ネコの心筋症
8月、飼いネコの食欲が衰え、体重も減ってきていたので、心配になり、市内のA動物病院を受診した。
ネコは雑種で7歳のオス。知人の家の庭で生まれた子猫だった。
医師の診断は「口内炎」
口が痛いから食べないのだろうということだった。
私は「え?」と思ったが、その日は炎症を抑える注射と点滴を受けた。
この頃は食欲はないもののまったく食べないわけではなかったので、様子を見ていると、食べた後に左の奥歯を気にしているように見えたので、やはり口内炎なのかと納得した。
それから、1日おきくらいで受診し、注射と点滴を続けた。
数日後、少し元気になったように見えたが、食欲は落ちていった。
口の中をのぞいても口内炎らしきものは見えないが、医師は「たぶん見えないところにあるんだろう」と言った。
そして、その病院がお盆休みに入ってしまうという時期になってもネコの体調は回復せず、毎日通って注射と点滴を続けた。
ゴハンを食べないので、やわらかいペースト状にしたものをシリンジで入れようとしたが、それもイヤがった。
病院もお盆休みに入ってしまい、休み明けまでこのままだろうかと思っていたが、ネコの様子がおかしくなった。
朝、シリンジでゴハンをあげようとしたら、今までにないくらい苦しそうに口を開けて息をし始めたのだ。
これは放っておけないとその日にやっている別の病院を探し、B動物病院が開くのを待って受診した。
そこはかなり大きな設備の整った病院だが、受付では新患は受け付けないという雰囲気で対応された。
「かなり具合悪いですか?」と聞かれ、そうだと答えるとなんとか診てもらえることになった。
診察室に通され、そこに女医がいた。まず聞かれたことは「今回は応急処置の目的ですか?それとも、今後はこちらで診るということでよいですか?」ということだった。
あとで、聞いた話だが、この病院は他の病院にかかっていた動物を診るのを嫌うらしい。
私はそんなことは知らなかったが「ここで診ていただきたいです」と答えた。
すると「わかりました。とりあえず必要な検査を行いますが、だいたいの費用はこのくらいです」と先に金額の説明があった。
他より高いと思ったが、もう頼るしかなかった。
ネコが息苦しそうなのを見て、まずは酸素チューブを用意し、鼻の近くに酸素を吸わせるようにした。
その後、血液検査とレントゲンの撮影をした。
血液検査については、検査の業者もお盆休みに入っているため、結果がわかるまでに数日かかると言われた。
そして、レントゲンの結果については別室でと、薄暗い部屋に通された。
レントゲン画像を映したモニターの前には恰幅のよい院長らしき男性医師がいて、私を見るなり、渋い顔をした。
「胸に水が溜まってます」
正面から撮ったレントゲンを見ると、肺の部分が真っ白になっている。
「これ、全部水だから、そしてこれが横からの写真ね、これが肺、水で圧迫されて、こんなに小さくなってるから」
人の男性の親指くらいの黒い部分があり、それが今の肺の大きさだという。
息が苦しいのは当たり前だ。
そして、医師は首を横に振りながら「3、4日がヤマだね」と言った。
ヤマ???ヤマってなに?
「もっと早くうちに来てれば、ここまでならなかったのに」
私の頭の中は首を振った医師の顔とヤマという言葉で一杯になった。
「通っていた病院では口内炎と言われたのですが」というと、医師は「口内炎なんてないよ」と断言された。
「それでね、血液検査の結果が出ないと、感染症があるかどうかもわからないし、今どうしようもないから」と言われた。
診察室に戻ると、ネコは点滴をされていた。
「とりあえず、水を出させるための注射と点滴をします、状態が良くないので、また夕方に来てください」と言われた。
ネコは自分で動くことはしなくなっていて、トイレにも行けないので、ペットシートを敷いた。少し動くと尿が出るという状態だった。
キレイ好きなネコが自分でトイレに行けないというのはよほどの状態なのだと思うと、後悔ばかりが心を埋める。
家に帰っても、ネコは動かず、私もそばを離れられない・・・
どうしよう、もうダメなのか・・・苦しませないためにはどうしたら・・・
そんなことをずっと考えていた。
そして、夕方もう一度病院に行き、注射を打ってもらった。
その病院の支払いは現金のみ。高額になり、朝は手持ちが足りないと伝えると、とりあえず半分払ってもらえれば、残りは夕方に来たときに精算でいいという話になり、その日の分は夕方に全部支払って終わった。
翌日は手術日で一般の診察はないということだったが、注射だけしたほうがよいということになり、朝早めの開院前に行くこになった。
自宅に戻り、私は悩んだ。
本当にどうしようもないの?なにか方法はないの?
