取り溜めた手帳と再起するわ
手帳選びのシーズンは毎年そわそわするもので
突然だけど、山田は毎年、
それこそ20歳くらいの頃からものの15年以上
翌年の手帳が店頭に並び出す10月になると気が競る。
とにかく、今年一年のパートナーを選び抜くために 全集中する。
2ヶ月書店に通ったこともある。
で、そんな風に選んだ手帳を使い込めたことは
多分一度もない。
ほぼほぼ白紙で あっという間にまた手帳探しのシーズンを迎えるか、
何なら憧れて挑戦したバーチカル(時間軸)系は
使い始めからストレスを感じ始めたし。
とにかく、時間管理を紙面に落とし込むという その時間に耐えられない女だ。
そんなこんなで、自分の手帳選びにおける重要とするもの、
ひいてはそもそも自分が重要とするもの、
みたいなのを、手帳を選ぶという行為によって この10年以上をかけて確認してきた。
今日はそんな、世間からの需要がないであろうそれらについての情報を
惜しげもなく提供しようと思う。
逃げるなら今、と感じた方は その勘に従って間違いないですよ。
ということで早速、逃げ遅れた方と共に
「山田の手帳趣向についての一考察」に入りたい。
ずばり、(道連れされた方が可哀想なので)趣向の結論から並べると、
山田はどうやら、質感重視タイプ。(誰もそんなこと聞いてない。)
手帳の紙の手触り、しなり感、薄さ、色味、
そして外のハードカバーにもそれを求める。(誰もそんなこと聞いてない。)
そして、余白多めが絶対で、マンスリーページにToDo欄希望だ。(誰もそんなこと聞いてない。)
数字は自己主張弱めの小さめ。かつ、ライン部も含めて薄めが好ましく(誰もそんなこと聞いてない。)、
ウィークリーページは左側に縦連なりがベスト、(誰もそんなこと聞いてない。)
フリースペースは右側を希望。(これは案外共感できるのでは?)
全体としては、日曜の赤以外のカラーは不要だけれども、
未だ出会ったことはないが、青みがかったラインだともの凄く嬉しい。(これは確実に、誰もそんなこと聞いてない。)
と、山田的事実と山田的希望を混在させた内容確認が取れたところで、
ついでは、
こんなにも手帳にこだわりがありますアピールをしている山田が
「でも使い込んだことが一度もない」問題について抉(えぐ)ってみたい。
ここで白状すると、
山田は結婚してから4年ほど、ずっと自分の現状を受け入れられずもがいていた時期がある。
望んで授かった子供だが、かくかくしかじかな事情の元
結構な孤独感に悩んでもきた。
加えて正規雇用経験がないことに卑屈さも覚えており、
前向きにと健気に挑んだ産後すぐの地元外転出では、関東でのワンオペレーション家庭保育によって
まさか自分がと思うような産後不調を発症。
3年以上普通の生活に戻れなかった。
(これらのことについては、機会があれが追って書き起こしたい)
なのだけども、学生時代は何とか大学を卒業したこともあり、
また、そこには有り難くも有能な恩師や仲間が溢れていたがため、
「自分もこんなところにいる人間じゃない」
「これは自分の人生じゃない」
みたいな
その意味わからん焦りどっからくるの?というダサ過ぎる感情に振り回されてもいた。
そのくせ 停滞する経歴や孤独な子育てによってあらゆることに自信をなくし、
社会復帰を考える際にも、教◯採用試験を受けねばならないと過去の何かに縛られていた。
当時は、思考や選択機能に障害も発生していたと思う。
そんな女が、毎年毎年、
今年こそは、と自分の人生を「変えてくれそうな」手帳を血眼で探していたのだ。
なんと痛々しいことだろう。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、でもその気持ち、ちょっと分かるな。
と、まるで他人のことを 離れたところから眺め出しているのが 今現在だ。
運命の何かに出会えば、
それによって
なんか知らんが自分の人生が動き出す。
と、思っていた当時。
一方で、
その時 選び抜いた運命を共にできず、
「これじゃなかった」「あれであったら」と思い
1年を終えていた。
運命にも、環境にも、状況にも、
とにかくあらゆる外的要因に翻弄された気になりながら
結果それらに すがってもいた。
ここまでくると、私の手帳選びはなんだったのかと、
それはもう 1番は当の本人が思うのだ。
なんですがしかし、
実は最近、その取り溜めた手帳をパラパラとめくってみて、
それはもう遥かにじんわりとだけど、誰かに支えられているような感覚を覚えた。
その惨めな手帳から、懸命な生きる力を感じたから。
そこには、哀れで傲慢な女ならではの 葛藤や覚悟や慈しみが、
この人はこの時、懸命に言葉で伝えたんだな。自分自身に。
と思える内容で残っていて、
懸命に今に繋いでくれたんだなと、敬意さえ感じた。
直向きに向き合った時間があっても、やり遂げられなかったかもしれない。
思い描いたものを築けなかったかもしれない。
そもそも、選んだものが違ったのかもしれない。
結局その中に込められたストーリーは、結末は、かっこ悪いものだったかもしれない。
それでも毎年、懲りずに何度も、
新しい何かを迎えようと
囚われたものから抜け出しそうとした。
前に進もうとした。
そして自らの意思で、一冊の冊子を真剣に選択した。
そしてそこには、うんともすんともいかない時間も一緒に、そのままの自分を書き込んできたのだろう。
2024年は 8月も半ばに差し掛かった。
今、手帳には、
5年前にやりたいと願ったことが 具体的に走り書きされている。
今いる場所が、運命だったのか選択の上だったかは
もうどうでもいい。
何も持ってないなりに未熟なりに発進して、
そして大部分は日常に追われながら、
「思ってたんと違う、、」にも幾度となくぶち当たり。
三十も後半の子持ち女が、今から執筆を生業にしたいだと?
案件受注エージェントに週で30に迫る応募をしたのだと?
返ってくるのは怪しげな案件からのオファーばかりだと?
さぁ女山田。
この調子で、うんともすんとも行かないことも まだまだ歓迎してやろうじゃないか。
目の前にあるその手帳を、年の瀬にはどんな気持ちで眺めるか。
その答え合わせまで、あと4ヶ月。
それでは、また。
(クールなフリした天邪鬼ですが、いいねは死ぬほど嬉しいです。未熟な乱文、お読み頂きありがとうございました。)
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