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公的霊圧

 昨年の暮れのことですが、「毎日新聞」に次のような記事が掲載されておりました。

 石破茂首相が近く、首相官邸に隣接する首相公邸に入居する見通しとなった。
(中略)
 公邸はかつて首相官邸だった1936年、陸軍青年将校により政府首脳が襲撃された2・26事件の舞台の一つとなり、「幽霊が出る」とのうわさが絶えない。首相は記者団に「私はオバケのQ太郎世代なので、たいして恐れません。実際見たら怖いかもしれないが、それを気にすることはない」と語った。
 公邸は、小泉純一郎首相時代の2005年、旧首相官邸の改装を終えて使用が始まった。(後略)

「毎日新聞」2024年12月28日

 首相公邸の幽霊話ってまだ脈々と伝えられていたんだ。

 私が初めてその存在を知ったのは、鈴木理生『江戸の町は骨だらけ』(ちくま学芸文庫、2004)によってでした。

 そこでは「日本経済新聞」の2001年4月26日の記事を引用していました。

 二十四日夜の首相公邸。森首相、小泉新総裁、福田官房長官の三人がひざ詰めで協議したのは、新政権発足や党三役人事だけではなかった▼「実は昨晩も出たんだよ」と首相が切り出した。首相や秘書官、警護官の間で専ら話題になっている首相公邸の「お化け」の話だ。首相は「ドアノブをガチガチと回す音がして、それからスタスタスタと走り去って行ったんだ」と身ぶり手ぶりを交えながら恐怖体験を披露。公邸に住み込む私設秘書も今年二月二十六日早朝、部屋の隅に二本の足を見かけ、背筋の凍る思いをしたという▼二・二六事件などの舞台になった公邸には昔から数々の幽霊話がある。(後略)

鈴木理生『江戸の町は骨だらけ』(ちくま学芸文庫、2004)p. 239、240

 そのいわく因縁はともかくといたしまして、首相公邸という日本の他国に対するトップの住む場所に幽霊が出るという噂が何十年と伝えられてきていて、しかも当の首相がそれを否定するのではなく、むしろその体験談を語っているというのがとてもおもしろくて、とてもいいですよね。
 幽明境を異にする存在として、否定したり深く追求したりするのではなく、ただありのままを認めているというのが嬉しくなってきます。

 こうした公的な場の、さらに公的な立場の人からの幽霊やおばけの体験談は興味深く、他には、例えば、武豊には次のような文章があります。

 夏の小倉と言えば怪談話です。最近はあまり聞かなくなりましたが、昔は先輩ジョッキーが噂していたそうです。調整ルームにオバケが出たとか出ないとか……。その調整ルームで寝泊まりしなければいけません。騎乗前に何だか嫌な噂を思い出してしまいました(笑)。

武豊『この馬に聞いた! 1番人気編』(講談社文庫、2004)p. 67

 小倉こと小倉競馬場はJRA(日本中央競馬会)の管轄ですので、国により管理されている競馬場となります。
 調整ルームは競馬場に併設されていて、体調の確保や八百長の防止のために騎乗予定の騎手が前日の夜から泊まり込む宿泊施設のことです。携帯電話やインターネットの使用も禁止される、非常に厳格な取り決めが適用されるスペースとなっています。
 国による管理が行われる場所ですから、ここも公的な場といって差し支えないでしょう。そこでJRA所属騎手というある種公的な人物から、オバケの出現が証言されるというのが、やっぱりとてもいいですよね。

 幽霊やおばけの言い伝えというのは、伝統と文化の継承でもあります。
 平安時代では宮中に幽霊も出れば鬼も出ましたし、時代がくだっても姫路城の刑部姫など、公的な場での怪異奇異は枚挙にいとまがありません。
 それが現代でも首相公邸や、競馬場に場所を変えてもしっかり根付いて、そこにいる人々を怖がらせているというのはなんとも頼もしく、日本という国の霊的な地場の厚みを感じさせてくれるように思えます。

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山本楽志
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