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アヌンチャタの顔

森林太郎訳『即興詩人』


 雑誌『ユリイカ』の「総特集安野光雅1926-2020」(2021年6月30日、青土社)に「〈文学の絵本〉の軌跡を追って」という文章を寄稿した時、アンデルセン作、森林太郎訳『即興詩人』(上下巻明治35年9月1日、春陽堂)を読んで感心した。

 海外ドラマがシーズン2まで作れそうな波瀾万丈の物語であるが、上記の文章からストーリーの展開を紹介してみよう。

 母と二人暮らしの少年アントニオはジェンツァーノの花祭りで、勢威あるボルゲーゼ家の馬車の暴走によって母を喪い孤児となる。アントニオはカンパーニャに住むゆかりのある夫婦に育てられることになるが、そこで、水牛に追われていたボルゲーゼ公を救い、それがきっかけとなってボルゲーゼ家の庇護と援助を受けることになる。アントニオは劇場で見た女優アヌンチャタの魅力の虜となるが同じ思いの友人ベルナルドと対立する。決闘を持ちかけられ、誤射によってベルナルドを傷つけたアントニオは放浪の旅に出る。アヌンチャタへの思いを抱きながら、誘惑を避けて、アントニオは即興詩人としての自立の道を歩む。波瀾万丈の筋立てで、伏線はすべて回収されるが、有力者の援助で文壇に出たという作者アンデルセン自身の経歴が反映されている。

「〈文学の絵本〉の軌跡を追って」
雑誌『ユリイカ 総特集安野光雅1926-2020』(2021年6月30日、青土社)

 アントニオとアヌンチャタは結ばれることはないが、偶然の出会いや、たがいの思い違いが重なって、うねるような物語の展開が作られてゆく。

 「をかしき楽劇」の章で、アントニオがアヌンチャタの演技に心を奪われる場面が描かれ、そこにグイド・レニの絵画《アウロラ》が引き合いに出されている。

アンデルセン作、森林太郎訳『即興詩人』(上下巻明治35年9月1日、春陽堂)
左、下巻。右、上巻、アヌンチャタをベアトリーチェ・チェンチに喩えた場面。
装幀は止水長原孝太郎、鷗外は母の視力を考慮して大きめの活字で組んだと言われている。

グイド・レニ《アウロラ》

 『即興詩人』「をかしき楽劇」の章には、演技するアヌンチャタを見たアントニオの感想として次のような記述が見出される。

我はこれを見聞きて、ギドオ、レニイ(伊太利画工)が仰塵画てんじやうゑ朝陽あさひと題せるを想出しぬ。その日輪の車を繞りて踊れる女のうちベアトリチエ、チエンチイ(羅馬に刑死せし女の名)の少かりしときの像に似たるありしが、その面影は今のアヌンチヤタなりき。我もし彫工にして、この姿を刻みなば、世の人これに題して清浄なる歓喜となしたるなるべし。

アンデルセン作、森林太郎訳『即興詩人』上巻(明治35年9月1日、春陽堂)
*人名には傍線が付されているが省略した。

 「ギドオレニイ」とあるのは、グイド・レニ(Guido Reni、1575-1642)のことで、イタリアの画家。
 当時、ローマの主流であったカラヴァッジオとは距離を置き、古典主義を代表する画家の一人。
 『即興詩人』で「朝陽あさひ」と呼ばれているのは、1614年にグイド・レニがローマのパラッツォ・パラヴィチーニ・ロスピリオージという建物に隣接するカジノ(ガーデンハウス)の天井に描いたフレスコ画である。
 芸術の後援者として知られていたスキピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の依頼で描かれた。日本では「曙」、「曙光」という題で知られているが、この文章では《アウロラ》としておきたい。

 モノクロであるが、『ハガキ文学』第3巻第1号(1906年1月1日)に口絵としてコロタイプ版で掲載された「曙光」を図版として引用しておこう。

ギド、レニー「曙光」(『ハガキ文学』第3巻第1号、1906年1月1日)コロタイプ

 カラー版を見たい方は、英語版ウィキペディアを参照されるとよい。

 右端に描かれているのがアウロラ、馬の手綱をひき、馬車に乗っているのがアポロンである。馬車を取り巻く7人の女性は、時を示す精霊である。
 
 アポロンは太陽神ヘリオスと同一視されることがあり、並列4頭立てのクアドリガに乗って毎日天空を渡っていく。クアドリガをニンフやプットが取り囲むのはバロック美術期の特徴とされている。

