博多梁山泊・ウロつき探訪記

一、

おれはガキの時分より致命的といって良いほどに落ち着きがなく、そのせいで今日に至るまでいわば〈実存的ウロつき〉とでも言うべき無軌道な生き方を余儀なくされてきた。しかし、そのようなスタイルを貫くのに要する労力は年々増していくもので、腰抜けなおれは気づけば文献研究などという土着性の極限ともいうべき業界の村人と化しつつあった。もちろんそれはそれでそれなりに充実しているし、徒に英雄的生の遂行を呼びかける無責任な連中の熱気はおれの最も嫌悪するところであるから、べつに現状をはげしく否定するつもりはない。しかしまあ、やはり少なからずフラストレーションは蓄積していたようで、自称革命家のアジトに潜入するなどという親泣かせの暴挙(別に親に言ってはいないが)に及んでしまったのは、それらが〈夏〉という悪魔的時候の助けもあって暴発した結果であろう。要するに、ELTの持田香織が「夏の恋の魔法」って歌っているところの、例のあれである。

二、

筑前は博多のやや南方に位置する自称革命家のアジトには、さながら梁山泊のごとく魑魅魍魎、歴戦の勇士たちが集い、夜な夜な政府転覆の策謀を巡らせているのであった…

というのは梁山泊到着以前の妄想で、実際は半分あたりで半分はずれといったところか。おれは昔から政治や運動にコミットすることが致命的に苦手で、内向的で閉鎖的な、欺瞞に満ちたプチブルインテリであるといって差し支えないだろう。それでいて友人のDくんやYくんのように「政治?実践?おれは興味ないね」とバッサリいくことも出来ず、後ろめたさを抱えつづけて幾星霜、といった優柔不断ぶりである。そこでおれは、歴戦の勇士たちにタコ殴りにされることでこの"引き裂かれ状態"をさらに悪化させ拗らせたいというマゾヒスティックな欲求を抱き、博多梁山泊へと馳せ参じたのであった。

しかしまあ、フタを開けてみれば今回見るからに政治的に尖った人間は見当たらなかったと思う。学生自治の経験を有する者は数名いたが、左翼/右翼としての活動歴を有しているというわけではなさそうだったし、共産趣味/ファシズム趣味のオタクみたいな(内心おれがあまり関わりたくないと思っている)連中も居なかった。

というわけで、梁山泊の連中は「歴戦の勇士」とはあまり言えなかったが、「魑魅魍魎」という点では大いに当てはまっていたと思う。もっとも、おれが所属することを余儀なくされている関西の某Fラン大では「狂大生」「変人講座」などといった薄ら寒い文言を耳にする機会が多いため、痛みや疎外感を抱えた者どうしの連帯が「負のナショナリズム」的言説に回収されることについては慎重にならざるを得ない。だから「面白い奴ばっかでチョー楽しかった!」みたいな大学のサークル的内輪ノリを素朴に発露することには抵抗を覚えてしまうのだが、でもまあそういう感情を全く抱かなかったといえば嘘になる(ごめんね、素直じゃなくって)。

結局何が言いたいかというと、令和の久坂玄瑞や吉村寅太郎に寄ってたかってタコ殴りにされるという当初の目的こそ達成できなかったものの、魑魅魍魎との連日の「宴会・うたごえ・討論」によって生じる幾多の化学反応を目の当たりにできたことには価値があった、ということである。もちろん合宿ごとに全体的なノリの違いはあるだろうが、10日間も寝食を共にしていれば徐々に化けの皮も剥がれ、予期せぬ展開が電撃的に到来するものであろう。3人寄れば文殊の知恵、13人寄れば文殊のハプニング。要するに、ジュディマリのYUKIが「すれ違う人の数だけドラマチックになるの」って歌っているところの、例のあれである。

三、

具体的なカリキュラムについては既存のレポートで散々伝えられているので、いまさら付け加えるべき事項は基本的にはないだろう(そもそもおれはそういうものをまじめに書くのが滅法苦手だ)。その上で改めて強調しておくべきことがあるとすれば、それは革命家によって伝授される運動史/サブカルチャーに関する情報量の膨大さであろう。正直に言って、これらの知識をその場で全て咀嚼し血肉化することが可能なのは、フォン・ノイマン並みの知性の持ち主に限られる。さらに、これは今回改めて思い知ったことであるが、実は人間の体力は有限であり、ひとは常に活動しつづけていると〈疲労〉してしまうのである。これは重大な発見であった。いや何を今更、と思うかもしれないが、これは何度強調しても足りない圧倒的最重要事項であると言ってよい。したがって、合宿によって得られるメリットをすべて享受することは、ハルク・ホーガン並みの体力がない限りは生理学的に不可能である。それではフォン・ノイマンでもハルク・ホーガンでもないおれたちは激動の10日間をいかに過ごすべきか。そんなん知ったこっちゃねえ。一義的な解など存在しない以上、自分が何を求めてわざわざ遥か鎮西まで馳せ参じているのかをじっくり吟味するのも良し、全てを偶然の成り行きに委ねてフリー・ジャズを愉しむのも良し、糧を得るのも後悔するのもすべて参加者次第である(とまあ偉そうに語っているが、合宿中の我言動がいかにアホくさく、しょうもなかったかということは誠に残念ながら同期12名のよく知るところであろう)。

四、

あんまり長々と書くのは気が引けるので、そろそろ筆を折ろうと思う。梁山泊での激動の日々によって生来のウロつきに拍車がかかったおれは、合宿から4日経った今なお西日本無軌道珍道中の途上にある。たぶんあと4〜5日は帰らないだろう。
今日もまた酒場放浪を一通り済ませて姫路のゲストハウスに潜り込んだわけだが、正面奥の共用スペースに目をやると、一本のアコースティック・ギターがふてぶてしく鎮座している。実はストリート・ミュージシャンとしての顔をも有する革命家が最終日の晩、特別に奏でてくれた弾き語りの音色が、たちまち脳裏を駆け巡る。ハイボールの魔法でやや感傷的なおれは、今春はじめたばかりの拙いコード弾きで、U-フレットのスマホ画面を片目に「アンダルシアに憧れて」を弾く。

(外山恒一さん、料理係のMさん、そして24期の皆さん、このたびは大変お世話になりました。あまり褒められた合宿生ではなかったと思いますが、またどこかでお会いできたらと思います)


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