民藝 MINGEI 美は暮らしの中にある 展@富山県美術館
民藝は昔から好きになれない。何事も理屈で考えがちで、矛盾があればそこを突きたくなる性分だからだろうか。貴族院議員の御令息が、低学歴な貧乏人の日用品になぜか興味を持ち、東大で学んだ仏教思想を援用して自分の「ゲテモノ趣味」をもっともらしく聞かせるための理屈を捏ね回しただけじゃないか、と嫌味を言いたくなる。
それなのに民藝がテーマの特別展に行くことに対して「嫌なら見るな」とか「お、ツンデレか」とか言われるかも知れないが、べ、別に民藝の事なんてぜんっぜん好きじゃないんだからね! さておき、民藝は嫌いだが美の多様性を示した点やプロダクトデザインに与えた影響などは立派な事績として認めている。それに、嫌いな民藝を通して自分の好みを相対化することは、自分でも気づいていなかった自分の嗜好を発見するきっかけにもなる。だから敢えて見に行くのだ。
もっとも、マイナスの感情を抱いている以上、感想はどうしても辛くならざるを得ない。例えば会場入口の暖簾、おきまりの民藝フォントで「民藝」と書かれており、思わずフレーメン反応を起こした猫みたいな顔をしてしまう。展示室入る前からこれかよ、と内心でクソデカ溜息をつきながら半券をもいでもらい、その次に目にしたのがコレである。
日本民藝館が1941年に開催した「生活展」の再現だそうだ。軍靴の音が聞こえる最中に何と呑気な、という気がしないでもないが、こうも突き抜けられると一種の創作だと認めざるを得ない気分になる。もしこれらを構成するゴテゴテした食器が無印良品の食器売り場に紛れてたら失笑せざるを得ないだろうが、ここまで統一感を出されたら存外悪くないものだ。
先に進むと「暮らしの中の民藝 美しいデザイン」と題して衣食住にまつわる器物が、普通の美術展と同じ方法でガラスケースの中に陳列されていた。衣食住の順番で展示されており、衣エリアでは展示の着物と同じ柄にプリントしたと思しき布が天井から吊るされ、空調の風で微かに揺らめいていた。館の味気ない照明も布越しに浴びると途端に楽しくなり、伝統的工芸品の布を使ったランプシェードなどはアリかな、などとコンサルみたいな事を考えてしまった。
衣エリアの解説パネルに「服は保温という機能のためだけなら柄はいらないし、色は黒でいいはず。美しくしたいと思うから模様が生まれる」というような事が書いてあった。柳から時空を超えて手袋を投げつけられた思いがした。この日私は黒無地のシャツに紺の上着を羽織っていたからである。確かに私は服への拘りが薄いし、そのシャツだって着心地の良さと速乾性を重視して選んだ。しかも着るものに悩むのは煩わしいという理由でそのシャツを5着(ストック含めば8着)持っている。でも数あるカラーバリエーションの中から無地の黒を選んだのは妥協ではない。無地のシンプルさが好きだから無地にしたのだし、色だって上着やパンツとの取り合わせを考えて、青や緑や黄色ではなく黒を選んだのだ。
食エリアでは上の写真の絵志野の平鉢が桃山として展示してあったが、卯花墻は言うに及ばず桃山時代(美術史用語)の志野と比較しても幾分落ちるように感ぜられた。民藝品の比較対象となる上手物とは言い難いし、かと言ってこれを民藝品、民衆的工芸品だとするのは質の悪い冗談だ。志野は民衆(という概念は明治以降に輸入されたものであるからここでは農民と解釈する)が普段使いできるような物ではない。庄屋か豪農といったプチ・ブルがハレの機会にだけ使う家宝を「農民の食器」カテゴリに含めていいのなら民藝品になるのかもしれないが。
みんな大好き牛ノ戸窯の緑黒釉掛分皿も展示されていた。これを見ていて、ふと「黒釉のみの方が使い勝手がいいよな」と思った。いや、この皿だけじゃない。ここに展示されている民藝品の多くは「足の生えた蛇」ではないか。丹波の蝋燭徳利にしても、肩から垂れる黒釉のない白無地だったら、昨今の陶芸家が手掛けるオブジェじみた(作者曰く「用と美を兼ね備えた」、柳流に言うなら「不健全な」)徳利に比べればかなり見れたものになるだろうに。
ここまで考えて、G型しょうゆさしの逸話を思い出した。白や黒の無地の、シンプルな醤油入れである。しかし当初は問屋から「模様が入ってない。半製品じゃないか」と言われたのだそうだ。同製品は発売以来60年以上に渡って人気のロングセラーであるが、これを見るに無地のカッコよさというのは案外戦後くらいから受け入れられだした感覚なのかもしれない。
もっとも展示品の全部が全部装飾過剰だった訳ではない。阿仁合の岩七輪は学ぶべき点の多い一品だった(上記リンクサムネ参照)。マットな黒と乳白色のツートンカラー、ほぼ直線で構成されたフォルム、前時代の道具のはずなのに現代のマンションに置いても不思議と調和しそうである。もしかするとこういうのを普遍性と呼ぶのかもしれない。籐を編んで作った、梅結びの水引を大きくしたような鉄瓶敷きも、もうこれ以上何も引き算できそうにない。「一言多い」民藝品連中に囲まれているせいもあり、シンプルなデザインの滋味が染み渡った。
その後も色々と展示が続く。桐文をあしらった鉄製の行燈を見て「ああ、魯山人もこんなの作ってたなあ」と思ったがとんだ勘違い。展示の行燈は江戸時代の物で、むしろ魯山人がこういう行燈を見て自分でも真似てみたのだろう。もしも柳宗悦が魯山人作のを見ていたらどんな感想を残しただろうか。いっその事、世田谷美術館や笠間日動美術館が日本民藝館と共同で「柳宗悦vs北大路魯山人 展」とかやってみてほしい。鉄製行燈や、上で触れた絵志野の平鉢と魯山人作の絵志野平鉢を並べてみたりして。
出口の手前には、また民藝品でコーディネートした部屋がインスタレーションとして公開されていた。部屋に並ぶ壺やら厨子やらマスクはいずれも本来の製造目的、使用意図から切り離され、所有者の欲望を満たすための玩具として消費されている。入口で見た「生活展」にはライフスタイル提案という意図があったから多少は理解できたが、出口の方は何がしたいのかよく分からなかった。
とは言え、そもそも柳宗悦の言ってる事自体がよく分からない、腹落ちしないのだから仕方がない。それでいて「考えるな、感じろ」式だから理論に矛盾があってもゴリ押しできて狡い。もっとも、その抹香臭い理論(とも呼べない理論)を棚に上げれば、意外と見れる民藝品もあることが分かったのは一つの発見だった。
伝統工芸、民藝、プロダクトデザイン、私はどうやらシンプルなものに惹かれる傾向があるらしい。そういえば今の日本民藝館の館長、深澤直人氏は無印良品のプロダクトデザインにも携わっているとの事。気になって氏のインタビューなどを幾つか読んでみると、これが一々腹に落ちる。もう少し氏の哲学について掘り下げてみようと思い著書をポチった。好きな無印良品と好きになれない民藝を、結びつける触媒として作用してくれないかと微かに期待している。