アメコミとは「ウマ娘 プリティーダービー」である
最近アプリが2100万ダウンロードを達成し、劇場版『ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉』も公開中で、相変わらず快調のコンテンツのウマ娘ですが、今回はその内容について何かを語ろうというのではありません。そうではなく、
アメコミの読み方ってゲームアプリの「ウマ娘 プリティーダービー」を喩えにしたらわかりやすくなるんじゃないか?
という、ウマ娘をご存知のこと前提の乗っかかり記事となります。
MCUやバットマン(ジョーカー)といった映画作品の成功もあり、ここ十年ほどはコミックス作品に触れる人も多くなっていた印象があります。
それでもアメコミのとっつきにくさは変わらない、というより、以前よりも手に取る人が増えた分だけ、さらに日本のマンガと比べて読みにくいという声が多く聞こえるようになったように思えます。
その大きな原因は「どこから読んでいいのかわからない」という点にあるでしょう。
ではここでいう「どこから」は何を指しているのでしょうか?
おそらくそれは、日本のマンガでいうところの第1巻第1話。まさに「そこから」順に読んでいけば登場人物の造形に世界観、目的などがわかるようになっている物語の起点でしょう。
ところがアメコミにはこれがない。ないと断言してしまうと語弊がありそうですが、少なくとも日本マンガの第1巻第1話にあたる部分はさほど重視されておらず、ストーリーもそこから読み解けるような作りにはなっていません。
このあたりの構成に違いがあるにもかかわらず、それがアメコミと日本マンガと、並べれば同じマンガだからこそ混同されてしまいがちで、読者からすると読みにくさを覚えます。
なので、アメコミでは順を追ってストーリーを読んでいく以外の読み方が必要になってきます。そこで押さえておきたいのは次の点です。
アメコミとはキャラ推し(キャラ萌え)です。
アメコミでは「このキャラが好きだ!」「このキャラの活躍を見たい!」「このキャラの背景を深掘りしてほしい!」という要望に応えるようにコミックスがあります。
このあたり、日本のマンガの、まずストーリーが前提としてあって、そこにキャラクターが関わってゆき、そしてそのキャラクターの活躍がストーリーをさらに進行させてゆくという構造と大きく異なります。
日本のマンガでは、例えば『ONE PIECE』だと「海賊王と呼ばれた人物がどこかに隠したといわれる宝を見つける」ですし、『鬼滅の刃』は「鬼となってしまった妹を助ける」で、ストーリーとそれを支える世界観が前提となって読者はそれをキャラクターを通して読んでいます。
対してアメコミはキャラクター1人につき1種類の、個人にスポットを当てた単行本シリーズが殆どです。(以前に紹介した「ダメージコントロール」のように、変形としてチームが対象となっているものはあります)
そこで描かれるのは、スパイダーマンは「特殊なクモに噛まれて得た能力でもって悪人を退治する」、私の好きなパニッシャーなら「犯罪やそれに加担する連中を根絶やしにする」という具合で、キャラクターの目的を前提とした行動になります。
キャラクターを横断するストーリーやバックグラウンドとなる世界観は、存在はしていますが、ほとんどの場合ほのめかされる程度でそこが話のメインとなることはかなり少ないです。
主人公が何をして、何を考えたか、その結果として主人公がどうなったか、どこまでもキャラクター第一でその魅力を最大限に伝えることに全力を投じているので、背景となる大きな世界とは必要ない限り絡みません。
日本の読者側の「物語を読みたい!」とアメコミ制作者側の「キャラクターを見せたい!」という需要と供給の意識のズレが、アメコミを読んでみたけれどもノリきれない面白くない、といった感想を抱く大きな要因となっているように感じます。
けど、この感覚的な理解のギャップは、「ウマ娘 プリティーダービー」の受容と照らし合わせると埋めやすくなるように感じます。
「ウマ娘 プリティーダービー」は現在と非常に似通った架空の地球で、ウマ娘がその中で暮らすトレセン学園という中高一貫の全寮制女子校を舞台としています。
