“本当に”帰ってきたヒトラー
8年程前,『帰ってきたヒトラー』という映画が話題になった.ベルリン中央の総統地下壕で死んだと思われたヒトラーが,目を覚ますと2014年のドイツに転生していたというところから物語は始まる.初めはコスプレコメディアンとして転生ヒトラーを扱っていたドイツ人も,彼の話術とカリスマ性に惹かれ,やがて……というわけだ.いや,そうだったと思う.なにせ観たのはかなり前だ.
同作は『帰ってきたムッソリーニ』などの派生作品が作られるほどヒットした.多くの人が色々な感想をもったと思う.だが,2014年という時期には見え得なかったこの映画の重要性が,この2023年においては見出せる.ヒトラーは“本当に”帰ってきたのだから.
もちろん,私はプーチンを彼になぞらえて批判するつもりなどは毛頭ない.そんな政治性に塗れた考察は腐る程ある.私がヒトラーの帰還を確信したのは,YouTubeにおいてである.
2016年,Paradox社によって人気ストラテジーゲームの最新作『Hearts of Iron Ⅳ』(Hoi4)が発売された.Hoi4でプレイヤーは好きな国を選択して第二次世界大戦を追体験する.陸海空軍はもちろん,建設,外交,兵站,諜報,そして国家方針を思い通りにいじくって,ありとあらゆることが実現可能だ.日本で大東亜共栄圏を完成したり,ソ連で世界を征服したり,あるいはチェコスロバキアでズデーテンラント割譲を拒否してドイツと戦ったり……,ここに挙げたのはほんの一部に過ぎない.
さて,ここからが本題だ.Hoi4は発売後,日本ではそこまで大きな人気があるわけではなかった.しかし,2018年の夏,某ゆっくり実況者がHoi4とストーリー仕立ての編集を組み合わせた「Hoi4物語風実況」というジャンルを開拓し,これが爆発的な人気を博したのだ.他のゆっくり実況者によって同じような動画が山のように作られ,同時にHoi4の知名度・人気も急上昇した.Hoi4には日本語版が存在せず有志による翻訳mod頼りだったのが,2022年には正式に日本語版が追加される程にまで,日本におけるHoi4プレイヤーの数は増加した.
同時期に,YouTube Japanではゆっくり解説動画の一大ブームが巻き起こっていた.到底日本語では手に入れられるはずのないマニアックな歴史知識が,霊夢と魔理沙の掛け合いの中で抵抗なく頭に入ってくる感覚は私も大好きだ.そのゆっくり解説動画のテーマとして,ヒトラー——あるいはナチスが台頭したのである.
物語風実況では,ナチスの面々だけでなく様々な歴史上人物が,小説の登場人物のように愉快に,しかし緻密に描かれる.ゆっくり解説では彼らに関する深い知識がわずか2,30分の動画を見るだけで手に入る.このほかにも,2ちゃんねるの歴史スレまとめ動画やリアルな人間によるナチス解説動画も2020年頃から爆発的に人気になった.極め付けは,第二次世界大戦に枢軸国が勝った世界を描いたHoi4のMod『The New Order』のリリースである.
こうした波を起こし,その波に乗っているのは世界の10代20代の男性である.彼らはYouTubeで膨大なナチスの知識を得,時にはSS将校をアイコンにしてみたり,ヒトラーに「アイドル」を歌わせてみたりして“遊ぶ”.そして彼の演説動画のコメントに「ナチスは悪だが,ヒトラーの演説は巧みだ」「戦争さえしなければヒトラーはドイツを救っていた」と書き込むのである.
私は,彼らがネオナチだとか,日本の右傾化の原因だとか,左翼的なしょうもないことを言いたいのではない.むしろナチズムを生理的に拒絶しない者の1人として警告するのである.今のYouTubeのように,「ナチス」と検索すると彼らを着飾った編集で面白おかしく扱っている時代は,40年代のドイツ並みに狂っている.ナチズムは,ヒトラーによると政治的思想ではなく宗教運動である.私を含め市井の人には理解できない,安易に白黒つけたり弄んだりしてはならない存在なのだ.
ヒトラーがシリアスに扱われない現代を見ると,彼が遺した予言を思い出す.
退廃した〈ナチス界隈〉が本当に彼の望んだ復活なのかは知らないが,少なくとも,我々の時代にヒトラーが「帰ってきた」のは確実であるようだ.
P.S. 「総統閣下シリーズ」については,かつては教養のある人々の余興的に愉しまれていた節があり,軽薄な現代の状況とは違うようにも思う.