昭和6年の女性型ロボットを追うために
こんな本がほしかった!
井上晴樹『日本ロボット創世記 1920~1938』(NTT出版、1993)!
1920年にロボットという単語が誕生してから、いつ日本に到着し、どのように定着、変遷していったかを、新聞、雑誌、単行本に掲載された記事や広告、小説、詩、童謡などなどの当時の実物を紹介しつつ、第二次世界大戦勃発直前の1938年までを編年体形式で詳細に追っていく執念の力作です。
掲載される図版は300種類以上、しかも要所要所でカラーを含むという大変読みごたえ見ごたえのある一冊!
そもそも私が日本のロボット受容を気にするようになったのは、戦前の検閲制度を実例をたっぷり交えつつ解説した辻田真佐憲『空気の検閲 大日本帝国の表現規制』(光文社新書、2018)で、次のような文章に出くわしたのがきっかけでした。
男を誘惑する女性型ロボット!?
いや、そこも大変気になるところではありますが、今注目してもらいたいのはこの記事が掲載されたとされる1931年(昭和6年)という時期です。
上にも書いておりますが、ロボットという単語が誕生したのは1920年(大正9年)で、この間11年しかなかったのです。
もちろん10年は長いです。一概に「しか」といえるものではありません。
けれども、このロボットについては、その表現を使用しても差し支えないように思える事情があるのです。
その事情を知るために、かんたんにロボットの誕生を書いてみます。
ロボットは、チェコスロバキアの国民的作家カレル・チャペックが1920年後半に発表した戯曲「R.U.R.」内で初めて登場する造語です。(初演は1921年)
強制労働と労働者の意味を持つチェコ語とスロバキア語を組み合わせて作られ、「労働するもの」という意味の、人間に代わって労働する存在を指したものでした。
「R.U.R.」は近未来を扱うSF芝居で、過酷な労働と使い捨ての境遇にあった人工生命ロボットたちがやがて自我に目覚めて、その非人道的な扱いに抵抗して反旗を翻し、ついには人類を駆逐していくという終末色の濃い内容となっています。
この「R.U.R.」は大いに評判を呼び、チェコスロバキアをあっという間に飛び出し、アメリカ、フランス、イギリス、オーストリア、ソ連といった国々で上演を重ねていきます。
ところでこの「R.U.R.」で描かれるロボットは、化学的に合成された細胞を培養させて作られた人工生命、現在でいえばバイオロイドと呼ばれるべき存在でした。
1924年(大正14年)に日本でも小山内薫の築地小劇場で初演がなされたのですが、その時のタイトルは「人造人間」となっています。
現在ロボットと言われて想像する、歯車やゼンマイ、バネで組み立てられ、無数のコードでつながれる機械体とは大きな隔たりがあります。
この差を埋める変化は、当時の時代的な潮流が、偶然的にいくつも重なって引き起こされました。
主だったところを挙げてみます。
まずは、イタリアに端を発した芸術の一派の未来派のイメージがあります。未来派は発達した機械や物質が人間自体にも変化を与えることをモチーフのひとつとしていて、機械や無機物、幾何学模様で構成された人物画などを発表していました。
また、ロシア帝国の崩壊(1917年)からソ連の勃興(1922年)にいたる、共産主義的な革命思想の隆盛が、資本家による労働者の非人間的搾取という構図を広く示してもいました。
さらに、第一次世界大戦以降の、人間の身体能力を超える機械が次々と世に送り出され周知されていく状況があり、そこにテレヴォックスという音声認識によって遠隔から機械の動作を命令することのできる装置がお目見えし、ますます機械に人間に近い、状況によっては人間を超える仕事をさせることが可能となっていったのでした。
このような機械と人間をつなぐブームのそれぞれは、自覚的にかどうかはともかくといたしまして、お互いを援用することで自身をアピールしていきました。(例えばイタリアの未来派の芸術家の何人かは共産主義を支持してもいました)
その際、人工の労働者「ロボット」はこうしたブームと深浅の差はあるとしても関係があり、やがて肉づけされるかのように金属の外皮と機械の肉体をまとっていくこととなったのでした。
もちろん、これらの変化は一気にではなく、10年に近い歳月をかけて徐々に起こっていったものでした。
ロボットが誕生した1920年から10年後は1930年、つまり昭和5年で、先ほどにあげた日本での女性型ロボットの記事と時間的にほぼ重なるからこそ、10年「しか」経過していないのにほとんど西洋諸国と同じ意味合いで「ロボット」という単語を使用していることに驚きを覚えたのでした。
そこで次に疑問となるのは、前の女性型ロボットの記事の書かれた当時の日本で、ロボットとは周知の単語であったのか、それとも時代感覚に秀でた特定の記者が先鋭的に残したものだったのか、そのどちらだったのかというものです。
そこを埋めてくれたのがまさに今回の『日本ロボット創世記』でした。
詳細は本書に譲って結論をいいますと、昭和6年の時点でロボットは、ほぼ当時の西洋と同じ機械式の人形という認識になっていました。
それは、昭和6年初頭に開催されていた第五十九帝国議会において、前年テロによって重傷を負い出席できなくなった浜口雄幸首相の代行として幣原喜重郎外相が総理の任務を果たしていたことに対して、立憲政友会の鳩山一郎が、
と猛烈に批判演説を展開したことからもうかがえます。
ご丁寧にこの演説を受けて、新聞や雑誌では四角い体をした機械式の「ロボット内閣」を風刺する一コマ漫画が掲載されたりもしました。
国会で議員が口にするほどにロボットは日本語に入り込んでいて、週刊誌のゴシップ記事を目にしても「ああ、あれね」とわかるほどに浸透していたのでした。
ところで、上の鳩山演説なのですが、よく読めば、このロボットは、操り人形や傀儡という意味合いが強いように感じます。
そして、この読み方ですと、きっかけとなりました、はじめの「美しきロボツトで操る、闇に咲く花奥様おまさ」という見出しも、自分の替え玉を仕立てあげて男を手玉にとっていた女性という、割とどこにでも転がっていそうな話になってしまい、なめらかかつ怜悧なメタルボディがあやしく光をたたえ抑揚ない合成音声でアプローチしてくる女性型ロボットは霧消してしまいそうです。
歴史を詳らかにすることは時にロマンに対して非常に残酷な結果をもたらすと言わざるをえません。