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私と光栄ゲームパラダイス(17)

1997年も半分が終わった頃。

相変わらず実力は冴えないが、弱者の戦略と、謎のバズりを経て、毎号数通は必ず採用されるようになり、気付けば『光栄ゲームパラダイス』のVOL.8から26号連続で没なし街道を爆進、ランキングも常に1桁をキープして、「常連」を名乗るのにも我ながら抵抗は少なくなっていた。

それでも、前述の通り実力には折り紙が付かず、そして同等のランクの御歴々を眺めれば、真に実力で上がって来た投稿者ばかり。

いつ落ちるかわからないヒヤヒヤ感と、ど素人がここまで続けて来られている事の自画自賛が、いつも心の中でシーソーを漕いでいた。ギッコンバッタン。

そんな折に、ひとつの節目が訪れた。

「月刊DaGama友の会会員に昇格!」

ポイントランキングで、ポイントが通算100ポイント累積した投稿者に与えられる称号に、ついに届いたのである。

(上位に食い込み続けるも、いつ落ちるかヒヤヒヤしてました)
(ついに通算100ポイントで友の会入り!)
(これが噂の月刊DaGama友の会の会員証)
(裏はこんな感じ。郵便番号はまだ3桁。翌年から7桁に移行)

手元の届いた会員認定証の、なんとまばゆかった事か。

しばらく眺めて、振り返り、嬉しさの喜びを味わった後は、なくさないように鍵付きの引き出しへ、そっと。

ちなみに友の会会員には、編集部主催の交流会(今で言うオフ会)で参加費免除など、いくつか特典があったような。調べ直して、後日アップします。

ともあれ、友の会に名前が刻まれた事で、もし仮にランキングが大きく落ちたとしても、ある程度のセーフティゾーンができたような気がして、これでようやくひと息がつけるなと。

…つくわきゃねえよな。

より瞳はメラメラと燃え盛り、投稿生活に没頭して行く。

(琉球史ネタは競合がなかったので高確率で載りました)
(『陋巷に在り』は歴史小説の中でもダントツに好き。表紙絵は諸星大二郎先生)
(ベタなどでコントラストを強めにして、ちょっとでも作品が目立つ工夫)

イラストについても、上達はしなくても、4年も描き続けていれば多少は個性というものが備わって来たみたいで、ちょっとずつ嬉しい感想をいただける機会も増えて来た。

同誌の交流会などで知り合った方々から、同人誌への参加のお誘いも受けたりして、自分なんかで良いのか不安になりながらも、と同時にめちゃ嬉しくて、慣れない漫画なども楽しく描かせていただきました。あの頃お誘いいただいた皆様には、改めて感謝しかないです。

(同人誌への寄稿のお誘い受けて描いた、三国志の曹豹が主役の漫画)
(20年以上経って振り返ると、我ながら良く描けてると思います笑)
(まさかの版権者パロディ)
(まさかの夢オチ)

そんな順風満帆にも見えた投稿生活。

しかし、1997年も終盤に差し掛かった頃、衝撃の一報が発表された。

それはなんと『月刊DaGama』休刊の報せであった。

(つづく)

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