距離感

昔褒められた優しさは
つけ込まれるだけの欠点にしかならん
まずね、「優しさ」は
そもそも金にはならないし

鼻で笑うぜ/CRYAMY

昔から優しい子だね、って言われて育ってきた。
顔も頭も才能も平凡。特に目立つ長所もなければ短所もない。そんな俺に与えられた唯一の褒め所だったんだろう。

ひねくれてると思うだろうか。でも考えて見てほしい。仲いい友達が自慢げに見せてきた恋人の写真が思ったより微妙だったりする。すると大抵の人は苦し紛れに「や、優しそうな人だね^^;」って言うだろう。このことから『優しい』って印象は『他に目立っていい所が無いですよ』って意味に置き換えられてしまう。

さらに言えば、『優しい』とは『その人にとって都合のいい人間』という意味にも置き換えられる。個人的な話だが気になっていた子にご飯を奢ったり何かプレゼントしたりする時『優しいね』って言われるとかなり冷める。それって俺がその子にとって利益を与えたから優しいって意味で、利益を与えない存在になると『優しくない』ってことになる。つか、普通に『ありがとう』でいいだろ。気安く俺の内面をジャッジしてくんな

男として生まれたからには舐められたくない。舐められるとは男として死活問題である。女からしたらチャちいプライドに見えるかもしれんし、これが通じない男がいたらソイツは男じゃねぇ。『コイツは頼み事嫌な顔せず聞いてくれそうだな』、『コイツは私に尽くしてくれそうだな』『コイツなら雑に扱っても許してくれるだろう』そんなん思われてたら生きていけない。誇り高き日本男児として腹を切るべきである。

とはいえ俺自身のことは優しい人間だなと思ってる。基本身内以外にしか優しくはしないつもりだが、特に害を与えてこない存在にもたまには優しくしたりする。大学入学からずっと一緒の気が通った友達に『優しい』って言われた時はドヤ顔で「ふふん、そうだろう」と言ってみたりする時もある。親しい身内なら許せるのだ。

一番ムカつくのが会って間もない人間に『優しそう笑』って言われんのが腹立つ。『優し"そう"』ってなんやねん。確証もないのに人の内面推測すんな。馬鹿が

レッテル効果という心理学用語を知っているか?
簡単に言えば頭良さそうと言われている人は頭良さそうな行動をするようになり、尽くしてくれそうというレッテルを貼れば尽くしてくれるようになる。優しそうと言えば優しい行動を取るようになる。不躾にも『優しそう』と親しくもない人にいう奴は相手に対して優しい行動を強制しようとしているという事だ。キモすぎる。

俺はというとそんな不躾なやつとは二度と関わりたくないし、優しい行動を求めてくるならその反対のことをする。天邪鬼なので求められることと反対のことをしたくなる。

話の落ちどころが分からなくなったのでそろそろ終えて寝ようかと思うが、最後にコレ見てるやつ
絶対他人に優しいとか言うなよ?感謝を伝えたいなありがとうと言え。奥ゆかしき日本魂を持っているなら適切な距離感で他人と関われ!

長々と話したが要は仲良くもないに他人のこと優しいっていう人間、最低だぞ?って話でした。以上!

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