私と光栄ゲームパラダイス②
1993年、光栄(現コーエーテクモ)から出版された歴史&光栄ゲームの本『光栄ゲームパラダイス(仮)』。
偶然書店で見つけ購入したその書籍(創刊号)は、大部分が読者の投稿で形成されるいわゆる「投稿本」だった。プロ級のものから、たどたどしくも情念あふれる作品まで、イラスト、漫画、エッセイ、レポート、一発ネタなどバラエティあふれる投稿作品が、所狭しと誌面を飾っていた。
元より、光栄のゲームは大好きだし、歴史についてもそれをテーマにした漫画や小説は日頃から愛読していたし、何よりも、誌面から発せられるあまりにも自由でカオスなエネルギーに当てられた私は、思わず自分も何かしら作品を投稿したい衝動に駆られた。
ただ、何もかもが未知の世界。1番に創作意欲が沸いたイラストにしても、小学生の頃に学級新聞に4コマなどを描いた事があるくらいで、基本的には門外漢。
ならばと、まずは巻末に記載されていた、投稿についての決まり事をチェック。
イラストについては「紙はケント紙、上質紙、ハガキのいずれか」と「筆記具は鉛筆とシャープペンシル以外ならなんでもOK」とあった。
ケント紙?よくわからない。上質紙?読んで字の如く上質な紙のことだろう。とりあえず、白無地の自由帳を破ったのと、ボールペンとマジックペンでトライする事にした。ああ。
今ならネットで検索すれば選択肢が山ほどヒットするのだろうけど、当時はそんな物はなく、また質問できる友人もいなかったので、自分の頭で考え踏み出すしかなかったのだ。
その頃の作品の残骸が少しだけ見つかった。↓
まあなんというか、怖い物知らずというか、若さというか。
30年を経た今となっては、その根拠なき勢いが、微笑ましくもうらやましかったり。
これくらいのクオリティのものを、絵と文10作品ほど封筒に詰め、郵便局から編集部宛に発送した。ちょっとばかりの達成感と、果たして自分なんかの作品が、世間の書店に並ぶような書籍に掲載されるなんて起こり得るのだろうか、という半信半疑さ。
それから数ヶ月、『光栄ゲームパラダイス(仮)』のVol.2が書店に並んだ。
購入して持ち帰り、自分の作品が載ってるかどうか、パラパラめくると。
残念ながらイラストは1枚も載らなかったが(そりゃそうだ)、文章が1通だけ採用されているではないか!↓
早過ぎた『三國無双』構想。感嘆符や、後付けの括弧を多用する、思春期の甘酸っぱい青さがふんだんに詰まった100文字とちょっと。
それだけだった。
それだけなのに。
SNSやメールなどが存在しない時代ゆえ、公共の媒体で自分の作品を目にする機会など、そうそうあるわけがなく、耐性のなかった頭の中はアドレナリンでびしょびしょになり、動悸の高鳴りは止まず、嬉しさと恥ずかしさで感情がぐちゃぐちゃになった。
そしてこう思った。
「次号にも載りたい!またこの感覚を味わいたい!」
ちなみにこの時のペンネームは、当時好きだった大河ドラマ『琉球の風』の登場人物の名前から取っただけの適当な物で、使ったのはこの時だけ。なんせ自分の拙い作品でも採用される可能性がある事がわかったのだ。ペンネームもじっくり再考せねば。
この先に、長くて過酷で楽しい投稿ライフが待っている事を、当然この時は知る由もなく。
(つづく)