〈読みもの〉余白
旅に出るのが好きだ。何か環境の変化があったりすると、しばらくは慣れることに精一杯だが、暮らしのリズムが定まってきて、繰り返しの日々の安定性をつまらなく思い始めると、心の流れがぎちぎちに詰まってきて、いつか破裂してしまうような気がしてくる。そこに、大きくても小さくても、旅の予定が立ち現れると、心に余白ができる。その余白のおかげで、いつもの生活をいつものようにこなしていても、不安になったり、心細くなったりせずに済む。
しかし、かつて私は旅好きであることを後ろめたく思っていた。どんなに遠くまで行っても、結局は日常に戻らねばならず、リフレッシュしたような気になってもそれは一時的なもの。旅に出る、というのは今ここから逃げるだけ。そんな風に感じていた。それに、どこに行っても、何をしても、何かを感じたり思ったりする自分自身からは逃げられない。旅をしたからって、何かが勝手に解決するわけではない。そうとわかっていても、旅に出ないと、心の奥にある何かがおさまらない。そんな頭と心の矛盾に、苛立っていて、旅好きであることを誇れなかった。
でも今は、たくさん旅をしてきて良かったと思う。昔の自分がたくさん旅をしてくれたおかげで、もし、何もかもが突然嫌になったら、昔旅した場所に行ってしまえばいい、例えば地球の裏側のあそことか、と思うことができる。居場所なんて、どこにでもある、と思うことができる。もちろん実際に、何もかもを投げ捨てて、突如どこかへ行くということはない。でも、「あそこに行けばいいや」と思えるような場所をひとつでも多く思い浮かべることができると、なんだか頼もしい。旅先で目にしたもの、味わったもの、嗅いだもの、聞いたもの。そのすべてが、淡々としたいつもの生活を、支えてくれている気がする。
喫茶店というのも、旅と似ている一面があるな、とこの頃思う。日常のすぐそばにあるけれど、いや、すぐそばにあるからこそ、日常の隙間に差し込むことのできる、小さな旅。旅に出て、帰ってきたときと同じように、突然何かができるようになるわけでも、何かが解決するわけでもないけれど。この店に来たら、帰る頃にはその人の心に、少しだけ余白ができていたらいいなと思いつつ、今日も珈琲を淹れている。
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