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問いを考える際に意識することー立場と違いー

(写真と本文は関係ありません。このnoteを書くきっかけとなった講座のアイスブレークで「自分を食べ物に例えると?」との問いに、ボクが答えた「定食」、の一例です。恵比寿の「こづち」の「肉野菜炒め定食」です。立ち上る湯気を見ると、また食べたくなります!)

オブザーバーとして参加させていただいている素敵な講座でいただいた「問い」と「答え」のやりとりにインスパイアされたことを、まとめてみます。

講座「心理的安全性の高いコミュニティのつくりかた」

5月1日から15日までの毎週土曜日、母親アップデートコミュニティ(HUC)のCMO(チーフミックスオフィサー)であるなつみっくすによって開催されている「心理的安全性の高いコミュニティのつくりかた ~チーフミックスオフィサー講座~」

ありがたいことに、ここにオブザーバーとして参加させていただいてます。

それには、こんな経緯があります。
なつみっくすがHUC立ち上げを思い立った時に、たまたまその数日前にお会いしたボクの趣味と特技が「幹事」だったことを話していたことから、立ち上げ方についてご相談いただいたことがあったためです。
すでにその時にお伝えしたことを超えて、なつみっくすは、HUCを大きく広げ、深めていることは周知です。

そんなこんなで、ボクはオブザーバー=見守る人。
お邪魔にならないようにしつつ質問にお答えしたり、参加者の皆さんがブレイクアウトルームに行っている間に、なつみっくすや運営の皆さんとおしゃべり(副音声)させていただいています。

インスパイアのきっかけ

昨日の第2回の冒頭のやりとり、でした。
オープニングで、第1回の振り返りの際に出てきた質問になつみっくすが的確に回答。問いはこのような感じでした。

「チーム」と「コミュニティ」の違いとは?
コミュニティの継続のさせ方は?
メンバーの熱量の差の扱い方は?
コミュニティ作りのステップは?
コミュニケーションの取り方は?
モチベーションの維持の仕方は?

その上で「補足のコメントを」と発言の機会をいただきました。
ボクはざっくり、こんな感じでコメントしました。

コミュニティの「内」と「外」を分けるものは何か、を考えてみると
全ての問いへの答えになるヒントがあると思います。

…モヤッとしてますよね(苦笑)。コメントを受けたなつみっくすも「ん?」という感じでした

ということで、なぜこのようなコメントをしたのか、このコメント(回答)をした際にどのようなことを考えたのか、などを整理してみます。

まず、意識したこと

主催はなつみっくすであること、です。
ボクは
(経緯を踏まえ、敬意をもって)オブザーバーとして参加させていただいています。しかし、この場はなつみっくすの場です。よって、余程、なつみっくすの考え方や動き方などとボクのそれとに大きな相違がない限り、文字通りobserve=「見守る」のがボクの在り方、だと思っています

というのもobserveの語源は、ラテン語の「ser」(見守る)。
「ob」(~に対して)+「servo」(見守る)が「 observo」(観察する)となり、observeとなったようです。この単語のコアの語源は「よく見ること」であり、「preserve」(保存する)と同じ語源とのことです(出所:https://gogen-ejd.info/observe/)。

それぞれの問いになつみっくすが「答え」ていて、また、その内容に特段の違和感がありませんでした。その流れで「補足」として皆さんのお役に立てるにはと思いを馳せた時に、「そもそも」について考えるきっかけを作ることかな、と思ったのです。

自分はなぜコミュニティを作りたいのか、それは今の状態となにが違うのか、違い=コミュニティがある状態とない状態を分けるものは何か、そのようにするには誰にどのようにコミュニケーションを取ればいいのか…全ての問いは、コミュニティの「内」と「外」の分け方が整理できれば、答えに至る、と考えた次第です。

ゆえに「そもそも皆さんが作りたいと考える『コミュニティ』ってなに?」を表現を変え、考えるきっかけをコメントしてみました。

問いへの向き合い方

いつでも質問をいただいた際には、次の2つのこと考えて向き合うようにしています。

「問いはプレゼント」
「問いにも答えにも、正解も不正解もない」

ー1.「問いはプレゼント」

同じものを見ていても、違う解釈をしていることがあります。それに気づかせてくれるのが「問い」です。なので、いただくといつも感謝しています。

ー2.「正解も不正解もない」

同時に、時と場合によりますが、大抵「答えはひとつではないし、常に正解や不正解があるわけではない」とも申し添えます(すみません!昨日は言いそびれました!)。

ー例えば

「りんご」を目の前にします(写真出所:wikipedia)。

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これを「りんご」という言葉を使わずに表現してみます。
皆さん、どのように表現されますか???

「赤いもの」「丸いもの」「芯があるもの」「甘いもの」「酸っぱいもの」「木になっているもの」「もげるもの」「重力の存在を教えてくれたもの」…などなど、同じものを見ていても、人によっていろんな「解釈」「認識」「見え方」「表し方」がありますよね。すると、違う表現をしている人に「なにそれ?」という問いが立ちますよね??

