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私と光栄ゲームパラダイス⑥

1993年に光栄(現コーエーテクモ)から創刊された『光栄ゲームパラダイス』(以下ゲーパラ)は、ネット普及前夜における歴史好き、ゲーム好きの交流&憩いの場として、次第にその存在感が世間に認知され始める。

10号目でリニューアルされ、誌名を『歴史パラダイス』(以下歴パラ)に変えてからも、大手誌の『ファミコン通信(当時)』でネタにされたりと、一部の好事家を相手に絶好調。

その波を、乗りこなせないまでも、なんとか置いていかれないよう、もがきながら作品作りに奮闘する日々が続いた。

それが、イラスト5枚同時掲載という形でうっすら形になった事は、前話に綴った通り。

総掲載数はイラスト8枚、文章3作品になり、結果初めてポイントランキングに名前が載る事となったった。

(勿論だいぶ下位。実際のランキング表はもう2ページあります)

そう、『歴パラ』には先代の『ゲーパラ』から続くポイントランキング制度が存在するのである。掲載された作品のクオリティや誌面占有率に応じて、10ポイント刻みで加算、蓄積されていく。

プロ格闘技イベントのような入れ替え制はなしで、1000ポイント貯まれば名誉称号かつ永久欠番的な「歴史パラダイス友の会」の会員に認定される。

さらに嬉しい事に、1ポイント10円計算で、対象商品(主に光栄から発売されているゲーム、書籍、CD、グッズ等)を定価交換できるのだ。太っ腹すぎる。…バブルの残滓がまだそこかしこに転がってた頃のお話。

一般に流通している誌面に自分の作品が掲載される喜びと、その作品がポイントを介して経済的な価値に転化される事。2つの喜びに打ち震える我が身。まだ未熟な思春期高校生に、この果実は甘美過ぎる。

軽い気持ちで始めた創作活動だったが、現在のSNSほどお手軽でない分、逆にとてつもない刺激となって目の前にぶら下がったのだ。

だがしかし。

この時の私は、さらに危険な果実が待ち受けている事を知らなかったのだ。ああ、それはまさに、人生すら一変させてしまう恐ろしさをはらんでいたのだ。

つまり「読者からの反応」である。

実際にその洗礼を浴びた結果、人生が狂いかけるのだけど、それはもう少しだけ先のお話。

(つづく)

(当時再放送中の『人形劇三国志』。LDボックス18万円!)
(編集部と旅行会社の合同企画、三国志の地をめぐる中国旅行10日間。値段が書いてないのが怖い。笑)
(ゲーム会社の編集部にしては充実し過ぎでないかい?)
(4巻表紙は伊達政宗)

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