SOS、ならぬFOS
Flat、Open、Share…ボクがコミュニケーションを取る時に気をつけていることです。「FOS」はこの頭文字です。
これは経済的利害関係のある仕事的な場や、大学、サークル、地域などの非営利のコミュニティ的な関係でも当てはまります。ちなみにどの場でも、どんな関係でも、ボクが接し続けたい!と感じる方は「FOS」を実践されている方々です。
なお、コレはいずれも正しい・正しくない、という話ではなく、好き・嫌いの話です。そしてもちろん、例外もあります。
Flat
ボクにとってのFlatは、誰に対してもappreciate(感謝)とrespect(尊敬)の念を持って接すること、です。年齢や役職位、先輩後輩などは尊重しますが、縛らないし、縛られない、ということでもあります。心持ちはもちろん、言動と行動でそれをあらわすように心がけています。
人生の先輩に対しての年長者へのrespectは忘れません。でも、それだけで押し切られることはありませんし、押し切ることもありません。人生の後輩にもrespectを持って接します。また、立場も考慮しますが、先輩後輩、役職位の上下で、モノを決めることはありません。
Open
全体にオープンにする前に事前の調整があると、その後にスムーズに進むことがあります。しかし、ごちゃごちゃ調整するほどのことでもないことを、自分の自信のなさや進めたい方向に動かすために、オープンにしないのは、正しい・正しくない、ではなく、好き嫌いで言うと嫌いです。
Share
情報の非対称性を作ってコトを進めるやり方を、ボクは「知ってるか、知らないかクイズ方式」と名付けています。
かつてはこのやり方が有益だった時代もあります。しかし、今は違います。どこかから、共有されます。主宰するコミュラボでは「令和時代のADSL」として、共有=アウトプットを推奨しています。
また、経験の有無で非対称性を作るのも、今は有益ではない、と思います。なぜなら、その経験ができた時と今では、思考や行動の「前提」が違うからです。ということで、情報は共有、経験は経験談は共有するけど固執はしない、ようにしています。
SOSを出す時って
いろんなケース、いろんな理由があります。が、理由の一つは、この「FOS」が崩れた時、だったりしませんか?(もちろん、それだけじゃありません!)。
人間関係がフラットじゃない、情報がオープンにされていない、経験がシェアされていない…自分が複数の人と関わる際には、SOSを出す必要がないように「FOS」な在り方になっているかどうか、を気をつけるようにしています。みなさんがコミュニケーションを取る時に気をつけていること、ってなんですか??