聖母マリアと薬師如来:竹久夢二『山へよする』研究⑦
今回は、一連の口絵、扉絵の流れの中に登場する、女性画像の口絵について考えてみたい。
『山へよする』に掲載された画像は、絵の中に表題が刻まれたものもあるが、表題が不明のものもある。書物に画像の目次は付されていない。
今回検討する画像も表題が不明で、なぜ、口絵の中に加えられているのか最初はわからなかった。
調査するうちに、そのモチーフがおぼろげではあるが、浮かんできたので報告したい。
1 絵の配置について
まず画像をご覧いただこう。
印刷は三色版である。三色版はカラー印刷の手法で、黄、赤、青の網版を作成し、刷り合わせるものだ。拡大すると網点が出るので、原画の再現精度は木版より劣った。
女性の背後には川か、海峡があり、船が浮かんでいる。
最初見たときは、黒衣の女性は尼僧ではないかと考えた。しかし、有髪のように見える。右手に持つのは蓮の花芯であろう。
まず、この絵の『山へよする』の中での配置について確認しておこう。
扉、見開き中扉、今回の女性像、「序の歌」扉、序の歌、《桃樹園》という順序で画像が配置されている。《桃樹園》で口絵、扉絵の流れは終わり、その後、短歌の「果実篇」の章が始まる。
中扉から《桃樹園》までの配列を画像として提示しておこう。
2 薬師如来?
さて、この女性像について、坂原冨美代氏の『夢二を変えた女 笠井彦乃』(2016年6月、論創社)に、次のような指摘がある。
坂原氏がこの口絵の題を《薬師如来》としているのは、1918年に京都で開催された第2回の竹久夢二抒情画展覧会の出品作であるからのようだ。
この展覧会の目録のコピーを所持しているので、調べると、《薬師如来》という絵が掲載されている。
目録はモノクロであり、かつコピーであるので、細部の比較はできない。女性の髪色が異なるなどの差異はあるが、ほぼ口絵と同じ構図である。
仏像の装飾について、一般的に蓮華を持つのは観音像とされており、薬師如来は薬壺を持つ場合が多い。
ただ、《薬師如来》の女性が手に持つ蓮は、薬師如来像の台座である蓮の花をかたどった蓮華座を暗示するものである可能性がある。
薬師如来は、人の病を癒やす力を持ち、医王仏とも称される。日本では、天武天皇が皇后の病気平癒を念願して、薬師如来像を発願して以来、薬師如来を本尊とする寺院が多数造られた。
一般的に、薬師如来像は左手に薬壺か宝珠を持ち、右手は施無畏印(右手の5指をそろえてのばし、肩の位置まで上げ、手のひらを表にするかたち)を結ぶ場合が多い。また、日光・月光の2菩薩が脇に侍し、薬師如来の12の誓願を表す十二神将が護法身としてまわりを囲むことが多いとされる。
《薬師如来》像を口絵に配するのは、坂原氏が指摘したように、笠井彦乃の病気平癒の祈りを込めていることを示しているのだろう。
しかし、竹久が描いた《薬師如来》は、まったく伝統的なコードををみたすものではない。竹久は、なぜ、西洋的な容姿をもつ薬師如来像を描いたのだろうか。
3 《悲しみのマリア》像
《薬師如来》には、竹久の南蛮文化ヘの関心が表れているのではないか。
大正初年に、南蛮趣味が流行したが、竹久もその影響を受けた絵を描いている。
大正8年8月、竹久は長崎在住の趣味人永見徳太郎のもとに次男不二彦とともに滞在し、長崎の名所を永見に案内してもらった。その経験をもとに、翌9年に《長崎十二景》が制作され、永見に贈られた。たとえば、《浦上天主堂》は、天主堂を背景に首から十字架をさげた日本の娘を描いており、《薬師如来》に通じる要素が感じられる。
南蛮趣味の背後には切支丹美術が深い関わりをもって存在しているように思われる。
《薬師如来》の構図に似ている聖母マリア像が、大阪の南蛮文化館に所蔵されており、《悲しみのマリア》と呼ばれている。
キリスト教関連のオンラインメディアであるCHRISTIAN TODAY配信の南蛮文化館を紹介した下記記事(土門稔記者執筆、2014年11月13日配信)に《悲しみのマリア》像が紹介されているので、ご覧いただきたい。
南蛮文化館発行の『南蛮美術』(1968年11月)から、「悲しみのマリア画像」の解説を引用しておこう。
《悲しみのマリア》像は、聖画として信仰の対象となり、日本人画家の聖画制作の手本にもなったと推測される。
大正7年秋に開催された竹久夢二抒情画展覧会に出品された《寂しき食卓》は、目録に収録された画像によると、子どもの食事の様子を描くが、皿の上の食物は貧しい。聖母マリアらしき画像が壁にかけられている。その画中画の女性像の構図は《悲しみのマリア》像によく似ている。
貧しき信徒の暮らしを聖母マリアが見守っているという趣向だろう。
4 マリア観音
さて、《悲しみのマリア》像は、キリストの死を悼む聖母マリアを描いている。
竹久の《薬師如来》は、聖母マリア的な洋装の女性を、薬師如来に見立てている。このねじれの由来はどこにあるのだろう。
禁制下のキリシタンたちが信仰の対象にしたマリア観音という像があった。清代の福建省で制作された白磁の観音像を仏壇に納めて、聖母マリアとして、信仰の対象にしたのである。
『国史大辞典』で、井出勝美氏はマリア観音について次のように解説している。
禁制下の切支丹信者たちは、清代に制作された白磁、青磁の慈母観音像をマリアに見立てて転用し、信仰の対象にしたのである。早くから定着していたマリア信仰が母性信仰の下地に助けられて、清朝に作られた観音像をマリアに見立てるようになったのであった。
観音像には、子どもを抱かない白衣の立像と、子どもを抱いた座像があったという。
東京国立博物館蔵のマリア観音像を一体紹介しておこう。
マリア観音は、仏像をマリアに見立てるというねじれを内蔵していた。
マリア観音にみられるねじれを反転させるとどうなるだろう。聖母マリア的な画像を仏像に見立てるという方向が見出せるのではないだろうか。
先に指摘したように、竹久の《薬師如来》は、蓮を持っているので、図像的なコードから見ると観音像であるほうがふさわしい。あるいは、これも指摘したように、蓮は薬師如来の台座である蓮華座の暗示である可能性もある。
どうして、《薬師如来》が選択されたのかというと、先の坂原冨美代氏の指摘にあるとおり、笠井彦乃の病気平癒の祈願をこめるという動機が強く働いたからであろう。
少し、距離をとって、竹久の動機を眺めると、南蛮趣味への関心の底には、和洋の不思議な混淆にひきよせられる気持が流れている。モチーフを和洋の混淆から和洋の反転に進めれば、《薬師如来》のような画像が生まれるのではないだろうか。
《薬師如来》の女性像は、聖母マリアのように見える。聖母マリアを薬師如来に見立てるという反転は、異質な文化を内面化してみせる画像実験を示しているように思える。
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