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【プラスチックの海を見た感想】文明の発展と人類の責任

一言で言うと、非常にショッキングな映画でした。

日ごろから海洋プラスチックについて情報収集している身からすると、海にはどれだけプラスチックがあって、毎年何トン流出しているといったようなことは知っていたため数値データにこそ目新しさはありませんでしたが、海洋生物や貧困国の人々が苦しんでいる様子を実際の映像で見ると胸に突き刺さるものがありました。

※海洋プラスチック問題については以下の記事にまとめたので、詳しく知りたい方はどうぞ

プラスチックが海を殺し、地球を殺す

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知らず知らずのうちに大量のプラスチックを食べてしまい、苦しそうに口を大きく開くクジラ、まともに泳げなくなってしまったカメ、今にも途切れそうな弱々しい息遣いの海鳥...

いたたまれない気持ちになって何度もスクリーンから目を背けたくなりましたが、人類の犯した罪から逃げてはいけないと思い、目を見開いて焼き付けました。

クジラはプランクトンを食べるために大量の水を飲み込みますが、プラスチックとプランクトンを見分けることはできません。

カメはクラゲを餌として食べますが、海中を漂うレジ袋とクラゲを見分けることはできません。プラスチックが体内に入るとガスが発生し、上手く泳げなくなります。

海鳥はプラスチックを餌と間違えて食べてしまいます。作中に出てくるミズナギドリの死骸からは、234個ものプラスチック片が見つかりました。過去最多は、生後90日のひなから出てきた276個。重さは体重の15%にもなり、人間に置き換えると6キロ~8キロ(ピザ12枚分)のプラスチックが胃の中に含まれることになります。

食物連鎖という切れない鎖でつながっていることを考えると、地球上に存在するほぼすべての生命がプラスチック汚染の被害者だと言えるでしょう。

「プラスチックは悪」は正しいか

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映画は問題提起としては素晴らしいものでしたが、プラスチックに対する嫌悪感が暴走して過激になりすぎている部分もあるように感じました。

作中では、リポーターがいろいろな飲食店に行って食べ物を頼み、プラスチックの以外の容器で用意できる場合のみ購入するという検証を行っていました。

紙製の容器を見ると「ナイスだね!」と言っていましたが、紙の使用によって失われる森林資源もあるため、一概に紙が良いとは言えないでしょう。

またプラスチックは、非常に衛生的な包装材料として食品を長持ちさせ、フードロスを削減したり、軽くて丈夫な特性を活かしてエネルギー効率を高めたりすることで、環境負荷を減らしている側面もあります。

直接的な表現はなかったものの、すべてのプラスチックは悪であり、紙をはじめとした他の材料に変えたほうがいいというメッセージに捉えられかねない演出には疑問が浮かびました。

プラスチックをどこまで変えればいいのかは正直わかりませんが、ケースバイケースなのは間違いないでしょう。

プラスチック問題から考える人類のあり方

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プラスチック問題が示しているのは、人類の身勝手さではないでしょうか。

人類は、地球上の生物で唯一、地球に住ませていただいている自覚がないように思います。

「生活が便利になるから」という理由で数々の発明を生み出し、文明を発展させてきましたが、ほとんどが処理方法まで考えていないため、作りっぱなしになっています。

資本主義の仕組み上、何かを発明する側には大きな利益があるのに対し、それらを処理する側にはほぼ利益がない、むしろ損失になることのほうが多いのです。

かつてはエネルギー問題の救世主とはやし立てられた原子力発電所も、チェルノブイリの事故や東日本大震災で崩壊すると放射能汚染によって人々を苦しめ、負の遺産となりました。

人間は、生み出したばかりのものは警戒して世話をしますが、慣れてくると放置し始め、知らぬ間に手に負えないレベルの怪物にまで育ってしまうのです。

世界に溶け込み、当たり前の存在となった後、その有害性に気づいても手遅れかもしれません。

未来を完璧に予測するのは不可能ですが、今後はより一層「作る責任」を自覚する必要があるでしょう。

プラスチック問題は、プラスチックを発明した科学者だけが負うべき責任ではなく、プラスチックを大量に生産してきた先進国のみで解決しなければならない課題でもなく、プラスチックを海に流出させてきた発展途上国だけのせいで引き起こされた問題でもありません。

全人類共通の課題であり、地球に住ませていただいている生命として責任をとらなければならない問題なのです。


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