても、手描きで定規などは使っていない。
鉛筆による指示が書き込まれている。
よく見ると、女性が描かれた枠の下の空白の中央に、鉛筆で円が描かれている。
また、円の左に文字が描かれていることがわかる。
いつも絵葉書関連の記事などで通信文の読みを指南してくださる方に、尋ねたところ、「此地色ハ省」ではないかという教示をいただいた。筆者は「此」や「地」が読めなかったので、判読してくださった方に感謝したい。
円は、この部分の色を示していて、「省」は「省く」であるので、クリーム色のような地の色は印刷しなくてよいという指示だと考えられる。
印刷の指示が残されている絵葉書原画は貴重ではないだろうか。
印刷指示が書き込まれていることは、浮世絵における色見本であるさしあげと同じ役割を原画がはたしたと言えるだろう。
石版印刷では、印刷のために原画を反転させた画像を石版面に転写する必要がある。時折、古書のオークションで絵葉書の原画が出されることがあるのは、型着け作業の後、残った原画が保存されていたからだと思われる。原画は画家に返される習慣があったのかどうかはわからない。印刷所で保存されたものが、めぐりめぐって古書市場に出てきたものだろうか。そのあたりについては確たることを語ることができない。
太田三郎の絵葉書には作風の変化があり、今回取り上げているクローバーのものは、女性の表情に描き方を見てわかるとおり、近世絵画の筆致に通じるものが感じられる。初期、すなわち明治38年頃には、太田は白馬会系のアール・ヌーヴォーの影響が感じられる絵葉書を制作している。
比較のため、女性と花を組み合わせるモチーフの絵葉書を1枚紹介しておこう。この絵葉書は図録等で、あまり見られないものである。
花と女性を組み合わせた絵葉書セットのうちの1枚だと推定される。
花はケシであろうか。4弁の花びらの1枚が散るところをとらえている。季節は、ケシの花が咲く5月ごろであろう。
絵の構成は、方形の枠内の女性と、植物の組合せで、クローバーの絵葉書と同じである。ただし、ケシの絵葉書は、付録絵葉書より上質な紙を使用しており、また、印刷も美しい。
ケシとクローバーの絵葉書を比較すると、ケシの方は、ミュシャ風の輪郭線を用いているが、クローバーの方は先に指摘したように、近世絵画の筆の運びが感じられる。
明治40年頃に作成された絵葉書は、クローバーの絵葉書のタッチに近いものが多い。
3 絵葉書と原画の比較
さて、今度は、原画と絵葉書を比較してみよう。
比較しやすいように、原画と絵葉書を並列した図版を掲げておこう。
まず、色の違う部分があることがわかる。
方形の褐色は、銀地になっている。
原画では鉛筆線で引かれているだけで未着彩の枠の影の部分は、絵葉書では金にされたが、褪色して褐色に見える。皷の中央部も同様に金であったが褪色している。
着物の赤が少し薄くなっており、帯の柄が変更されている。
長襦袢の襟の色が変わっている。
おそらく帯の柄の変更は、刷版の数による制限からくるものであろう。複雑なものを単純化しているからである。
あと細部について観察すると、女性の向かって左の瞳は、原画の方が若干大きいように見える。また、女性像を囲む方形の線は、印刷の方がまっすぐであるように見える。
この細部のちがいは重要である。なぜなら、機械的な複製ではなく、石版職人が手で複製を作った可能性が高い根拠となるからである。
絵葉書とその原画の相似を確認するために、それぞれの画像を重ねてみるという実験をしてみよう。
比較の方法は、次の手順によった。
まず同じ条件で、原画と絵葉書の写真を撮影する。
原画および絵葉書の画像を少し透過させて、それを重ねあわせてみる。
まず、完全に重ねる前の状態を示しておこう。
次は完全に重ねた状態である。
原画と絵葉書の線、画像の位置はほぼ完全に一致することがわかる。
下端の位置にちがいがあるのは、複製された絵葉書の版が、原画の下の部分をカットしていることを示しているだろう。
比較の結果をまとめておこう。
向かって左側の瞳の大きさなど微妙な差異はあるが、全体の線と形象の相似は、絵葉書の印刷用の版が手作業のトレースによって作成されていることを示しているのではないだろうか。
それでは、どのようなプロセスを経て、原画から印刷用の版が制作されるのだろうか。
4 石版印刷のふしぎ
今回は石版印刷の複雑な処理のプロセスについては、あまり詳しく説明することは避けておく。
ただ、石版印刷の最低限の理解としていつも紹介する、鹿島茂氏の『子供より古書が大事と思いたい』(1999年11月、文春文庫)の一節を引用しておく。
版面に凹凸がないのに印刷ができる技法は平版というが、石版はその代表的な印刷手法である。
筆者は多くの石版制作の過程を記録した映像を見たが、インクを吸収する部分と、はじく部分があって、ローラーでインクをのせたあとに石版面を拭き取ると、描画部分も消えたように見えるときがある。しかし、刷ると紙面に絵が現れるのは、とてもふしぎな感じがする。
2020年に開催された「もう一つの日本美術史——近現代版画の名作2020」展で配布されたリーフレット『版画ってなんだ?』から、平版の原理を図示したページを紹介しておこう。
5 型着けから製版へ