 女神アウロラはあけぼのの女神、太陽神ヘリオスの姉妹とされる。毎朝、ヘリオスを天空へ先導する役目を持つ。花を撒きつつ進むとされている。

 クアドリガを囲む女性たちは、ホライ(Horae)という、季節、時を象徴する精霊で、アウロラの侍女として描かれることがあるという。

安野光雅『繪本 即興詩人』

 安野光雅に『絵本 即興詩人』(2002年11月6日、講談社)という本がある。

 森鷗外訳『即興詩人』に魅せられた安野光雅が、物語の故地を巡りながら、絵を添えてまとめた本である。『即興詩人』の舞台となった場所を安野が巡る紀行であるが、翻訳者の森鷗外、原作者のアンデルセンを追体験しながら、物語をたどりなおすという重層的な構成が魅力となっている。

「をかしき楽劇オペラ」の章で、安野は次のように記している。

 さて、ローマの一角にパラッツォ・ロスピリオージという建物があり、そこにはグィード・レーニ(一五七五一六四二)という画家の傑作「オーロラ」があることが知られていた。
 その夜の舞台『楽劇の本読み』に登場したアヌンチャタの喜劇的な演技もまた観衆の喝采かっさいをうけるのだったが、プリマドンナ、アヌンチャタの姿を見て、アントニオはグィード・レーニの「オーロラ」を思い出した。その絵の中の〈日輪にちりんの車をめぐりて踊れる女のうちベアトリチエ・チエンチイのわかかりしときの像に似たるありしが、その面影は今のアヌンチヤタなりき〉とアントニオは思いはじめ、〈我は半ば病めるが如き苦悶くもんを覚えき〉というようになってしまった。

安野光雅『絵本 即興詩人』(2002年11月6日、講談社)

 添えられた安野の絵は、クアドリガを囲んでいる、時の精霊ホライ3人を描き、左から3人目のホライに焦点を絞ったものである。

 コロタイプ版を拡大して、A〜Gの7人のホライたちを示してみよう。

ギド、レニー「曙光」(『ハガキ文学』第3巻第1号、1906年1月1日)部分拡大図
A〜Gはアウロラの侍女としてのホライ

 『繪本 即興詩人』の安野の挿絵は、Cのホライをアヌンチャタとしている。

 安野は、挿絵のキャプションに次のように記している。

オーロラ◆グィード・レーニの「オーロラ」をもとにして、アヌンチャタらしき人を描くことができた。 この絵のもとになったのは、 バッカス (豊穣と葡萄酒の神)を乗せた馬車に踊りながらついて行く乙女たちの部分。伝説では、ギリシャのあちこちを遍歴するバッカスを見た女は、なぜか魅せられて踊りながらついて行ったという。

安野光雅『絵本 即興詩人』(2002年11月6日、講談社)

 クアドリガに乗る人物をバッカスとしているが、これは先にふれたように、太陽神ヘリオスと同一視されたアポロンである。

 また、クアドリガのまわりの女性は、アウロラの侍女として描かれることが多い時の精霊ホライである。 

ベアトリーチェ・チェンチ

 さて、アヌンチャタに似ているとアントニオが思ったのは、ベアトリーチェ・チェンチ(1577-1599)という、父殺しで処刑された実在の女性である。そうした判断をしたのは、おそらく、作者のアンデルセンが画像化された肖像を見ていたことが根拠になっているのだろう。

 ベアトリーチェは、エルシリア・サンタクローチェと、財産家であるが、気性が荒く、放蕩癖があるフランチェスコ・チェンチ伯爵の娘として生まれた。
 ベアトリーチェは家族と共謀して横暴な父を殺害する。共謀した4人は逮捕され、死刑を宣告される。
 処刑されたベアトリーチェは、専制的な貴族制への抵抗の象徴として物語化された。

 グイド・レニ作とされる、ベアトリーチェ・チェンチの肖像画が残されている。英語版ウィキペディアに画像がある。アンデルセンが『即興詩人』を発表した1835年にはグイド・レニ作と伝えられるベアトリーチェ像の複製が広く知られていたと推測できる。

ギド、レニー「曙光」(『ハガキ文学』第3巻第1号、1906年1月1日)A,B,Cの拡大図

 7人のホライの拡大図を見ると、全身と顔が描かれているのは、CとDである。

 Dは表情に強さがある。Cは優雅である。

 Cはアイドルグループでいうセンターのようで、安野がこれをベアトリーチェだとしたのは無理もないと思う。

 しかし、伝グイド・レニ作のベアトリーチェ像はどこか幼さの残る表情で、拡大図では、Aに似ているように思うが、どうだろうか。
 Bの可能性もあるかもしれないが、伏せ目なので、はっきり瞳が描かれているAに軍配をあげたい。