そこで、友人の犬が通っているという少し離れた町の動物病院に問い合わせてみることにした。もう診療時間は終わっている時間だったので、メールを送った。明日までに返事がもらえればいい。
すると夜10時くらいに電話が鳴った。
「メールの返信が出来ないようなので、電話しました。C動物病院です」
メールをした病院の医師からだった。
「メールを読みましたが、胸水が溜まってるということであれば、エコー検査をすると状態がわかるし、その水を抜けばある程度原因がわかりますよ。エコー検査はしましたか?」と聞かれ、していないと答えた。
「胸水を抜いていただきたいのですが」と言うと、「こちらに来るのであれば、念のため、いま通っている病院で使っている薬を聞いてきて欲しいのですが、ほかの病院へ行くというと嫌がる先生もいますから、どうしますか?」と言われた。
たしかにほかの病院にかかるとは言えない・・・でも、ほかに方法がない。なんとかするしかない。
「大丈夫です、薬の名前を確認して、そちらに伺います。予約制とのことですが、明日でも診ていただけますか?」というと「大丈夫です、この電話で予約ということでいいですから、お昼くらいまでに来てもらえれば診ることはできますよ」とのことだった。
この時の私はワラをもすがる思い、だった。
夫に相談すると「薬の名前を聞くなら、薬剤師の夫がどんな薬を使っているのか知りたがっていると言えばいい」と言ってくれた。
そして、翌朝、ネコを連れてB病院へ、昨日と同じ点滴と注射を受け、その後、担当の女医に薬の名前を教えて欲しいと言うと、院長が現れ、ぼそぼそと薬の名前を言い出した。
私は医療系で学んだことがあるので、なんとか聞き取ることができたが、普通の人には理解できないであろう説明だった。
夫の職場を聞かれたので答えると、そこにいる知人の医師の名前を出してきたが、当然、私は知らないので、それ以上話は進まずに終わった。
そして、私はそのままネコを連れ、C病院へと走った。
車で2時間、キャリーに入れたままでは辛いだろうと思うが、仕方がない。
ただ祈るしかなかった。
そして、C病院に着いた。
想像していたのよりこじんまりとした病院だった。
病院に入ると、少し待ってから診察室に通された。
診察室にいたのは電話をくれた院長だった。
すぐにエコー検査をした。
私の目の前でエコーを当てながら、説明を始めた。
「これが溜まっている水で・・・原因はたぶん、心臓です」
心臓・・・
「これが心臓の動きなんですが、異常に速いです。」
想像もしなかった。
「それと、点滴の水分が皮下に溜まっていて、胸水を抜くにはじゃまになっているので、この水分が落ち着いてから胸に針を刺して水を抜きます。それまでは息も苦しいので酸素室に入れておきますね。酸素が体に取り込めないから、よけいに苦しいんですけど、水を抜けばラクになるはずですから。
いったんお預かりして、たぶん2時間くらいはかかると思いますので、街でも周ってきてください」と言われ、私は一度病院を出た。
病院を出たのは昼すぎだったが、昨日のB病院での「ヤマ」という言葉が頭から離れず、食欲はまったくない。
ふだんであればおいしいものを探してランチでも、と思えるのだが、そんな気にはまったくなれず、とりあえず神社に行くことにした。
まさに神頼み・・・でも、ほかにできることがない。
そして、2時間後、ちょうど病院の駐車場に着いたときに電話がなった。
「処置が終わったので、お越しください」
診察室に入り、院長から説明を受けた。
まずはネコの状態を見せ「酸素室に入れてたので、少しラクになったと思いますよ」と言った。
「そして、これが抜いた胸水です」と見せられたのは膿盆に入った黄色く澄んだ液体だった。変な言い方だが、にごりがなくとてもきれいな色だった。
「全部で200ミリリットル抜けました」
200ミリリットルも溜まっていたのか・・・
「これが肺を圧迫していたのでかなり苦しかったと思いますが、抜いたあとはラクになるはずです。透き通っているので、膿ではないということで感染症ではないです。」
「それと、口内炎はなさそうですね」
やはり・・・。
そして、再びエコーを当てた。
「これを見てもらうと、心臓の動きが早いのと、形が変形しているのが分かります。拘束型か拡張型か・・・はっきりはしないんですが、心筋症で間違いないです。」