背景とそれを意識する理由

ーこうしたことが生じる背景

「違い」があるからです。
問いを発する人によって、同じ場にいても、その言葉が意味することが「違う」ことがあります
「違い」とは、同じものを見ていても、目に付くことが違ったり、見え方が違ったり、同じところを見ていても表現が違ったり、そのものに対して事前に知っていることや体験したことが違ったり、その先に成したいことが違ったりすることによって生じます。

そのため問答の際には特に、違いがあることを踏まえた上で「同じもの」について話していることを確認する必要がある、とボクは考えています。
「コミュニティ」のように、複数の解釈が成り立つものの場合は、特に。

ー「違い」を気にするようになったわけ

幼少期の転校生生活、によるものだと思います。
ボクは小学校に3つ、中学校に2つ通った「転校生」でした。
転校し、新たな場に臨むたびに、同じ言葉を使っていても、どうも話が合いません。「生徒会」「運動会」「遠足」など同じ言葉を使っていても、どうも違う。

そりゃそうですね。その場にいる人にはそれまで流れていた時間があり、やり方があり、規範があり、その中で経験したことがあり、それは自分の今までのそれとは「違う」からです。

こうした経験から、同じ言葉を使ったり、同じ事象を見ても、違うことを意味することがある、ということを体感しました。しかし、それを嘆いても仕方がない。相手の見ているもの、知っていること、やってきたこと、考えてきたことを想像し、共通するところを見つけて、今から共に文脈を編める余地を探すようになりました。このような体験を通じ、コミュニティを作れることを学びました。

ちなみに、こうした子供の頃の経験と、社会人になってからの仕事を通じてまとめたコミュニティ形成のプロセスが「7Cモデル」です。

思いやりと調整力

「社会人として必要な資質は何ですか?」…就活、なんて言葉がなかった、ボクが社会人1年目の1996年に、OB訪問を受けた時によくいただいた質問です。

「社会人」と「必要な資質」は、OB訪問というシチュエーションから「働く時に持っているべきもの」と認識し、「思いやりと調整力」と答えていました。そう、違いを意識するための「思いやり」と、それを踏まえて事を成すための「調整力」です。あ、この問答こそ、正解・不正解はなく、答えは一つではない、典型ですね。

社会人1年目の日々は、上席からの指示や、お客様からの依頼をいただくたびに「なぜ、この人はこのようなことを、このタイミングで、このような表現で言うのか」という場面に多々、直面しました。

先方には、その場に関わり続けてきた時間(≒文脈)があり、そこに突然、新入社員のボクがやってきたにもかかわらず、今までと同じ質と量の成果を、同じスピードで出し続ける必要があります。

外資系企業の場合、明確なジョブディスクリプションがあり、プロセスが担務によってはマニュアル化されているなど「仕組み」や「システム」が整えられていて、その「仕組み」の意図を考えることはあっても、やり方は整っていることが多いかと思います。

しかし、ボクが入ったいわゆる日本企業は、それがあったようでなかった気がしていたのです(もちろん前提として、ボクの能力や理解度の低さもあったと思います)。

仕事は、その場で長い時間をかけて培われた「一定の規範」のもと、おおよそのやり方はマニュアルがありました。しかし、肝の部分は「口承伝達」でした。そもそもの仕事の要否、そのプロセス、業務の設計、自分への役割分担などが、判然としないことがありました。

そうした「モヤッ」としたものを感じるたびに質問し、確認してから臨んでいました。が、相手の意図と自分の認識が「違って」いることがありました。特に「りんご」のように、物理的にお互いの目の前における「有形」のものであれば良いのですが、仕事は「無形」のものだったので、なおさらです。

その度に理由を考えて行き着いたのが、冒頭に述べた「人によって見えているものが違う」という事実でした。上述の通り「社会人」になるまでの22年間も、そのようなことがなかったわけではありません。改めて考えて、気づきました。社会人は、ある意味「転校生」と同じだ、ということに。さらに学生時代以上に、一気に接する人が多様になり、さらに「立場」と「文脈」を背負って立つ人が増えました。

なので、まずはその人がどんなものを「背負って」いるのかを見通す「思いやり」が必要である、と気づきました。同時に、それを把握した上で、相手と自分の認識を共有するために、表現からタイミングまで、いろんな「調整」が必要であることも、より意識するようになりました。

こうした習慣は、コミュニティを立ち上げる時、動き出す時、広げる時、深める時などなど、いつでも誰かと何かする時には、呼吸するようにやれるように心がけています…が、難しいですね。

まとめ:問いを考える際に確認すること

恐縮ながら、話がかなり広がりました。
改めて、問いをいただいた時に、感謝した上で考えるポイントだけ、整理します。前提は「違う」ことを意識すること、です。

そもそも見ているものの確認(=対象の確認、言葉の定義)
なぜそのように見ているの確認(=質問の背景や意図の確認)
そもそも自分の考えの確認(=自分の①②の整理と返答方法の確認)

今回、このように考えるきっかけをくれたなつみっくす、そして講座受講生の皆さん、ありがとうございます!来週の最終回、ご一緒できるのを楽しみにしています!

また、この講座にご関心をお持ちの皆さん、ぜひ、下記フォームよりお問い合わせください。


ありがとうございます!頂いたサポートで、コミュニティ活動&幹事で知見を得て、また、共有します!