これを、アメコミの世界に置き換えてみましょう。マーベルならマーベル、DCならDC、そのあたりはお好みで結構です。ぶっちゃけて言うと、基本アメコミは会社単位で一つの世界があり、トレセン学園と同じようにその内部でヒーローやヴィランたちが暮らしています。
トレセン学園も、マーベル世界・DC世界といったアメコミ世界も、そうした空間があることは前提とされながらも、詳細が語られることはなく、舞台そのものに言及されることも稀です。けれども、プレイヤーも読者も、その詳細は知らずとも、それがあるということは認識しています。
そして「ウマ娘 プリティーダービー」のゲームのメインは、ウマ娘のなかから1人を選択して、レースに勝利できるトレーニングをしながら、それぞれ独自のストーリーを読み込んでゆくことです。
これはアメコミ各誌、『The Amazing Spider-Man』とか『Batman』などを読んでいくことに当てはまります。
それぞれ主役となるキャラクターの視点から、自分の目標を達成するべく物語が展開していきます。そこでは舞台となるトレセン学園やマーベル・DCなどの世界が話題になることがあっても、必ずしも背景の世界観に影響を与えるとは限りません。むしろ影響を与えないことの方が多く、その世界全体の理解にはつながらない。
時折ライバルや友人として、主役として選択可能なキャラクター、個人誌を持っているキャラクターがゲスト出演してくることもありますが、それは現在視点を保有しているキャラクターサイドでの登場であって、主役を変えてみると関係性が全く異なってくるなんていうこともままあります。
世界観は共通して、キャラクターの性格や目的は同じなはずなのに、主役ごとに見えてくる物語は結構異なってくる。
このあたりウマ娘をプレイされている方は「そういうもの」として理解していると思うのですが、まさにアメコミも「そういうもの」なんです。
そして、これだとあまりにも他のキャラクターとの関わりが表面的になってしまいそうですが、時折主人公キャラクターからの視点という垣根を超えて、物語を共有することがあります。
これをアメコミの場合、クロスオーバーと言います。
主人公の個人誌をまたいで話が引き継がれたり(例えばエピソードのはじまりをスパイダーマンで行って、第2話をウルヴァリンで、第3話をまたスパイダーマンでやって完結はウルヴァリンでするとかですね)、もっと広範囲のキャラクターに影響が及ぶ大型クロスオーバーと呼ばれるものの場合は独立した話のタイトルが話数限定で刊行されたりします。
このあたり「ウマ娘 プリティーダービー」で、大体月に1度の割合で開催されているストーリーイベントを想像してください。
5、6人のキャラクターが、この時ばかりは同じ空間・同じ時間を共有して、同じストーリーを体験して、一方的でないキャラクター同士の関係が築かれていきます。
そうしてこの背景やストーリーの共有も、更なるキャラクターの魅力の発信を目的としています。
アメコミがキャラクター推しを中心に描かれているというのが、「ウマ娘 プリティーダービー」的に考えていただけると、少し受け入れやすくなったのではないでしょうか。
マーベルもDCも、アメコミはとかく話が大きくなりがちで、年に一度はキャラクター達が住む世界の危機に瀕しているので、その大きな変動がキャラクターのポジションや性格などにまで影響を与えるだろうからしっかりと理解しておきたいという感じに、ついつい日本のマンガに慣れてしまっている私達は思いがちです。
ところが案外とそうでもない。それに、そもそも出版形態からしてそういう理解をしやすくしていない、それどころかその変動の原因や理由を語ることが目的とされておらず、ただ個々のキャラクターの魅力を引き出すことを目指している、と考えると気負いも少しは薄らいできて、単純にキャラ推しに専念できるのではと思えます。
アメコミはキャラを愛でるための肝心のコミックスが高い?
そこは、まあ、そのあたりも「ウマ娘 プリティーダービー」で新しいキャラをお迎えすることを比較参考にしていただければ……