「原因はなにかあるのですか?」と聞くと、「遺伝の場合が多いですが、兄弟とかいますか?」と聞かれたので、「兄弟ネコを飼っている知人がいるので確認してみます」と答えると「いちおう知らせておいたほうがいいと思います」とのことだった。
「これは手術でどうこうというのは難しいので、ラクになるように薬で治療していくしかないと思います。完治はしないと思ってください。それと酸欠状態が続いているので、自宅でも酸素ハウスに入れたほうがいいと思います。レンタルもありますから」と酸素ハウスのパンフレットを渡された。
「今日はこれで終わりですが、胸水は何度か抜かないといけないと思います。近くの病院で胸水を抜いてもらえればいいんですけどね」と言われ、「たぶんないです」と答えた。
「いちおう、今日は薬と抜いた胸水も少し渡しますので、他の病院に行くのであれば持って行って見てもらってください」とプラスチックの試験管に入れた胸水を渡された。
「あと、なにも食べないということですが、少しでも食べさせたほうがいいので、やわらかいもので食べそうなものをできるだけあげてください。こんなのもありますから」と病院専用の「エナジーちゅーる」を渡され、帰路についた。
とりあえず、胸水を抜いたことに安心はできたが、ネコが動けない状態なのは変わらない。
夫と相談し、酸素ハウスをレンタルすることにした。
休日でも受け付けてくれるらしいので翌日、電話したところ、配達範囲ではないがすぐに送ってくれるとのことで、その翌日に着くことになった。
2日後。
酸素ハウスが届いた。
透明なプラスチックのケージと酸素を発生させる酸素濃縮機とそれにつなぐチューブ類が付いているが酸素濃度計測機だけは別料金でレンタルとなる。
早速、つないで電源を入れ、酸素濃度を確認する。
ここで初めて知るというか実感するのだが、日常暮らしている空気中の酸素は21%前後で、酸素ハウスの中は38%前後になるように設定されている。
開け閉めができる小さな窓もついているので、多少の調整は出来るようになっている。
そして、酸素濃度が安定したのを確認して、ネコを入れる。
ケージの中にちょうどよくおさまるネコベッドがあったのでそれを中に入れ、その上に寝かせた。
シューという酸素濃縮機のコンプレッサーの音がやや大きいがネコがおびえるほどではないようだ。
しばらくはその中にいてもらわなければならない。
とりあえず、数時間、ネコを入れてみた。
胸水を抜いてから2日め、少しラクになっているのが目に見えてわかる。
ハァハァと細かく刻んでいた呼吸も落ち着いてきた。
しかし、透明なケースに閉じこめておくには限界があった。
ケージのドアを開けると、出たがるようになった。
ケージの中は空気を送り続けているので、目や鼻が乾燥するようだった。
ケージの中にコップに入れた水を置いたりもしたが、あまり状態は変わらないようだ。
仕方がないので、外に出してみたが、基本的に身を隠せるところに入りたがる。これもネコの本能だ。具合が悪いときには敵に襲われないように身を隠すのだ。
ヨタヨタとしながら、ネコ用に置いていたダンボールやキャットタワーに逃げ込む。
しかし、それはそれで助かった。
酸素濃縮機からのばしたチューブをそこに入れておけば、その中は酸素濃度が上がるのだ。
マカロン型のキャットハウスが一番安心だった。
本人もそこだと落ち着けるようだった。
あとは私の枕の横に置いたペット用ヒーターの上、そこには囲いはないが、鼻のそばに酸素マスク(プラスチックのカップ)をつけたチューブをのばして置く。
夜中も薄明かりをつけたままにし、ネコが動けばそこに酸素チューブを移動するというのをくり返した。
そして、胸水を抜いてから3日目、再びC病院へ向かった。
エコーで胸水を見てもらうと、また溜まっていたため、抜いてもらうことに。今回は50ミリリットルだった。
「前回よりはかなりラクになっているようですが、食べないことで体重が減っているのが困りますね・・・点滴では栄養にならないので、なんとか口からモノを食べてもらわないと」と言われた。
しかし、本人はいっこうに食べようとしない。
当然ながら、体重は減る一方だ。
その翌週、私が出張で3日間家を空けなければいけないという問題もあったので、その間はネコを入院させてもらいたいとお願いした。
その入院までは、つきっきりで様子を見、薬を飲ませた。
しかし、食欲はまったくないままだった。
通常はJRを利用する出張だが、今回はネコの入退院があるため、車で行くことにした。
家を出発し、2時間かけて病院にネコを預け、そこからさらに2時間で出張先に着く。
