CD世代の落語この人この噺「鈴ヶ森」(三遊亭兼好)
ドロボウ噺です。
ドロボウが主人公のコメディとなりますと、これはドジかそそっかしいか小心者か、とにかく間の抜けた失敗談とまあ相場は決まっています。
このあたり落語でも同じで、「夏泥」「転宅」「締め込み」「だくだく」と、そろいもそろって入る方も入る方なら入られる方も入られる方の、ピントのずれた登場人物のオンパレードです。
そんななかで「鈴ヶ森」は、大泥棒はもちろんコソ泥とも言い難い「そもそもドロボウなのか?」と疑わしくなってくる歴の浅い三流ドロボウとなわばりを取り仕切る親分とのやり取りを聴かせる演目です。
鈴ヶ森は東海道沿いの江戸の入り口のひとつに数えられたものの、無宿人などが多く潜む物騒な場所としても知られていました。
そうしたロケーションに加えて、犬を舅と呼んだり、ドスを懐に忍ばせておくことを飲むといったりするドロボウ同士の符丁の解説が江戸の雰囲気を伝えてくれて、親分と間抜けなドロボウとの掛け合いを単純に楽しんでいるうちにも、かつての情緒が感じられる噺でもあります。
この「鈴ヶ森」を初めて聴いたのは三遊亭兼好の録音でした。
収録は日本コロムビアでシリーズ化されている『三遊亭兼好落語集 噺し問屋』の第7弾(COCJ-40575)となります。
この「鈴ヶ森」は三つの場面からできています。
まずはドロボウの住む家でのお小言の場面、次いで追いはぎに向かう道中、それといよいよ実践の場である鈴ヶ森という具合です。
そのうちでも特に好きなのははじめのドロボウ宅での親分との掛け合いですね。
三遊亭兼好の噺の魅力の一つには、その声の楽しさがあります。
兼好の声はややしゃがれているのですが甲高く、しゃべりも歯切れがよく、なんとなくアナウンサーを思わせる快活さがありまして、それがこの「鈴ヶ森」だと若手ドロボウの間の抜けた調子をさらに強めます。
甲高い声でいかにも焦ったようなあわただしいしゃべり方をしたうえで、「すいませんすいません」と一息でいかにも相手の目を見ずにぺこぺこと頭を下げているのがうかがえる相槌をひたすら入れ、とんちんかんな受け答えをするのを聞いていると相手をしている親分の苛立ちが伝わってきます。
「心を入れ替えてまっとうな真人間になって悪事に精出します。ご近所さんからもあの人は立派な人だ、ドロボウの鑑だといわれるくらいに頑張ります」
「二里半先のドロボウに入った家まで抜き足差し足で行ってたら途中で朝になっちゃって。途中で足がつった時に、これはちがうかなーって思ったんですけど……」
といった、単なる心得違いや間違いどころではないオーバーなしくじりも、このドロボウならやりそうだと腑に落ちて笑いつつ、さらに濃厚に特徴づけられていきます。
こんな感じで、この登場人物はこういうキャラなんだなと類型化してくれるので安心できるんですね。
このあたりは親分も同様で、若手ドロボウのあまりにもどうしようもない受け答えに、とうとう我慢しきれなくなって、
「考えたらわかるでしょ! ちゃんとしてください!」
と、かえって丁寧な言葉遣いになってしまう。
いかにも野趣にあふれていそうなドロボウの親分の口から漏れる丁寧語が、これが抜群のタイミングでくり出されて、このやりとりが本当に好きなんですね。
そして、それもまたひとつのキャラクタライズで、親分は感情が高ぶると相反する感情が出てしまうというひとつの典型的なキャラクターだと理解できる。
決してわざとらしいやり方でなく、さらりとわかりやすい典型に登場人物を当てはめてくれるおかげで、荒唐無稽な噺もフィクションとして鑑賞する余裕をこちらに与えてくれいます。
なので、「鈴ヶ森」での聴き所のひとつとなっている、追いはぎのための口上、
「おーい、旅人。おおーい、旅人。ここァ明けの元朝から暮れの晦日まで、おいらが頭の縄張りだ。知って通ったんなら命はねえ、知らずに通ったなら命だけは助けてやる。その代わり、身ぐるみ脱いで置いていけ。いやだとぬかしゃ最後ノ介、伊達にャ差さねえダンビラを、二尺八寸手前のドテッ腹へお見舞ェ申す」
を、抜けのいい声で一気に語り上げる心地よさを、野暮なことは考えずに楽しめます。
三遊亭兼好の噺はどれも、いわゆる本寸法という型を大事に守ったものですので、派手な改変や大胆なギャグは多くはないのですが、そのかわりに細部のどうしても納得いきにくい物語の展開のうえでのご都合主義やごまかしを、できるだけしっかり組み立てなおしてすんなりと聴けるような趣向をそこかしこで凝らしてくれています。
落語のオチにありがちなのですが、それまでの盛り上がりに対して、あまりにもすっと出てくるので「え? これで終わり?」と戸惑わされることがあります。
「鈴ヶ森」もどちらかというとそういう部類に入る噺なのですが、その重ねられた趣向のおかげで「なるほど」と納得できる形になっています。
声よく、掛け合いよく、そして噺の落ち着きもいい。純粋に口を開けて笑える滑稽噺の妙味を是非ともご堪能ください。