私と光栄ゲームパラダイス(15)
1997年3月20日。神奈川県日吉の株式会社光栄(現コーエーテクモ)内、月刊DaGama編集部にて行われた「編集部見学ツアー」。
同時に行われた「三國無双大会」で見事に優勝した私は、しおざきのぼる先生のイラスト入りの賞状や、同ゲームの非売品公式グッズを手に、ニコニコで記念写真に収まった。この様子は、次号の『月刊DaGama7月号』に掲載されるのだという。
え?顔写真が載るの?
ただ、過去の編集部主催イベントを振り返っても、イベントについての掲載は多くて半ページ、プライバシーの事もあるのか、集合写真などもごくごく小さめ、当人たちの顔が判別できない場合が多い。勿論今回もそうなるだろうと、たかを括った。
いつも通り、発売日に書店へダッシュ、鑑賞用と保存用の2冊を購入して、ページをペラペラ。
すると…。
なんたる事か、顔のシワまで…は流石にわからないが、それに準じるくらいのアップ写真がドーーーン!やめてーーーー!
リアルで有名になりたいわけではないからこそ、ペンネームという架空の名前で投稿してるのだろうが!
…いや、事前に載せていいか聞かれて「はい」と言ったのは間違い無いのだけど。(言ったんかい)
リアル友人達がこの雑誌を読む事がないように、仮に読んだとしても冷やかされる事がないように祈りつつ、いや、でも、まあ、一般流通の月刊誌に爪痕を残せた事は嬉しいので、それぞれの相反する思いをうまく相殺して落ち着くと、すぐにまた再び元の投稿生活に戻ったのだった。
しかし、問題は翌々月販売号で起こった。(締切と編集の都合で、翌月すぐには掲載されない)
本人の頭から一旦消し去ったあれこれについて、読者からの反応が掲載され出したのだ。ギャー!
批判的な物はほとんどなく、概ね好意的かつネタ的なものが多かったのは何よりだけど、本人の意図しない盛り上がり方に正直ビビってたじろいだ。今で言うとSNSでバズったらこんな感じだろうか…。
その後も、編集部企画の交流会などに参加すると、「義兄弟にして下さい」とか「兄貴と呼ばせてください」とか、ネタにされまくり、あまつさえ「サイン下さい」と言って月刊DaGamaとマジックペンを差し出して来る輩まで。オーマイガッ!
震える手でミミズが這うようなサインをしたあと(したんかい)、あまりに非現実な状況に頭の中がグルグル回って、喜怒哀楽がルーレット状態。その回転が落ち着いた頃、自分のそもそものモチベーションが何だったのかが、ふと頭によぎり、腹の底からむくむくと叫びが込み上げて来た。
しゃ、写真じゃなくて投稿作品でバズりたーーーーい!(当時バズるなんて言葉当はなかったけどそこは雰囲気で。念のため)
一方で、今後掲載された我が作品を見た方々は、(全員でないにしろ)私の顔を思い浮かべつつそれを鑑賞するかもしれない。それはマズい。匿名性が担保されるからこそ、恥ずかしげもなく素人作品を投稿できていたのだ。
このプレッシャーに心折れるか、プレッシャーをハードルに、作品のクオリティアップを目指すのか。
気付けば投稿生活も4年を超え、色々落ち着いても良さそうな時期なのに、私は独り、波乱の渦中に飲み込まれていたのだった。
(つづく)