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子どもの恋愛感情は「ホンモノ」か

現代において、子ども※1であっても「〇〇君が好き」「△△ちゃんがかわいい」といった感情を抱き”恋バナ”に花を咲かせることは珍しくない。しかしながら、本来こうした恋愛感情は子孫繁栄のトリガーである生殖願望※2(≒性交願望)に還元されるはずである。そうなると、第二次性徴を迎えていない、すなわち性交が困難※3である子どもが抱く恋愛感情を字面通り受け取っていいのか疑問が生まれる。ここではいくつかの見方を提示し、個々検討を加える。

①まったく別の感情説 / 友情説

 子どもの恋愛感情は大人のそれと違うまったく別のものである:原則生殖願望を基底とした大人の恋愛感情と、子どもが抱く「恋愛感情」はまったく異なるとする説。そうなると、一体その感情は何なのか、なぜ生じるのか、いつ大人の恋愛感情へ移行するのか、その要因は何か、といった疑問が湧いてくる。一つの仮説を示すならば、それは友情の延長上にあるということが言えよう。この説では子どもに生殖願望を認めないので、子どもは性を考慮しないで人間関係を創ることになる。同年代の人間との関わりで生まれる友好的な関係は、友情である。したがって、異性に抱く友情を子どもは「恋愛感情」と「表現」している、という主張だ。だが、一般に、男子が女子に抱く「恋愛感情」は庇護あるいは征服を内包し、女子が男子に抱くそれは慕情ないし包容を含むことを考えると、はたして友情の変形としての恋愛感情が正当かどうかには疑いが残る。

②社会の人工物説

 大人が創り出す恋愛コンテンツにより、その表層だけが受容されたことで生まれた感情である:現代にあって、恋愛コンテンツの浸透と進化は留まるところを知らない。クリエイターのターゲットは成熟した大人に限らず、自分がいかようにして生まれてきたのかすらわからない子どもにも向けられる。その過程で、子どもたちは大人(場合によっては10代後半)の人々が紡ぐラブ・ストーリーに一種のあこがれをもち、表層だけを真似るようになる、という主張である。「最近の子はマセてるから~」などと言う際に引き合いに出されるのは大体こういう子どもだろう。この主張に沿うと、子どもはそもそも何等の感情も抱いておらず、自らを「大人っぽく」見せる手段として恋愛ショーを演じているということになる。あるいは、なんらかの感情は抱いているにせよ、それは到底ホンモノの恋愛感情とは言えない、未熟で脆弱なものだとされる。この論をさらに純化していくと、子どもは大人の劣化コピーであり自立性をもたない、とする近代的な子ども像に行き着く。筆者個人としては、近代的な子ども像に懐疑的なので、子どもの恋愛感情が大人の真似事だとする説は受け入れ難い。

③生殖願望だけを抜いた感情説

 恋愛感情そのものはホンモノであるが、根底にある生殖願望はまだ発現していない:子どもは確実に恋愛感情を抱いているものの、それは生殖願望に起因するものではなく、純粋に異性への好意によるものである、という説である。おそらくこの考え方が最も一般的であると思われる。しかし、冒頭で述べた通り、恋愛感情の定義そのものが生殖のトリガー(もしくは、生殖へのインセンティブたる性的快楽へのトリガー)であるので、純粋な好意から出発する恋愛感情という語は自己矛盾を孕んでしまう。また、多くの恋愛感情が異性へと向かっている事実も説明できない。なぜ男子は女子に、女子は男子に好意を抱くのかを生殖願望を介さず語るのは、コウノトリが赤ちゃんを運んでくる世界でしか不可能だろう。

④隠された生殖願望説

 生殖願望は子どもも有しているが、本人の自覚はない:性徴を迎えていない子どもは、自らの恋愛感情の底に生殖願望があることに気づいていないだけ、という主張である。筆者の観点からすると、この説が最も現状を反映しているように思える。美女の裸を見て興奮するのは、何も成人男性の専売特許ではない。多かれ少なかれ、男子の子どもも美人には性的魅力を感じるのである。だが、子どもは自身の感情を明確に捉えることはできない。なぜならその参照元となる生殖器が十分発達していないからである。もちろんこの論理は女子にも通ずる。しかし、一般に男子の精通が中学生で発生するのに対し、女子の初潮が小学校高学年で発生することを考えると、女子は早くから生殖願望を自覚するということになるが、これには若干の疑問が残る。統計の罠を考慮しても男子の方が女子より自慰行為を早く多く行うのは明白だし、女子の生殖器が早く発達すること自体の意義が不明瞭だからである。そもそも、「生殖願望が比較的強い男子より少ない女子の方が生殖器の発達が早く、恋愛感情に親和的である」という事実がある以上、生殖器の完成が生殖願望の自覚、ひいては恋愛感情へとつながるというロジックは、一定の説得力があるもののさらなる検討は必須であると言える。

⑤ホンモノの恋愛感情説

 大人と変わらない、生殖を根本目的とした感情である:この最もラジカルな説では、子どもだろうと大人と変わらない恋愛感情、すなわち生殖を目的とした性愛感情を有しているとされる。一見ばかばかしく突拍子もない話のように思えるが、実はそうとも言い切れない。海外の事例では、子ども同士の性交や妊娠出産が一定数報告されている。とはいえ、そうした事例はあくまで少数の珍しいもので、大多数の子どもに当てはめることはできない。無垢に見える子どももその奥底には熱烈な生殖願望をもっているという世界観は、一部の人間にとっては歓迎すべきものなのかもしれないが、現実は得てして常識に収束していくものである。

以上、5つの考え方について検討を行った。あらゆるものの低年齢化が加速度的に進む現代を理解する一助になれば幸いである。

※1: ここでは、第二次性徴以前、すなわち14歳以前の人間とする
※2: 人間以外の99%の生物は子孫を残すことへのインセンティブとして設計された性交時の快楽とそれを補強する性愛を甘受しているが、一部のサルと人間はこれを利用し、快楽自体を増大させる発明を行ってきた(ex. 自慰、売春の一部、ポルノグラフィー、避妊)。もちろん、レズビアンやゲイに代表される生物学的に直接生殖が不可能な性的指向をもつ者もいる。よって、すべての恋愛感情が純粋に子孫繁栄を志向しているかは議論の余地があるし、それは子どもにも言える
※3: 実際には、性交自体は10歳前後から物理的には行えるし、妊娠出産も可能である。しかし、統計的に言って妊娠出産年齢はどれだけ早く見積もっても15歳頃であり、子どもと断言できる年齢ではない。子どもの年齢上限がどこに置かれるべきかは別の機会に論じたい

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