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「信州幸福考」終演後記

昨日、無事に終演しました!
誰一人欠けることなく終えることが出来て、ひと安心です


奥村勝=川中勝を演じました井口ジョージです
連日の悪天候のなか、みなさまほんとうにご来場ありがとうございました!

顔合わせからあっという間に終わってしまった印象ですが
たくさん"アガる"瞬間を感じました
それは稽古でも役作りでも本番でも
ただ、こうして落ち着いて考えたときに"何が一番そんなに嬉しいの?"って訊かれたら
やっぱり生でお客様一人ひとりをお見送り出来たことなんですね

毎回、初めてわたしを知ってくれた方から"面白かった""凄かった"といったお褒めの言葉をいただいたり、時には握手を求められたりもしました
素敵なイラストも描いていただいたり!

井口ジョージとしてではなく、初見の役者として、物語のキャラクターとして、お客様にちょっとした驚きを与えることができた
このことが元教員・声優崩れの偏屈野郎には嬉しいのです

いや、わたしだけでなく
これが本来の役者冥利が云々と言うやつで
コロナ禍以降ずーっとお預けを食らっているすべての役者を救う瞬間だと思いました
結局役者にとっての"やり甲斐"なんて、全部そこに向けられてるんだな、と

とても懐かしい気持ちになりました
また、今回いただいた役がハマっていたのも幸いでした
"脳性麻痺軽度と知的障がい者、世間は一緒くたに見る"
正直わたし自身もそうでした
健常かそうでないか、という浅はかな理解でした
なので、まずは形から入りました
たぶん多くの人も自分と同じだろうと思ったから

職場に来た、電車で見かけた、道で見かけた、学校にいた、同級生にいた、
すべての人々の記憶を呼びました

次に、上手いなーと思った役者が出てる映画を参考にしました
趣味が悪いので偏ったチョイスです

『ギルバート・グレイプ』のディカプリオ(隣はジョニデ)
『Cube』のカザン。数学的知能に秀でる
『ジョーカー』で心神喪失のフリをしている殺人鬼役の窪田正孝

ほんとはもっとあるけど、このへんを継ぎ継ぎして色々練ってみました
(フルメタルジャケットのレナードも浮かんだけど、皆が知ってるのはやりたくなくて避けました笑)

微笑みデブことレナード

そこから症状を調べて、折り合いを付けて嘘もちりばめて…って感じでした、今回は

ところでみなさんは
吃音(どもり)の真似をしたら自分もそうなっちゃうよ、みたいな話を聞いたことがありませんか?
はい、今ちゃんと歩けません 

近親相姦で生まれた知的障がい児を供養する「永六地蔵」
彼は、彼らは、果たして"村"の在り方についてどう考えていたんでしょうねぇ
村を守る立場であった奥村家と、その望みの果ての副産物であった永六地蔵
果たして両者は同じ方向を向いていたんでしょうか?

限られた時間のなか、村を出ようとする忠と桜を嗜めるシーンでは、背後から数万人の情念を感じる時がありました
今も書いててめちゃめちゃ怖いです笑

なのでこのへんでわたしの話は終わりましょう

お客さんと触れ合えて嬉しかった、みたいな話でしたね
コロナ禍を受けて、舞台を無観客で、配信で行うところも多いですが
どうなっていくんでしょうねぇ

表現の世界は次々にやり方や媒体を変えて、目まぐるしく変化するもので
VチューバーとかAIとかがブイブイ言ってる後ろで、歴史を重ねてきたあらゆる表現者達があえいでいます
憧れて目指した世界も永遠ではなく
遠くない未来にさよならするものなのかもしれません
見える景色が変われば、当然人の心もじわじわと変わってしまう
昨今はそのスピードが速すぎて、あと人々の声がいちいち五月蝿すぎて
ついていくのもやっとです

子供も夢を持ちにくそうですよね
自分が大人になる頃には、それは別のものになってるから
次々に新しくて五月蝿いものが出て来て
将来への視線が定まらない
ほんとうに、じっと見据えなきゃいけないものが隠れて見えなくなっちゃう

舞台とは、役者とは、表現とは?
われわれは何のためにやってる?
これまで何を得た?
いま世間で何が起こってる?
どのように祈れば安眠できる?

これだけやってて、見えないんです

ここならなんでも見えるだろうね

そんな、じっとしていられない世界で、舞台やお芝居といったものもいつまで続けられるか分かりません
劇中に山田が言ったように「過去を引きずりすぎ、前向きに生きよう」という理屈が、今回のお話の軸の一つではあるのかもしれません
けど、どんなに時代が進んでも"これは、これだけは手放しちゃダメだろ?"と、その背中にすがり付きたくなる人々の感情も分かります

いわば、ふらふらと足取りが覚束無い時代がふと立ち止まり、心の中、自問自答の果てに静かに涙した…
そんな情景が見えました

AIイラストとか消えてほしいですもん(直球)

とはいえ、いかな新天地でも強かに幸いを見つけるのが人間という生き物であると信じています
大山田ファミリーとお別れした房江さんはじめ奥村の住人達も、飯田市に馴染むまでには試練も多いと思います

もちろん「しあわせこう」はフィクションですが、各地のダム建設の背後には実際にこういった話がごろごろと転がっているのだと思うと、
ほんとうに、後からじわじわと来るものがあります

われわれも生きていて、上から突然、そして前から突然、どうにもならないものが振りかかってくる時がありますが
そんな時こそ堪えて刮目して、道を見失わないようにしたいです

さてさて、そろそろ締めましょうね
まとまらない上に長くなりましたが、

暖かく迎えてくれた宮﨑さんに
見守ってくれた先輩方に
懐いてくれた後輩方に
支えてくれたスタッフ陣に
遊びに来てくれた仲間達に
観てくれた、感じてくれたお客様に

ありったけの感謝の意を表して締めたいと思います
ほんとうにありがとうございました!


みんな、また話そうぜー

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