 アヌンチャタがベアトリーチェ・チェンチに似ているとされているのは、容貌だけではなく、その生の悲劇性にも関連していると見るべきだろう。

余談、プットについて

 グイド・レニの《アウロラ》の中央上部には、炬火をかかげる有翼の童子が描かれている。アウロラとともに描かれることがあるプットであろう。アウロラとともに進路を照らしている。
 『オックスフォード西洋美術事典』(1989年6月30日、講談社、佐々木英也監修)から「プット」の項の記述を引いておこう。

プット PUTTO(伊) 「幼児」の意。 この用語は美術の主題としての小さな男の子をさす。 あるいはもっと字義を拡大して,異教的であるにせよ, 人間そのものにせよ,キリスト教的に神的なものにせよ,子供を描いたものなら何にでも適用される。一般に古代ギリシアの愛の神エロス,またはそれに相当する古代ローマの擬人像アモルおよびクピド(キューピッド)から発展したもので、例外もあるがほとんどの場合は有翼の子供の姿をとる。
 プットは古典古代から装飾美術にしばしば登場するモティーフであった。 子供が生来もっている魅力が、居間や教会の装飾にひんぱんに描かれる理由ともなり、またギリシア的なアモルとユダヤ,キリスト教的なケルビム(智天使)との区別を曖昧なものとしてしまう原因ともなった。

『オックスフォード西洋美術事典』(1989年6月30日、講談社、佐々木英也監修)

 クピドから派生したプットは愛らしさから装飾美術に多用されたが、そのことが、天使「ケルビム」との区別を曖昧にさせたという指摘は興味深い。
 天使とクピドの混同については、稿を改めて整理してみようと思う。

 ところで、グイド・レニ《アウロラ》のプットが、第一次『明星』に使われている止水長原孝太郎の有翼の童子像のもとになっているという指摘(持谷靖子『絵画と色彩と晶子の歌』1996年12月10日、にっけん教育出版社)がある。

 この指摘を踏まえて画像を検討してみよう。

 止水長原孝太郎の有翼童子像は、最初はタブロイド判『明星』の第3号のタイトルプレートとして描かれた。その後、第6号(明治33年9月)から、第三「明星」第3号(明治35年9月)まで『明星』の裏表紙に用いられた。『明星』の単色木版・写真版などの挿絵を集めた第一次『明星画譜』(1901年12月、東京新詩社)の表紙画にも用いられた。

『明星』第八号(1900年11月7日、東京新詩社)裏表紙、長原止水画

 有翼童子の部分を拡大して、反転させてみる。

『明星』第八号(1900年11月7日、東京新詩社)裏表紙の反転画像 *トリミングあり。

 コロタイプ版の《アウロラ》のプットを拡大してみる。

ギド、レニー「曙光」(『ハガキ文学』第3巻第1号、1906年1月1日)部分拡大図

 足や腕などはたいへんよく似ている。 ただ、原画の方が腕の角度が若干高いようだ。

 画像の反転は、木版の制作過程を知るものには容易なことである。木版の版下絵は薄い紙で原図の輪郭をトレスし、反転させて板木に当てて線を写すからである。

 ジャン-アントワーヌ・ヴァトーに《シテール島への船出》(1717年、ルーブル美術館蔵)という作品があり、シテール島の案内人としてプットがたくさん描かれているが、空中に舞う一人(上から4人目)は炬火をかかげている。
 わたしはこれも長原止水の有翼童子像の材源の一つではないかと考えてそのことを指摘したことがある。

*ウィキペディア・コモンズの《シテール島への船出》のリンクを貼っておく。

 比較すると、《アウロラ》のプットのほうが相似度が高いようだ。《シテール島への船出》のプットは左手のみで炬火を持っている。

 ただ、腕の角度の違いなどから《アウロラ》のプットの完全なトレスではないようだ。

 明治の美術家たちは、西洋美術のさまざまな作品からモティーフを借りている。モティーフ借用の事例を集めれば、西洋美術の受容の諸相が明らかになるかもしれない。

【編集履歴】
○2022年10月23日、誤記修正
「『オックスフォード西洋美術大事典』」2箇所→「『オックスフォード西洋美術事典』」


*ご一読くださり、ありがとうございました。


 

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