恥づかしい話し、素朴な疑問
たとえば、noteに投稿しようとしていて、ふいに、あることが気になり始めた。
それは、恥づかしながら、胸を張って言えるようなことではないのだ。
何かというと、僕自身の気づき方の不可思議さ。
こう書くと、ちょっと思わせぶりだけれど、こういうことがしばしば、というか毎回のようにある。
僕は、ブログの原稿は、必ず下書きをつくり、推敲した上で投稿する(せいぜいこの程度のものさえも)。ブログに限らず、初めて視覚化したもの、紙の上に定着したものがそのまま読めるというふうにはならないのです(ちょっと、残念な気がするけれど)。そうできればいいと思ったとしても、まずできない。そうやって、推敲した後でも、出来上がったものはたいして違わないのかもしれないけれど……。それは、ひとまず措く。
一応これでよしと思って、投稿した直後に見てみると、必ず直したくところがある。そして、投稿し直したら、すぐにまた書き換えたいところが見つかるのです。これって、どういうことだろう!?
注意力が散漫の故か、あるいは簡単に上書きして書き換えが可能という性質に甘えているのだろうか(これらのことは大いにありそう。要自戒)。だいたい、昔から仕事が早いわけではなかったし、行きつ戻りつしながら、ゆっくりとしか進むことができなかった。
一方、最近の学生たちの多くは、レポートにせよ演習のエスキスにせよ、書き直しを極端に(と言いたくなるほどに)嫌うようだけれど、これは一体どうしたことだろう。忙しすぎるのか、ただ面倒なだけなのか、はたまた、たいして好きじゃないのか。
ついでに言うなら、推敲するとたいてい何かを付け加えることになるわけだけれど、同時に失うものも少なからずあるに違いないのだ。例えば、単純さ、あるいは勢いといったもの。つい冗長になりがちだ。それでも、いいことの方が多いはず、と思いたいのだ。
ま、ただ間抜けなだけ、というのが本当のところかもしれませんが。みなさんは、どうなのだろうか。ああ、恥づかしい。