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聖母マリアと薬師如来:竹久夢二『山へよする』研究⑦

 今回は、一連の口絵、扉絵の流れの中に登場する、女性画像の口絵について考えてみたい。

 『山へよする』に掲載された画像は、絵の中に表題が刻まれたものもあるが、表題が不明のものもある。書物に画像の目次は付されていない。

 今回検討する画像も表題が不明で、なぜ、口絵の中に加えられているのか最初はわからなかった。

 調査するうちに、そのモチーフがおぼろげではあるが、浮かんできたので報告したい。


1 絵の配置について

 まず画像をご覧いただこう。

竹久夢二『山へよする』口絵(無題)
*新潮社刊、初版は大正8年2月、図版は大正10年9月20日の第9版による


竹久夢二『山へよする』口絵(無題)
*新潮社刊、初版は大正8年2月、図版は大正10年9月20日の第9版による

 印刷は三色版である。三色版はカラー印刷の手法で、黄、赤、青の網版を作成し、刷り合わせるものだ。拡大すると網点が出るので、原画の再現精度は木版より劣った。

 女性の背後には川か、海峡があり、船が浮かんでいる。
 最初見たときは、黒衣の女性は尼僧ではないかと考えた。しかし、有髪のように見える。右手に持つのは蓮の花芯であろう。

 まず、この絵の『山へよする』の中での配置について確認しておこう。
 扉、見開き中扉、今回の女性像、「序の歌」扉、序の歌、《桃樹園》という順序で画像が配置されている。《桃樹園》で口絵、扉絵の流れは終わり、その後、短歌の「果実篇」の章が始まる。

 中扉から《桃樹園》までの配列を画像として提示しておこう。

『山へよする』巻頭の頁構成図

2 薬師如来?

 さて、この女性像について、坂原冨美代氏の『夢二を変えた女 笠井彦乃』(2016年6月、論創社)に、次のような指摘がある。

もう一枚の口絵は右手に蓮の枝を持って、左手で祈る黒衣の女性 《薬師如来》が置かれた。 これは想い出深い湯涌で描かれ、第二回の竹久夢二抒情画展覧会に出品された絵のようだ。その展覧会の中日に東京に連れ戻されていた彦乃が戻り、歓喜した想い出に繋がり、彦乃の病の快癒を祈る意味も込められているのだろう。

坂原冨美代『夢二を変えた女 笠井彦乃』(2016年6月、論創社)272頁

 坂原氏がこの口絵の題を《薬師如来》としているのは、1918年に京都で開催された第2回の竹久夢二抒情画展覧会の出品作であるからのようだ。

 この展覧会の目録のコピーを所持しているので、調べると、《薬師如来》という絵が掲載されている。

竹久夢二《薬師如来》
『竹久夢二抒情画展覧会目録』のコピーより図版作成


 目録はモノクロであり、かつコピーであるので、細部の比較はできない。女性の髪色が異なるなどの差異はあるが、ほぼ口絵と同じ構図である。

 仏像の装飾について、一般的に蓮華を持つのは観音像とされており、薬師如来は薬壺やくこを持つ場合が多い。
 
 ただ、《薬師如来》の女性が手に持つ蓮は、薬師如来像の台座である蓮の花をかたどった蓮華座れんげざを暗示するものである可能性がある。

 薬師如来は、人の病を癒やす力を持ち、医王仏とも称される。日本では、天武天皇が皇后の病気平癒を念願して、薬師如来像を発願して以来、薬師如来を本尊とする寺院が多数造られた。

 一般的に、薬師如来像は左手に薬壺やくこか宝珠を持ち、右手は施無畏せむい印(右手の5指をそろえてのばし、肩の位置まで上げ、手のひらを表にするかたち)を結ぶ場合が多い。また、日光・月光の2菩薩が脇に侍し、薬師如来の12の誓願を表す十二神将が護法身としてまわりを囲むことが多いとされる。

 《薬師如来》像を口絵に配するのは、坂原氏が指摘したように、笠井彦乃の病気平癒の祈りを込めていることを示しているのだろう。

 しかし、竹久が描いた《薬師如来》は、まったく伝統的なコードををみたすものではない。竹久は、なぜ、西洋的な容姿をもつ薬師如来像を描いたのだろうか。

3 《悲しみのマリア》像

 《薬師如来》には、竹久の南蛮文化ヘの関心が表れているのではないか。
 大正初年に、南蛮趣味が流行したが、竹久もその影響を受けた絵を描いている。

 大正8年8月、竹久は長崎在住の趣味人永見ながみ徳太郎のもとに次男不二彦とともに滞在し、長崎の名所を永見に案内してもらった。その経験をもとに、翌9年に《長崎十二景》が制作され、永見に贈られた。たとえば、《浦上天主堂》は、天主堂を背景に首から十字架をさげた日本の娘を描いており、《薬師如来》に通じる要素が感じられる。
 南蛮趣味の背後には切支丹キリシタン美術が深い関わりをもって存在しているように思われる。

 《薬師如来》の構図に似ている聖母マリア像が、大阪の南蛮文化館に所蔵されており、《悲しみのマリア》と呼ばれている。

 キリスト教関連のオンラインメディアであるCHRISTIAN TODAY配信の南蛮文化館を紹介した下記記事(土門稔記者執筆、2014年11月13日配信)に《悲しみのマリア》像が紹介されているので、ご覧いただきたい。

