この日常を続けるために
日本を変えたこの日がやってきた。
と、言っても僕は戦後の人間。
ぎりぎり祖父母が戦争を経験している。
幸いにして、ぼくが生きているということは、知っている範囲で戦死者はいない、ということだ。(祖父母の周りには確かにいる)
戦争と平和、なんて物心ついた時から当然考えさせられてきたことだけども、ある程度オトナになってまだピンとこないのも確かだ。ぼくたちは「戦争」を知らない。
映画とか番組で見ることはあっても、それは他人の体験やあくまでスクリーンやテレビの中の話だ。
そして、実際に世界では戦争状態の国は多い。
そして、それはやはり悲しい。
彼らの日常が、銃声や爆撃音である、ということは知っていても想像できない。
ぼくたちの日常の範囲内で他人の気持ちになって考える、ということは比較的可能なことかもしれないが、戦争ばかりは置き換えることができない。
そんなもどかしさがあったりしないだろうか。
戦争だけではない、災害だってそうかもしれない。
だけれども、ぼくたちは考えることをやめてはいけない。
想像することをやめてはいけない。
目をそらしてはいけない。
想うことをやめてはいけない。
忘れてはいけない。
この先何百年たっても、「あの戦争」が太平洋戦争でなければいけない。
いや、違う。
考えよう。
想像しよう。
見続けよう。
想い続けよう。
覚えていよう。
「やめてはいけない」ではなくて「この姿勢を持ち続ける」ために。
この日常が、平和であるということを証明するために。
昔作った動画で、今も健在のぼくの祖母りょうこさん。(当時88。今92。)
元気なうちに映像に残しておきたくて撮ったもの。
ちなみに祖母が当時を思い出して語った話のほとんどは、戦前戦中の女学生時代の楽しい思い出ばかり。得てして戦争の悲惨な話になるかと思いきや。
でも、結局これが、やはり平和の形だと思っている。
表現するものとして、何か遺しておかないとなと思い、書きました。