僕は玉木雄一郎を信じてみたい【エッセイ】
若者は政治に興味関心がない。
頻繁に話題になる話で、耳にタコができそうだ。
しかし、自分は思う。本当に話題にするべきことだろうか?
むしろ興味関心がなくて当たり前じゃないか。
どうせ誰が当選しても変わらない。
どの党が議席を増やしても変わらない。
変わることと言えば、どっかの誰かにたくさんの権力と税金が流れていくだけ。
その程度の違いしかない。
別に景気は良くならないし、税金は増え続けるし、少子高齢化は止まらない。
もうバッドエンドが確定したゲームに興味を持つ理由がない。
興味があるとすれば、如何に自分だけが得するか。これしかないだろう。
選挙を就活だと勘違いしている彼らと同じ思想であることに、嫌悪を感じて思わず苦笑してしまう。
でも仕方がないことだと思う。
選挙とは数の暴力だ。どうやっても多数派の意見を重視する必要がある。
そしてこの国の多数派は高齢者だ。あと何年間生きるかも分からない彼らにこの国の運命は委ねられている。
そして彼らが票を託す相手もまた高齢者。高齢者だけで日本社会は築かれる。
そもそも若者はゲーム参加すらできていないのかもしれない。
しかし、これも仕方がないと思う。
結局、人間は主観的な判断しかできない。
どんなに賢い人だろうと自分という枠から出ることはできない。
だから自分にとって都合のいい選択をしてしまうことは当然のことだ。
別に高齢者を叩きたいわけではない。自分の視点からだと、そう思えてしまうというだけの話。きっと高齢者から見ると別の視点があるのだと思う。
分かりあうのはきっと無理だと思う。
だから多数派に所属できない自分の票に価値なんてない。
そんなことを思っていた。
今回の衆議院選挙では少し様子が違った。
国民民主党という初めて聞く名前の政党が凄く当たり前のことを言っていたのだ。
「対決より解決」
これが正しいことはみんながわかっている。国民も政治家もみんな分かっている。
でもそれは机上の空論だ。
野党が解決のためにどれだけ奔走しようとも、世間的に見れば手柄は与党のものになってしまう。与党だってわざわざ本当のことは言わない。
国民がどれだけ恩恵を受けても、本来評価されるべき人たちは報われない。
だからこれは正しいけど、間違っている考え方のはずなのだ。
その国民民主党の代表・玉木雄一郎さんは最後の演説で言った。
「真面目に頑張る人がちゃんと報われる社会を作りたい」
僕はひどく驚いた。
バッドエンドだと決めつけ投げ捨てたゲームに、いやゲームなんて言い方は良くない。
政治に対して一生懸命向き合っている政治家がいるなんて夢にも思わなかった。
だが、自分はまだ懐疑的な視線を送っていた。
どうせ選挙中だけのパフォーマンスで、終わってしまえば知らぬ!存ぜぬ!我関せず!になるんだろうなぁと。
しかし、そうはならなかった。
選挙が終わり1週間が経とうとしているが、政治に対して・国民に対して・投票してくれた有権者に対して、今もなお向き合い続けているように自分には見える。
きっと、基礎控除の拡大もガソリン減税は難航すると思う。
そもそも法案が通らないことも、国民民主党が望んでいる減税額よりも下回ることも考えられる。
そんなに簡単に減税できるのであればとっくの昔にやっていたはず。
だから結果が伴わないこともあるだろう。
今後、玉木さんが掲げる政策に賛同できないことも出てくると思う。
そりゃあ自分にとって都合のいい政策ばかりであれば嬉しい。でも自分以外の日本国民が1億2000万人以上いる。
その全員のことを考えれば、自分にとって都合の悪い政策もあるだろう。
そんなことは頭ではわかっている。
でも、それでも思わずにはいられない。
僕は玉木雄一郎を信じてみたい。
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