若さとお金はトレードオフ

わたしはお金を使うことがあまり得意でない。昔に比べてそれは緩和されたけれど、小さいとき、自分は恵まれた暮らしをしていたが「自分が自由に使っていいお金」というのは「自分が欲しがったもの」に比べて少なかったのだと思う。「欲しがればなんでも与えられる」家庭ではなかった。それが普通でそれに不満はなかった。だけど「欲しい」と思っても、言えば与えられたかもしれなくても、それを我慢することが多かった。与えられなかった、というよりもたぶん「欲しがり」だったのだと思う。それゆえに人よりも我慢の経験が多い。あまり多くはないお小遣いをきっちりお小遣い帳で管理する、そういう子供時代だった。大体、高校生になってバイトをするまでそんな考え方で、そんな日々だった。

じゃあ高校生になってバイトをしたら解決されたかというと、そうでもない。昔に比べて自由に使えるようになったけど、稼いだ分なくなるまで使う、ということはあまりなかった。稼いだ額も多くはなかったけれど、半分以上は貯金していたような覚えがある。「お金を自由に使いたい」と思いながらお金を使うことに罪悪感があった。本当に自分が欲しいものはこれなのか、すごくすごく悩んでは見送ることが多かった。あの時買っておけば、と後悔したことも少なくない。衝動買いが苦手だった。でも、倹約家だと言われれば、それでいいとする自分もいた。

今、大学生になって一人暮らしをする中で、自分で管理するお金が増え、少しはその窮屈さから解放されたように思う。それでもまだ節約に快感を覚え、消費に伴う罪悪感は完全になくなることはない。でも成人して、少し経ち、お金の大切さも去ることながら時間の大切さにも気付かされた。若さは有限で、有期限である。20代も10年後には終わっているのだ。若さに価値を見出すタイプでもなかったけれど、少し化粧に興味を持ち出して思う。このツイートが本当にその通りだと思う。

化粧や服だけではない。社会人になったらできないこと、学生のうちならできること、若いからできる失敗、そんなことがいっぱいあるのだと、社会人になった友人の悲痛なアドバイスから気付く。「お金なんてためても社会人になって働いてから得られる額と比べ物にならないんだから、今しかできないことに使った方が絶対いいよ」今しかできないこと、というと大それているが社会人になったらできないこと、と思えば色々想像もつく。それは高尚なことでなくても全然よくて、今しか着られない服、メイク、ゲーム、イベント、旅行、友人との遊び、サークル、なんでも良い。自分がしたいことなら。社会人になるまでの期間を考えると、高校生の時に思っていた大人への距離とは違う。あまりにももう目の前に迫りすぎている。

浪費は苦手だけれど、社会に出て、お金を満足に使う時間もなくなってから、「あのときああしていれば」とは思いたくない。少なくとも今想像ができる以上、後悔を少しでも減らしておきたい。昔に比べたら衝動も管理できる歳になったのだから、好きなことに後ろめたさを感じず、きっと将来できなくなるかもしれないことを、今したいことを、したい。

お金が稼げるようになったら、では遅いこともあるのだ。

お金と若さはトレードオフだ。

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