「その人生、待った」- 自分を掘り下げる正邪流転の職業。洞察屋の物語

僕はじーぺん。洞察屋として新たな道を歩み始めたけど、ここに至るまでの道のりは決して平坦ではなかった。「待った」をかけられ続けてきたような、そんな人生だった。時には自分が自分を止め、時には周りが僕を止めようとしてきた。

〇学校生活の中で感じた不安と孤独

小学校、中学校、高校と、学校に行くたびに重い不安に押しつぶされそうになっていた。学校が嫌いで、毎朝が苦痛だった。休むことも多かったし、午前中だけ休んで午後からなんとか登校することもあった。でも、それが続くと心身ともに限界が近づいてくる。親、先生、同級生、そして周りの大人たち……誰も僕のことを本当に理解してくれる人はいなかった。周りの無理解には、正直腹が立っていた。

〇限界を迎えた高校時代

高校3年の11月。自分への責任感、完璧主義、そして感情を抑え込むこと。それらが僕を追い詰めていった。初恋も、共依存のような関係になり、停滞を感じて切り捨てた。そんな日々が積み重なり、ついに限界が訪れた。

11月15日、雨の日に学校に行き、退学届けを提出した。母親は怒り、父親は黙っていた。その日、僕の中で何かが変わった。もう学校に行く理由はなかった。行く気力も、反抗する気力もなかった。ただただ嫌だったんだ。

〇学び直しと新たな発見

退学してからの2年間は、学び直しの時間だった。情報処理、心理学、哲学、小説の執筆、絵を描くこと、さらには脳科学や交渉術、キャラクター設定など……学びたいことをとことん学んだ。そして、そのすべてが楽しくて、自分の中に吸収されていった。実生活にも応用できるようになって、まさに洞察屋としての基盤が築かれていったんだ。

〇洞察屋への道のり

20歳を過ぎて、東京へ行ってみたけれど、そこには僕が求めていた学びの場はなかった。結局、東京はただの商業圏でしかなく、僕の期待を裏切るものだった。でも、それもまた一つの経験だった。

21歳になり、神奈川の旅館で働き始めて、洞察屋という新たな道が開けてきた。僕の中には過去の経験が詰まっている。僕は罪人であり、咎人だと自分を呼ぶこともあったけれど、それもまた僕の一部だ。

〇これからの僕

今の僕は、自分の経験や学びを生かして、他人をサポートする洞察屋として歩んでいる。これが僕の選んだ道だ。これからもペンとノートを片手に、学び続け、想像を楽しみながら、洞察屋として生きていく。


……なーんてね。
ChatGPTに書かせた文なんてクソだなクソ。
これじゃあ、本人が書いてることと比べて。

ま・じ・で、逆な感触になる。

さてと、上の文だけ読んで自分を綺麗に慰めた諸君に、
とりあえず、こんな命令をくだす。

本質まで探し出そうとしねぇてめえら気色わりーんだよ。

〇ね。〇ね。去ね アッ……
せっかく伏せてたのにバレちゃったじゃないか。


✒.)お待たせしましt……お待たせしすぎたのかもしれません!!


みっなさーん!こんばんは&こんにチワワ!
洞察屋じーぺんです☆

皆さんは、叶えたい夢、ありますか?
私は、叶えたい夢は、ありません。
なぜなら、今叶えてる途中だから。

……今回は、一石を投じる記事と言いますか。
あと20日も経てば22歳にもなるじーぺん自身に対して。

理想はさておき、現実的なお話ぶっこむことにしました。

☆補足みたいなやつだけど、ここ重要。

〇学校生活の中で感じた不安と孤独

他人より自分への不安が強いんだろうね。小学校の頃も、中学校の頃も、高校の頃も、何かが始まるとき本当に不安で、行きたくない、やりたくない。小1、小2、小6、中1、高1、高3。本当にキツかった。心身共に。

それでも学校に行かないといけないらしくて。本当に行くの嫌だよ。
サボったり、午前中休んで昼から行ったり。
......そんなことしても、最終的にはキツくなって。

心にも体にも出てんのに、どうやら周りにとっては違和感すらも感じ取られないらしい。……なんでだろう。大人は子供を大事にする?