病院で、「入院中なにかあれば連絡します。もし食事をしないようであれば鼻からチューブを通して強制給餌をするようにします」と言われたが、私もそのほうがよいと思ったので「お願いします」とネコを預けた。
そして2泊の出張。
病院から急変の連絡がきたらどうしようと思いながら過ごしたがなにもなかった。
出張を終え、病院へ向かった。
診察室に入ると鼻にチューブをつけられたネコの姿。
ちょっと痛々しい。
「入院中、胸水は溜まっていないので、大丈夫そうです。でも食事はしなかったので、チューブを付けました。このチューブから薬も食事も入れられるので、このほうがラクだと思います。」と院長からチューブから給餌をする方法の説明を受けた。
薬は心臓の動きを整え、抑えるものと、血栓症を防ぐ薬を処方された。
チューブが付いたのでこれでなにも食べないという心配はなくなる。
1日量少なくても120ミリリットルを数回に分けて摂らせることになる。
1回量が20ミリリットル、これを6回という計算だが、あまり間を開けると1日量に満たなくなるため、仕事の時間を調整した。
このチューブは10日から2週間、長いと3週間くらいはもつと言われたが、1週間で外れた。鼻の横に糸で固定しているのだが、かさぶたになって外れてしまい、固定できなくなったチューブがゆるんで抜けてしまったのだ。
チューブが外れても本人の食欲は戻らないので、再度病院で付けてもらう。
この頃には酸素ハウスも必要がないだろうと言われたが、調子が悪い時には入れたほうがよいので、とりあえずレンタルは続けることにした。
呼吸が苦しくないということが分かるのは、横になって寝るようになったからだ。苦しい時はうずくまるように固まったまま、動かないのだ。
少しずつ動くようになり、トイレにも行くようになった。
そして、まだ隠れているほうが安心なのか、ベッドの毛布にもぐったり出たりをくり返すので、鼻のチューブが引っかかり、取れやすくなっているのだろう。
2回目につけたチューブは5日で外れた。
また病院に連絡すると、「食べているなら問題ないんですが」と言われたが、まだ何も食べていなかったため、3度目のチューブをつけてもらった。
そして今度は4日で外れた。
しかし、この頃、少し食べ物に興味を示すようになり、ドライフードを数粒食べたりはしたので外れてから2日ほど様子を見たが、それきり食べなくなったので、再度チューブを付けた。
「嫌がるかもしれないけど、エリザベスカラーを付けるとチューブは外れにくくなりますよ」と言われ、試してみることにした。
すると、本人は思ったほど嫌がらず、カラーを付けた生活にほどなくして慣れた。狭いところは通れないし、あちこちにカラーをぶつけて歩いてはいるが、ストレスを感じている様子はない。
この効果で4回目のチューブは3週間もった。
だんだんとチューブの流動食の1回あたりの量も30ミリリットルを超えるくらいまで増やせるようになり、1日量は200を超えた。そして、体重が増えてきたのと同時に、食欲も出てきた。
自分からドライフードを食べるようになってきたのだ。
ネコがゴハンを食べるだけでこんなにもうれしいものか・・・としみじみ実感した。
自力で水を飲み、ゴハンを食べる。
当たり前のことが本当にうれしい。
そして、チューブが外れた数日後に、私が住んでいる町にC病院の院長の出張診療があったので、そこで診察を受けた。
院長はネコを見るなり「別のネコみたいになりましたね」と言った。
ガリガリしていた背骨の周りにも肉がついてきていた。
一番やせてしまった頃に比べると700グラム増えていた。
「心臓の動きは速いけど、調子はよいと思っていいでしょう。とりあえず、薬を続けていきましょう。また食べなかったり、体重が減ってきたら、注意してください」と言われて診察は終わった。
とりあえず、ひと安心と言っていいのだろうか・・・
口内炎といわれた初診から2ヶ月が過ぎ、やっとゆっくり眠れる日々が戻ってきた。
とはいえ、完治はしないし、いつなにが起こるかわからないという覚悟では暮らしている。
でも、この2ヶ月、いろんなことを考え、ネコ本人が苦しまないようにどうするべきかを考えていくしかないと思うようになった。
本人はただただ生きているのだ。
苦しい時は動かないようにし、ラクになれば動く。
その暮らしを守っていくだけだ。
それが同居を決めた下僕の役割。
少しでも長くこの生活が続くよう、願うしかない。