CD世代の落語この人この噺「勘定板」(四代目三遊亭圓歌)
古典落語と聞くとつい身構えてしまいます。特に古典の部分に。
背筋正しくして聴かないといけないのかなと、ついかしこまってしまいます。
もっとも、この古典という呼び方は、単純に新作との区別をするためにつけられているだけのもので、その言葉が誕生したのも昭和30年代とさほど古いものでもありません。
そんなわけで基本は大衆娯楽ですので、他愛ない噺や下ネタも非常に多いです。
今回はその下ネタの、おまけに色っぽい方ではなく尾籠な方を紹介してみたいと思います。
落語にも結構汚い噺があります。
おならを転失気と呼び変えることを知らなかった医者の噛み合わないやりとりの「転失気」、何度も侍に酒を取り上げられるのに業を煮やした面々がかわりにおしっこを飲ませてしまう「禁酒番屋」、新築祝いに水瓶を送るかわりに安いからと手に入れた肥瓶を送ろうとする「家見舞」などなど、なかなか気色悪い演目がそろっています。
内容が内容だけに若い噺家さん向きかというとそうではなく、むしろ世の名人といわれる方の得意ネタだったりします。例えば禁酒番屋は落語家として初めて人間国宝となった五代目柳家小さんの十八番ですし、家見舞は上方落語の演目名である「祝いの壺」でやはり同じく人間国宝であった桂米朝がよく高座にあげておりました。
「勘定板」もまた、そうした世の名人たちに汚くも愛されてきたネタのひとつに数えられます。
あらすじを聞くだけで下腹が突っ張ってくると思いませんか。
この噺で最も印象に残っているのは当代にあたる四代目三遊亭圓歌のものです。
きりりとした太眉のいかめしい風貌ながら、いざ口を開くと甲高い声で、出身の鹿児島弁をあらわにしながら、大量の汗をかいてのパワフルな高座で知られる噺家さんです。
録音はこちらの『爆笑120分パート2』(C-02)に収録されています。歌之介時代に販売されたもので、盤面に演目が書かれている以外クレジットもなし、冒頭の出囃子も省略されて(そもそもかからなかったのかも)いきなり話しはじめる仕様なあたり、いかにもなインディーズ、自主制作感あふれるCDです。
演者自身のサイトの紹介によれば1994年の発売とのことですから、録音もその付近で、ご当地言葉まるだしの話ぶりからおそらくは鹿児島で行われた高座のものと思われます。
録音や編集技術などは、もちろんメジャーなCDメーカーには及びませんが、音質や客席の近さは生々しさがあり、それがこの勘定板という噺とかえってよくマッチしているように思えます。
とはいいましても、汚さがにおい立ってくるとかそういう意味じゃなく、あくまで雰囲気の話です。
個人的に、においに過敏な性質でして、話や絵でも異臭が伝わってくると勘弁して、となってしまうんですね。
でも圓歌の話はそれがない。
もちろん下手というわけじゃありません。
江戸見物にきた二人の、便を堪えて切羽詰まった様子はいやというほど伝わってくるのですが、そこに絶妙にフィルターが掛けられている。
既に何日も便を我慢してお腹がパンパンに詰まっている様子はしっかりと表現しますが、詰まっているものそのものを思わせたり描写したりしない。
これが噺全体に行き渡っていて、ついつい露骨な表現になりかねないところを、巧みに回避して明言を避ける。だから地方人二人の苦しい様子もわかるし、番頭の伝わらなさも理解できて、噛み合わないやり取りが無理なく頭に入ってくるんですね。
リアルに描けば、かなり汚くて、顔を背けたくなる内容なのですが、それが的確な婉曲で見事にコミカルさだけが伝わってきて、純粋に楽しさが抽出されて何度も聴きたくなる出来になっています。
余談ではありますが、圓歌は歌之介時代に、国立演芸場花形演芸大賞金賞をこの勘定板で受賞しているそうで、それも納得の勘定板の申し子というべき一席に思えます。
今回紹介しました勘定板に限らず、古典落語なんて名称がついておりますが、江戸の雰囲気や感動なんてまったく寄せつけない噺もあり、肩肘張らずに聴けるのが落語の魅力のひとつだと思います。
下ネタだと眉をひそめるのでなく、思い切り笑い飛ばして、そのばかばかしさを堪能しようじゃありませんか。
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