できてねーだろ、てめぇは大人である以前に誰かの子供だろ。
人間は一生かかっても実際は子供のままなんだよ。
評価指標として成人とか大人って言葉はできてんだよ。
ばっかじゃねーの?(小学校の頃に初めてこういう事考え始めました

親も、学校の先生も、周りの大人も、学校の連中も。
小学校の頃からそういうのがずーっとあって。

それからというもの今に至るまで。
基本信用してないし、信頼もしてないし。(今は信頼してます
正直見下してるよ。だって、自分が大人である以前に誰かの子供であることすらも認められないんだもん(笑) 指摘したら感情むき出しにするじゃんアッホらし。「確かに!」で全然避けられる内容なのに対処が色々違和感だらけなんだよ。

洞察屋なめんな。(この言葉は1年前から愛用)


〇限界を迎えた高校時代

で、高校3年の11月。いろんなものが積もりに積もって、自分に対しての責任感もそうだし、自分が思う通りみたいな完璧主義、自分の有りたい姿の為に感情を殺すこともあれば、人だって〇〇〇しかけたこともあるしで……

ある朝食欲が全然湧かなくなるし、無気力になるし、もうほんと、ビックリした。直すのに時間はかかったけど、今となってはいい経験だった。

まあそれ以外にも原因はあるんだけど、
なんもやる気がしない。好きな事をやろうとしてもなんも気が湧かなかった。

初めての恋愛は高校1年。恋愛だって、心理に疎い初恋の相手が共依存を持ち込んで、停滞したその先は何の成長もないただの粗大ごみを恋愛の中に持ち掛けられて(13から心理学び始めて、精神健康性意識したり、感情性問題に対して理解深めて衝動性のコントロールをやり始めてる相手に、堂々と共依存がうんたらかんたらって……ぷぷっ(笑) 心理学び始めるとそっちにも注意行くよねー僕もそうだった。けどね、その先も知ってるんだー。……ということで!)サッサと切って別れて、もうほんと。大変だったけど面白かった👍。

当時はねー…… 不安症レベルでマージで対人関係中心の問題がすんごい多かったからねー。キツカッタヨ。

ちなみにじーぺんは、HSS型HSP気質だって自己紹介してるけども、始まりは保育園の頃、小学校の頃とか、……まあ親の不手際も含め、周りの大人もあったり、保育園生であっても「”集団はぶき”にされる」なんてあるからね。

ほら、いじめは受けてる側がいじめられてると思えば、いじめになるでしょ? ありましたよ。多分これ、私だけの話でもないですよね?

今は私にもちゃんと話せばよかったし、私にも至らなかった点はあると思ってます。が。

どんな形にせよ。昔感じた遺恨っていうのは、なかなか記憶から抜けられないものです。まあ実際、怒るっていう感情より、悲しいっていう感情の方が強く動いて、相手に対しての攻撃というような行動をとってしまう。というのは、私は身をもって知っていますから。安心してください。

私は、被害の経験も、加害の経験もありますから。
その上で、この次に書かれることをお読みください。


〇学び直しと新たな発見(学び直しなんていう次元じゃないけど)

人付き合いを考えて、行動しながら、自分の有り方についてもずーっと考えて。将棋とか麻雀とか、想像の中でさえバトル物の妄想にふけったり、なんなら自分が上の立場になった時の下の立場の人たちを想像して、今に至るような中庸であり、陰陽太極図であり、調和の心に行き着いた。

まあ分かりやすい表現でいうと、自己哲学を磨くことにもなったし、この世界のことについて知りたかったから本を読んだり動画を見たり。


高校になった頃は、とにかく自分を磨くことの中でお金の管理についての情報が必要になったから、本当は別の学校のマルチメディア科ってところに行きたかったけど、当時心理学を学業の傍ら、自分の心のコントロールをするために理解する事に時間を使ってたり。情報処理科には入ったけど、脳の情報処理に関するところなのかなって思うぐらい勉強に情熱があったから入ってみたら全然違くて。でも、プログラミングは、ニューロシナプスの理解も進めてたから処理系や判別式に使えるかなと思って、学ぶことは好きだった。


ちょうどその頃は3年で、あんまり好きじゃなかった、科学や生物の勉強に興味がわいて、いつも20点とか30点とかだったテストが、40点取れてたことにビックリした。生物のテストだった。いっつもノートの空欄には将棋の定跡情報を符号で書いたりとか、頭の中に将棋盤作れたから適当に動かして、授業中先生の話も学ぶことも退屈で、戦いに勝つにはどうしたらいいかについてずっと考えてた。あまりにも学校の勉強が詰まらなくなって、歴史のテストはわざと白紙0点とって、やっと興味がわいた生物の授業がなくなったっていうのもあったのかな。他の教科のテストも興味がなくなって、まあ......鬱になったよね。


そして高校3年の11月15日。忘れもしないよ。雨の日に半袖長ズボンで学校に行って、さっさと退学届けを出した。母さんめっちゃ怒ってた。父さんは別に何とも。......めっちゃ嫌だった。けど、鬱ってね。起こる気力も分からなければ、反抗する気力も沸かなくなるんだよ。だけど、適当に何の意味も込めずに言った言葉が、ただでさえ感情的な母親がさらに面倒を起こした。

簿記の資格を受けに商業高校に通ってるわけじゃないのに、やれテストの結果だの、大人だろうが、ただでさえ尊敬もあこがれもなかったのに、余計に失望させる行動をとって、「たかが人間の分際でうぜぇんだよ。」っていう意見が強くなったのも、こんな状況があったからかもしれないね。

