私と光栄ゲームパラダイス(16)
時は1997年、ひょんな事から月刊DaGamaに顔写真が載ってしまい、それがバズってしまう。
概ねお褒めの言葉が多かったが、本人は馴れない事態にどうして良いかわからず右往左往。とはいえ、順次ネタ的に消化され、じわじわと鎮静化、次第に平穏な投稿生活の日々が戻って来た。
ただ、今後私の作品が採用されて誌面に掲載される度に、一部の方々は私の顔をそこに重ねるのではないかと思うと、適当な数合わせ作品は迂闊に送れなくなってしまった。
だが逆に、これだけ話題になりインパクトを残せたのだから、勿論編集部の方々にも存在はある程度認知されただろうし、その事で多少なりとも掲載率アップは見込めるはず。
多少の成長が見れるとはいえ、未だ低空飛行の我が作品のクオリティ。弱者の戦略は引き続き練って行く。
例えば、競争率の低そうなコーナーや、編集側の需要がありそうな特集コーナーなどに多めに投稿したり、文章投稿は余計な事をなるべく控えて読みやすいように、イラストについても縮小されても見やすいようにスッキリ目にするなど、コツコツ工夫しつつ、ガンガン投稿を繰り返す。
ふとランキングを見ると、だいたい5位以内をキープできている。何千人といる投稿者の中で、全くの素人だった私がここまで食い込めているのは、我ながら快挙という言葉しか見当たらない。
だが周囲を見渡せば、後にプロデビューしたり、大手から単行本出したり、新人賞を取ったり、なんならアニメ化や映画化されるようなビッグネームな方々(のアマチュア時代)がずらり。
真正面から挑んでも全く勝ち目はない。でも、だからこそ、その合間と縫い目をくぐり抜けて食い込めているのは、自分なりにとても痛快であった。
この頃の経験と感覚が、今も自分のライフスタイルの根っこになってるのだと、つくづく思う。良くも悪くもだけど。
そんなこんなで、山あり谷あり大変ながらも楽しく純風満帆な、4年と少しの投稿生活。
楽しい日々は、ある日突然消えてしまうものだと、頭のどこかでは解っていたが、この頃の私はそれに気付かない振りをして、目の前の作品にひたすら集中をするのだった。
(つづく)
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