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1番、欲しいものは 在った


旦那さんと出会い、銀婚式を超えたので、26年?


その中で、私たちは10回ほど引越しをしている。




初めての部屋。    私は会社の寮に住んでいて、 旦那さんは実家にいた。        私の部屋に入り浸る事は難しいため、付き合いだして1ヶ月もせずに、部屋を借りようとなった。

当時、私の職場は西区のGMSで 月、火休みのシフトだったから、理容師の旦那さんとは休みは一緒だった。若い私たちの情熱はそれでも足りずに同棲に踏み切るのだった。

駐車場ありのワンルーム。 私の職場から歩いて10分ほど。旦那さんは車で20分ほど通勤する場所。住宅以外、近隣に何もないため、買い物も、どこかへ出かけるも車でなくては、ままならないから一緒でなくてはならない。学生が多く乗る小さな路線のJRが走っているだけの世界は二人のため・・・・な9畳ワンルーム。 家賃は格安で今なら、管理費と修繕積立費で消えてしまうであろう。お風呂とトイレは別だったけれど、キッチンも調理台はまな板が置けるだけ。

二十歳の私と22歳の旦那さんがお互いだけの為に過ごす小さな部屋。

学校卒業と同時に寮に入った私も、実家にいた旦那さんも家電を持っていなかったので、二人で選んで、揃えた小さなままごとのような生活。

急いで決めたので、部屋の吟味もせず、雪国で北向きの窓がひとつ、木造のアパートで、いまこちらに記しながら思い出したが、私の職場の休憩室でよく一緒になる少し年上の女性の方と、おしゃべりした時に「私の住んでいるアパート、1階空いているよ」と言われただけで決めた部屋だった!その方は、なんとお子様を元の御主人のもとへ置いて駆け落ちで彼氏とそのアパートの2階に住んでいた。


そこでは、蜜月と同時進行で修羅場なケンカの数々や旦那さん両親の大ゲンカで母をかくまう、という事もあった。 ドーハの悲劇でテレビにリモコンを投げたのもその部屋だ。若い私は晩御飯の買い物をするという妻コスプレのような気分で新婚のまねごとを味わったり、暗い部屋で除雪の時間も考慮して早起きしてお弁当をつくる、という、いまでもこの地に暮らす礎のようなこともそこではじめていた

まもなくして私たちは結婚する事になり、その部屋は退去。部屋が狭いから収納を開け放していたのだけれど、窓がひとつで、日の入らない部屋だったので引っ越す際、ちいさな食器棚を動かすと背面がカビていて私はショックで声が出なかった。初の結露。一年居なかったので落ち込んだ。

のちに、人生を共にする旦那さんと何もかも初めてな暮らしを経験し、結婚し子供を3人授かるとは思ってもいず彼氏の一人暮らしに転がり込んで、くらいの気持ちで借りた部屋だったが、小さなそのワンルームがすべての始まりとなる。お金がなくても炒飯作って一緒に食べたり、炊飯器のごはん全部をおにぎりにして、旦那さんに差し入れに行ったり、ケンカしても仲直りするタイミングを図ったり、一緒に居る為の丁度よい大きさだったように思う。

一番、付き合ってすぐのラブな時期に逃げも隠れもできないちいさな部屋で、気持ちを合わせて向き合って暮らして共に組み立てた時間。

その後、一戸建ての2階に親と。 分譲マンションに親と、など生活に変化がある都度、引っ越して暮らしに変化があったけれど、最初の部屋の事を忘れる事はないかもしれない。  退去の時に、不動産のお兄さんが申し訳なさそうな顔で、「ちなみに・・・・なぜ、こんな早くに・・・お引越しですか?」と伺ってきたのが今でも、笑えてくる。 「結婚するので」と笑って、得意げに言った若い自分よ・・・・恥ずい。 

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今は、やらしいですが、いい部屋ネットの大東建託さんのマンションへ引っ越してすぐ。片付いたところ。こちらのコンテストを開催されたのを見て、きっかけを頂き、顧みることができているご縁に感謝だ。        部屋は3つにカウンターキッチン、丁度良い広さのリビングとカーテンを閉めない寝室の窓からは月が見える。観葉植物がよく伸びる日当たりの申し分ない暖かいマンション。

銀婚式を越した私たちの住まいは、旦那さんのお店のそばで歩いて行ける場所で末の子の希望の中学のそば、という難題を不動産屋さんのお墨付きで見つけてもらった物件。

はじめて借りたあの部屋の経験を1とするなら、いまは8くらいまで進んできたかな。家族の息遣いが聞こえるように暮らせたら、と部屋を配置した引っ越しとなった。 


#はじめて借りたあの部屋





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GRACE Carmen ~かるめん
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