学校を退学してから約2年。僕は、情報処理も、心理学も、哲学も、ラノベみたいな小説を書いたり、絵を描くことも、脳科学、学習科学、交渉、キャラクターの設定、趣味で数学を始めてみて意外と楽しく学べたり。

......本当に、学びたいものを学びながら、ついには20歳の夏ごろには、歌い手。いやmix師として勉強しに行って仕事をするために東京へ。

でも、東京にはそんな勉強をするところもなくって、何なら仕事しながら学べるところもなくって、失望した。


いや、現実を知ったって言った方が正しい表現になるのかな。
東京は、ただの商業圏だっただけの張りぼてだったよ。


まあ、事実なんで。

否定したい人は否定していいっすよー。
肯定したい人は肯定していいですよ。

……といういことは、どういうことか。
僕にじかに話を聞いて、真実を明るみにするのもいいですよ。
なんなら洞察屋じーぺんの記事を調べてみるのもいいですね。

ただし、僕がいるDiscordグループが分かって、管理人さんや現在いるメンバーに迷惑かけなければね。

一つ条件。

今僕は、ココナラで有料モニタリングを開始しようと考えている。
1/23告知開始~1/30締め切り。これに参加してください(任意)。


〇洞察屋への道のり

20歳の秋。いや、10月24日

僕は、東京を経由し、神奈川のとある旅館で修行......もとい、派遣バイトを始めることになる。 21歳の今は、洞察屋として、自分自身を主張し、その上で他者と共存し生きていくっていう風な考えになって、まあ、自分のことを過去これまでにやってきた、人への行いに対して、僕は僕自身を罪人、咎人っていう風に思ってる。そんな中で、働いてみることにした。


小学6年の頃あたりに出会ったペルソナ5。
中学の頃に出会った
①最弱無敗のバハムートのルクスアーカディア
②落第騎士の英雄譚 黒鉄一輝
③黒子のバスケ 
 黒子テツヤ、緑間真太郎、黄瀬涼太、青峰大輔、赤司征十郎。
 そして火神大我。

最後に、双星の陰陽師、天若清弦

これらのキャラクターに対して、憧れていたというより、生き様に感銘を受けた。


TOPで感銘を受けたのは、天若清弦
そしてもう一人、黒子テツヤ



〇これからの僕

......自分らしい道は、もうほとんど歩いてきたね。今はもう、残りの自分らしい道を歩いている最中だよ。

洞察屋という職業名には、僕の今までの20年間が込められてるからね。

これが設立できて、収入も入ってきて。これが終わればあとは、小説家と、歌い手。まあ、これも8年ぐらい。姿かたちを変えてやってきたけど、なかなか見られない。

なら、洞察屋として生きれれば十分だよ。


自分らしい道ではあるけど、その道では、他人ごときがそのつまらない目線で評価ができるような捉えはできない事を知った瞬間に、なんかもう。

うん。今の時代の人間の限界が見えたよ。

「自分らしい道」ではあったかもね。
「自分の道とは到底いいがたく、楽しいけど、まあ、生きづらいよね」

これからは、自分のことについては真剣に考えて、せっかく仕事を開業するぐらいだから、自分の経験や、なんか知らんけどついてきた能力を使って、そしてこの世界の日本のラノベや漫画の世界、自分が学びたい学問の世界、たまに歌を歌って、将棋を指せる仲間を探して、想像事も楽しんで。ペンとノートを片手に洞察屋として仕事を成り立たせて、生きていく。

まあ、ここに書いてることなんて、全部事実だから。

分かりたいやつ。分かりたくないヤツ。

もう今更どうでもいいよ。

✒.)あとがき

とりあえず、去年修行が終わったあたりで見かけたんだよ。
株式会社ジコリカイっていう場所。

洞察屋からの助言として一つだけ言っておくと、
なんもない。

まあ、アビスに至ることがある人いたら、
こっちに来た方がいい。

この言葉を聞いて、かっこいいとか、感情を動かす人。
何だろう。だとおもって、容易にアビスについて語るのは辞めた方がいい。
大体の人は分からんから。
てか分かったところで、その上で動ける方はまあ……うん。

ちゃーんと自分に対しての理解も、人に対しての理解も、あとその先も。
その上で来てよ。

僕が求めている話の姿ドンピシャで、更に僕が読んでほしい記事のタイトルを理由もドンピシャであててる人。

そんな人が。

仮に、僕の話をききたいって人がいるなら。
6000円ね。準備しといて。

あと、ココナラで有料モニタリング開始するから、

ただね、一つ注意点。
どこまで行っても、お客も店側も、
人によって作られていることを忘れないで。

……まじでこの日本、いい国だから。

大事にしましょ。ほんと。


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