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別居して、子供4人と飄々と生きてます。って言いたかった。

「たかだか数十分も自分の子どもも見れないで」

ある人から、そんなことを言われたことがある。

その言葉と表情を浴びた時、
ここ数年ふんばってきた
大切にしてきたものがプッツリ切れた気がして一皮向けたどうも山田です。

前々回の投稿くらいにお話しましした子連れ4人の別居について、
これはもう結構前向きに自分で決断していて。

加えて、パートナーにとっても自身と向き合い前進する時間を与えられるし、
1番は自分自身にとって、「子育てが辛い」と思っていた時期を乗り越えるきっかけや
「大丈夫な自分」を証明できるものになるのでは、
という期待が大きかった。

死ぬほど苦しい時に
支えても寄り添ってももらえなかったことへのトラウマは
なぎ倒すのに格好な時間も労力もかかるらしい。

とにかく、自分自身にも家庭にもパートナーにもいろいろなことが起こる中で、
それでもそれなりに前に進んできた結果として、今回の別居という選択があったのだ。

さてさて、
その決断から3週間を目前にした今、我が家の様子は如何に。
、、、なんと
早くも「同居」のかたちに戻っている。

別居当初は、1〜2ヶ月様子見をしつつ、
とりあえず年内続けてみようか。
とゆうか、結構イケるんじゃないか このカゾクノアリカタ。
とさえ思っていた。

だっていざフタを開けてみると、
大人一人でいる方が 子どもたちへの指示が案外スムーズだったりして、
大分順調に そして平和に回せている感もあり。

( その一方ではもちろん、
子どもたちから家族一人との関係性を奪っているのでは
という自責もあったし、
その点では凄く悩んだ。)

この調子で 平日別居の週末全員集合な感じを継続させられるんちゃうん。
これ案外他にはないカタチちゃうん。
これできたら自分に自信つくんちゃうん。

と確信しはじめていた。
矢先のこと。


はい、救急車で運ばれました。笑
てゆうか、自分で救急車呼びました。

数日前から頭痛や疲れを感じていて、
当日のエックスデイは 午前中から呼吸のしずらさを感じており。

で、夕方お迎え時には結構なしんどさ。
なんかフラついてるし、そこに元気一杯な4人衆のその日一日の命を守るという責務が あと数時間残っている、というカウントダウン。

食事やらお風呂やらを終え、なんとか4人衆を寝かしつけた後で
フラつく頭に糖分を流し込み、自分もリカバリーしようと布団に入ったところ。

もの凄い頭痛と眩暈、吐き気に襲われた。

すでに飲酒済みだろう別居中の夫に連絡するも、やはりつながらず、
それでも何度かかけ直した後
強くなる頭痛を前に、電話がかけられるうちにと救急車に連絡。

その数日前、30代の方の脳卒中の話題を、2件耳にしていた。

自分に何かあった場合、翌朝起きてきた子どもたちに怖い思いをさせるではないか。
そう思ったら電話をかけなければと思った。

2歳、3歳、5歳、精神年齢4歳の小学2年生。
この子たちが、何も反応しない母親を前に どう感じるかを想像した。
火曜深夜。
この家に確実に大人がやってくるのは3日以上後。
自宅に訪問者が約束されないのがこんなに怖いと思ったことは初めてだった。

救急車が到着し、
その後も電話をかけ続け 連絡が取れた夫が自宅に到着した後、
総合病院へ。
貧血検査やらMRI検査を行うと、
分かったことは軽い栄養失調と、
脳への異常はなし。ということ。

途端、安心感ではなく
「自分の子供も見られなくて」
というあの言葉が思い出された。

自分で決めたこともやり遂げられず、
パートナーや自分自身が変わるきっかけにも及ばず。

病院の天井を眺めながら、
良くなっているか分からない頭痛を遠くに感じながら、
「自分で帰ります」
と看護士さんに伝えた。

病室から会計へ移動する時も、
持ち合わせを気にする待ち合い時間も、
深夜タクシーに何食わぬ顔で乗り込む時も、
自分は一体何をやっているんだろうと 力無く恥ずかしかった。

夜が明けて、何も知らない子どもたちが起きてくる。
ある子はニコニコと歌いながら抱っこをせがみ、
ある子は朝食に文句を言う。

つたない会話で互いの意思疎通を成立させながら
山田がいない一晩で ズンズンと成長したような。
そんな屈託のない様に 初めて安心した。

山田が子育てに悩んでいようが、
家庭のアリカタに試行錯誤しようが、
何かの問題に向き合おうが。
その解決のためにかっこよさそうな行動をしようが。
それが情けない結末であろうが。
彼らには全く関係ないのだ。

安心して過ごせる空間があれが、
奴らは無限に大きくなる。

かっこいい自分になりたい病の山田のかっこわるさとか
どうでもいいのだ。

感じてきた寂しさも、苦しさも、もうどうでもいいのだ。

その変化を止めることができない彼らの人生は
完全に山田の一部で
むしろ逃げられないこの変化のただ中を、ひたすらに進んでいる。
理想とは随分かけ離れながらも。

その後、
やはりこの別居を「成功」させたいのにと疼(うず)く山田の意地を蹴飛ばして
そもそもは まずは体調優先に、
そして重要事項として子どもたちの愉しさ優先に、
また家族一緒に住んでみることを決めた。


でもまぁ、

「別居して、子供4人と飄々と生きてました。3週間くらい。」

と、これからは胸張って言おう。

何はともあれ、勇気を出して悩みを打ち明け、
冷静に話し合い、行動し、
そして、しっかり助けを求められた自分の判断に
まずは1億点あげることにして。



思ってたような結果ではないところに、
行動したことのリアルがあったという話。

それでは、また。
(クールなフリした天邪鬼ですが、いいねは死ぬほど嬉しいです。
 未熟な乱文、お読み頂きありがとうございました。)


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