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夢で逢えたら

なんかずっと思考がぐるぐるしている。反芻思考というらしい。ずっと暴走してる。今はひたすら頭の中で思いついた数を二進数に変換するなどしている。


勝手に止まらない。苦しい。
寝不足もあってか気持ち悪い。
勉強は嫌いじゃないが脳みそのエンジンがかかりっぱなしというのは何かと精神的にくるものがある。数字の海に沈みたい気分の時にはいいが、今は他のことを考えていたい。女の子のこととか。その方が遥かに有意義だと思う。


反芻思考には文章化が有効らしいので久しぶりに文章を書こうと思う(本当は紙に書くのがいいらしいが、めんどくさいので)。


最近研究室で報告書ばっか書いてるから、固い感じの文章になっちゃうと思うけど許して。前みたいにカジュアルな文章を書けるようになりたい。こんなこと言ったらキモイと思うけど、昔の自分の文章好きだ。特にくだらない夢の話とか、あんなのまた書けるようになりたい。

あれを書いてから大なり小なり出会いや別れを経験してきた。特に別れを経験した時は忘れないよう文章をしたためたいと思うが、別れた直後の文章なんて読めたもんじゃない。未練がましいのだ。気持ち悪い欲求に呑まれそうになる。そもそも「忘れたくない」という感情自体が未練がましい。忘れてもいいのだ。忘れて、たまに思い出すくらいでちょうどいいのだ。


なんでくだらない夢の話が好きなのか、読み返す度考えていた。俺は忘れていたのだ。多感な10代を長い間、人格形成に影響が出るほど一緒に過ごした人でもあっさり忘れてしまうのだ。そのくらいその人の思い出が薄れて、たまに夢で逢えるくらいが元恋人との関わり方として一番ちょうどいいのだ。別れてからもズルズル関係続いてるとかダサすぎる。大事な恋ほど綺麗に終わらせるべきである。


忘れてたまに思い出すくらいが、あの醜い未練がましさを抱えずに済む。一番純粋な気持ちで出逢える。夢の中で逢えたあの子には既に他の素敵な恋人がいた。俺はそれが堪らなく嬉しかった。心の底から幸せを純粋に願うことができる相手って、普通の人は沢山いるのかな。俺にはパッと思いつく限り居なかった。最近関わる人に「寂しい人だね」って言われるけど本当にそうだと思う。でも、幸せを願える人が俺にもいたってのが嬉しい。だからそれを教えてくれたあの文章が好きなのだ。


もう二度と会えない人なんて死ぬほどいるけど、多分時間が経てば綺麗にひとりずつ忘れてしまうけど、またいつか夢で逢えたらいいな。今は殺したいほど憎くても、不幸を望んでしまっていても、忘れて夢で逢えたら純粋に幸せを願えるようになれるかな。なれたらいいな。

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