 南蛮文化館発行の『南蛮美術』(1968年11月)から、「悲しみのマリア画像」の解説を引用しておこう。

1.悲しみのマリア画像 (画布油彩、舶載)縦52.5 横40
 大正の中頃に越前北ノ庄 (福井) の代々医者である旧家から発見されたもので、 竹筒に収めて土蔵の壁の中に塗りこめてあった。当時、国字の教義書「こんてむつす・むんぢ」 (世を厭いゼス・キリストをまなび奉る経)という和綴本、 銅版聖画二十枚、 全教会暦祝日図絵の他、十字架、 メダル、ロザリオ等が共に見つけ出された。
 この画像はキリスト磔刑の場に於ける悲痛な聖母の容貌と心情が実によく表現されていて、十六世紀中葉の南欧に於ける傑れた画家の筆になるもので、我が国に現存する聖母画の中でも名品の一つに挙げられている。

『南蛮美術』(南蛮文化館、1968年11月)

 《悲しみのマリア》像は、聖画として信仰の対象となり、日本人画家の聖画制作の手本にもなったと推測される。

 大正7年秋に開催された竹久夢二抒情画展覧会に出品された《寂しき食卓》は、目録に収録された画像によると、子どもの食事の様子を描くが、皿の上の食物は貧しい。聖母マリアらしき画像が壁にかけられている。その画中画がちゅうがの女性像の構図は《悲しみのマリア》像によく似ている。
 貧しき信徒の暮らしを聖母マリアが見守っているという趣向だろう。

竹久夢二《寂しき食卓》
『竹久夢二抒情画展覧会目録』のコピーより図版作成


4 マリア観音

 さて、《悲しみのマリア》像は、キリストの死を悼む聖母マリアを描いている。

 竹久の《薬師如来》は、聖母マリア的な洋装の女性を、薬師如来に見立てている。このねじれの由来はどこにあるのだろう。

 禁制下のキリシタンたちが信仰の対象にしたマリア観音という像があった。清代しんだいの福建省で制作された白磁の観音像を仏壇に納めて、聖母マリアとして、信仰の対象にしたのである。

 『国史大辞典』で、井出勝美氏はマリア観音について次のように解説している。

長崎県の外海・浦上・五島・生月島地方の潜伏キリシタンが、清代中国渡来の白磁や青磁の仏像である慈母観音像をサンタ=マリアに仮託して崇敬の対象にしたもの。この名称はキリシタン自身の用語ではなく後世の学者がつけたもので、幕末に官没されたもの、あるいは潜伏キリシタン、類族または今日の隠れキリシタンの信仰対象という明白な伝来のない限り、マリア観音とは称されない。日本人神学生イルマンと同宿が学んだ『神学綱要』(日本準管区長ペドロ=ゴメス著、文禄三年(一五九四))などにマリア論として解説され、また最も多い聖母マリアの祝日の行事を通じて定着していたマリア信仰が、禁教時代の迫害下に母性信仰を好む日本人の宗教意識によって深められ、キリシタン時代の崇敬物の不足を補い官憲に怪しまれずに祀るため、マリア像の代用として崇敬されるに至ったのである。

『国史大辞典』(吉川弘文館)「マリア観音」の項
*JapanKnowledge Personalによる。2024/08/26参照

 禁制下の切支丹信者たちは、清代に制作された白磁、青磁の慈母観音像をマリアに見立てて転用し、信仰の対象にしたのである。早くから定着していたマリア信仰が母性信仰の下地に助けられて、清朝に作られた観音像をマリアに見立てるようになったのであった。

 観音像には、子どもを抱かない白衣の立像と、子どもを抱いた座像があったという。

 東京国立博物館蔵のマリア観音像を一体紹介しておこう。

《マリア観音像》東京国立博物館蔵、長崎奉行旧蔵品
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0001737
*2024/08/26参照

 マリア観音は、仏像をマリアに見立てるというねじれを内蔵していた。

 マリア観音にみられるねじれを反転させるとどうなるだろう。聖母マリア的な画像を仏像に見立てるという方向が見出せるのではないだろうか。

 先に指摘したように、竹久の《薬師如来》は、はすを持っているので、図像的なコードから見ると観音像であるほうがふさわしい。あるいは、これも指摘したように、蓮は薬師如来の台座である蓮華座の暗示である可能性もある。
 どうして、《薬師如来》が選択されたのかというと、先の坂原冨美代氏の指摘にあるとおり、笠井彦乃の病気平癒の祈願をこめるという動機が強く働いたからであろう。

 少し、距離をとって、竹久の動機を眺めると、南蛮趣味への関心の底には、和洋の不思議な混淆こんこうにひきよせられる気持が流れている。モチーフを和洋の混淆から和洋の反転に進めれば、《薬師如来》のような画像が生まれるのではないだろうか。

 《薬師如来》の女性像は、聖母マリアのように見える。聖母マリアを薬師如来に見立てるという反転は、異質な文化を内面化してみせる画像実験を示しているように思える。


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