【増補】戦争抑止に就いての四分五裂

 今、地球のあっちとこっちで戦争をしている。いつまでどこまでやる気だか、小生なぞには見当もつかない。それにしてもとんでもない奴らだ。

 小生はいわゆる「戦争を知らない世代」の古参の部類に属する。戦火には遭わなかったが、子供の頃は、街へ行くと、戦争で傷ついた人達がそこかしこにいた。

 「もはや戦後ではない」というキャッチフレーズは、いつ頃だれが言ったものかわからないが、昭和30〜40年代は紛れもなくまだ「戦争の後」だった。いや、今だって、まだ戦争体験を持つ人達がいるし、広島や長崎で被爆した人やその二世の方々が苦しんでおられる。そのような方々を家族や先祖に持つ一族は、代々その事実と思いを伝え更に長く保持することになる。要するに「戦後」はそう簡単には終わらない。
 
 戦争は、貪瞋痴すなわち貪欲と怒りと無知による最大の愚行である。また戦争に伴って発生する、窃盗・暴行や殺害そのものを楽しむかのような兵士たちの狂気の宴を映像や本で見聞する度、怖ろしくて情けなくて絶望的な気分に陥ってしまう。倫理とか道徳は、穏やかで安定した社会だからこそ成り立つものなのかもしれない。底が抜けたような極限状況ではあらゆる悪行が半導体のように通り抜けてしまうのか。

「半導体」とは⇊⇊

 そんな人類最大の愚挙に日本が再び参入するようなことがあってはならない。どんな力の誘導があろうと、近隣で勃発の危機が迫ろうと、日本は殺戮の狂気に巻き込まれてはならない。
「(あらゆる生命を)…我が身に引き較べて、殺してはならない。殺させてはならない」この釈迦の教えを、佛教の根付いた国である日本は頑なに守るべきてある。

原点は⇊⇊

(注1)この言葉は古層の経典である
「ダンマパダ」に出ているもので、日本仏教の特定の宗派でのみ用いられているものではありません。


 戦争を失くすには、どうしたらいいか。
 
 あんまり短絡的にすぎるが、これは、戦争やそれに附随する事物を無化するしかないと思う。
 
 それで、戦争を表現する言葉を世界から抹消することを考えた。言葉があるから、戦略が具体化されるし、兵器の創造や開発が始まる。しかし、これを抑えようにも、教科書を墨で塗るようなことをした所で一旦作られた言葉は止められない。
 そこで、あらゆる兵器について、個々にそれを「ハナモゲラ」的に変容し、これを衝突させることによって「対消滅」せしめるというワザを考えてみた。実例をあげる。

 (戦争に係る語句→変容された語句)
 ・戦闘機→銭湯好き
 ・魚雷→雷魚
 ・ミサイル→味噌汁
 ・航空母艦→口腔ポカン
 ・対潜哨戒機→鯛せん消化液

 http://kameyahonten.co.jp/?page_id=25
「房州名物鯛せんべい」亀山本店

房州名物鯛せんべい」亀山本店

 ……………… 

 (んー、思ったほど浮かばなかった…)

 ふざけていると思われようが、実際フザケているのだ。しかし、言葉が先に立って現実を歪曲させたり一方向に誘導するということは実際起こっていることではないか。ならばこの試みは強ち無意味ではないことになる。さあ、どうかな。知らん。
 
 ヒトに特有の、物を創造するという行為はそれを破壊する行為と表裏になっているのではないか。つまり人間が造るあらゆる物、ビルや鉄道、車などは、実は破壊を前提に造られているのではないか?
 証明しようもない仮説だが、実際、建築等の技術が進歩すれば兵器もそれを破壊する威力を持たねば意味がない。人類の進歩が皮肉にも破壊の進歩にもなっている。

 ここまで「進化」した世界から戦争や兵器をなくすことは余りに難しい。そこでそれに先行して戦争や武器という概念をなくす、すなわち言葉を無意味化してクズ化してゴミ箱へ放り込むことならできる。
 戦争や兵器の用語は固より、戦争を賛美したり美化する音楽や劇、絵画も異化して封印する。更に言うなら、戦争の描写やその悲惨さを描いた文学や藝術も封じるべきだと思う。究極的には戦争を想起させるあらゆる言動、映像をこの世から葬らねばならない。これは極論暴論胡乱愚鈍である。
でも、このくらいしないと狂気と凶器は地上からなくならないと思う。
 如何。あかん。あかんわな。バルカン星に移住する方が余程現実的なのかな。

バルカン星⇊⇊


 くどいが戦争はバカのする事である。
 バカな行為を制するのはバカな思考ではないか。前者は先に述べた「貪瞋痴」にまみれたバカであり、後者は慈悲と智慧をもって凡人には思いもよらぬことを考えられるバカである。
 小生如きの卑小なバカではこの程度しか思いつかないが、世の中には大慈大悲の智慧あり機転の利く後光のさした優れた「突飛な発想」のできる御仁がいるはずだから、そういう方が出で来て、そのオーラで世界を包めば、平和は忽然と達成される気がする。

(大喜利)
「…かんじんのフセイン大統領は出てくるのか?」
「ウチの嫁さん、怒って実家のお父っつぁんに電話したんや」
「それはフセインじゃなくて嫁さんのお父っつぁんじゃろ」
「嫁さんのお父っつぁん、大阪の布施で隠居してまんねん。布施の隠居でフセインや」
「あれが大統領か?!」
「大工の棟梁や!」
(夢路いとし喜味こいし「我が家の湾岸戦争」から)

(注2)上記の漫才がこの本に出ているかどうかは、わかりません。



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