さて、原画から刷版をどのように作成するのか、当時に近い文献を用いて、説明してみよう。
最初にお断りしておくが、以下に記すことは、文献からの推定であって、実際の絵葉書印刷のプロセスを確定するものではない。
大阪出版社編輯局編の『最新石版印刷開業案内』(大正14年10月、大阪出版社)という書物があり、当時の石版印刷の技術について詳しく記述されている。この本は、国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができるが、この文章での引用は、『明治後期産業発達史資料 第589巻』(2001年4月、龍渓書舎)所収の復刻版によった。
原画を反転した画像の作成のプロセスは、「型着け」と呼ばれている。
「型着け」とは、原画を反転させた画像を作成することを意味している。
多色刷りの場合については、次のような過程をたどる。
「黒版」と呼ばれているのは、おそらく輪郭線の版のことをさしている。これは浮世絵でいう墨版に相当する。輪郭線の型着けをまず行い、つづいてそれぞれの色の型着けをおこなうのである。
「型着け」の具体的なやり方は次のように記されている。
「ゼラチンペーパー」は、透明な紙に膠を塗布したもので、原画を写し取るのに使う。
ゼラチンペーパーを膠の塗布面を表にして原画の上に置いて固定し、鋭敏だが先の丸い製図用の針で原画の線を写し取ってゆく。
そうすると、ゼラチンペーパーに膠の溝ができる。
「見当」というのは、原画とゼラチンペーパーがずれないようにするための目印である。
型着けの作業が終われば、いよいよその画像を石版面に写すプロセスに入る。
「紅殻粉」は酸化第二鉄を主成分とする赤色の顔料の粉末である。刻まれた溝に紅殻粉を詰めて、余分の粉を拭い落としたゼラチンペーパーを石版転写機で圧をかけて石版上に転写すると、赤色の線が残る。
型着けによって原画から反転した画像は、転写のプロセスで原画の複製となって石版面に現れるのである。
石版上にできた転写画像によって印刷するのではなく、それは「捨て版」と呼ばれ、そこから複数の版を作成するのである。捨て版にインクをのせて「艶紙」(アート紙)をあて印刷すると、それに紅殻粉をつけて、さらに石版席に転写する。この過程を繰り返せば、色数の多い版にも対応ができるということである。
しかし、簡単なものは、ゼラチンペーパーに紅殻粉をおいてそれを転写すればよいということである。
さらに続けて次のようなことが記されている。
ゼラチンペーパーや紅殻粉を使わない方法が記されている。
透過性のある美濃紙(和紙)と鉛筆で原画の輪郭をトレースし、それを石版上に転写するやり方がある。
また、コロムペーパーと解墨で原画を写し転写するやり方が示されている。
コロムペーパー(chrom paper)は、紙の表面に糊を塗布したもので転写紙とも呼ばれる。転写紙の糊が塗布された面に描画、あるいは印刷し、石版にあて水分を含ませると、描画や印刷が石版面に転写される。
解墨は描画に使う油性の墨である。
さて、絵葉書の石版印刷の製版、印刷の過程について具体的に詳述した当時(明治後期)の資料を見出すことができていないので、いまのところ、絵葉書の印刷の実情については間接的に類推するほかない。
『大橋光吉翁伝』(1958年1月30日、浜田徳太郎編、大橋芳雄発行)に印刷所の内部写真が何枚か紹介されている。なかに「当時の画室(描写製版科)(明治45年頃)」というキャプションがついている。
「描写製版科」とあるので、石版印刷の型着けなどの作業をおこなう部屋であろうか。
真ん中の列の職人たちの机上には石版石らしきものがみとめられる。一番手前の職人は型着け作業中であるようにも見える。
今回、石版印刷に関する資料を読んでみて認識したのは、転写すれば刷版を複数作れるということだ。複数の刷版があれば、5000部程度の刷り数は簡単にこなせるのではないだろうか。
資料の探索を続けたいと思う。
【参考】多色石版の動画を2本紹介しておこう。
まず、Inada_printの《『石版画の印刷工程』KOMORI、Daisuke Inada Print Art》という動画を紹介しよう。
1930年代の小森印刷機械製作所の石版印刷機が使われている。
印刷するのは、北斎の《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》である。
表面研磨や、転写紙での転写の様子が具体的に理解できる。
https://www.youtube.com/watch?v=NKwKoYq0vL0
次に、多色石版の制作と印刷のすぐれた実演記録として、《14 color lithography inspired by Arcimboldo Oldrich Jelen & Petr Korbelar》(「アルチンボルドに触発された14の色版のリトグラフ オルドリッチ・イェーレン、ピーター・コルベラー」)という動画を紹介しておきたい。石版上に直接描画している事例である。オフセットの原理も理解できる。
【編集履歴】
2024/12/16 20:55
最後の引用部分の空白を詰めた。
*ご一読くださりありがとうございました。