顧問と夕闇とヨックモック。
先日、仕事終わりに母校に行った。
今年に入って諸事情でちょこちょこ訪ねる機会が増えてきたが、私がいた頃から校舎も建て変わり、知らない先生方も増え、「懐かしいなぁ」と感じることはほとんどなくなった。
用事が終わった頃には、とっぷり日が暮れていた。
ふと、ある人が頭に思い浮かび、(まだいるかな?)と思いながら電話をかける。1回目のコールが鳴り終わる前に「はい。○○です」と、昔と変わらない声が聞こえてくる。
どこにいるかを確認し、今学校にいることを伝えると「おう。まだ学校にいるからおいで」と、返事が返ってきた。
教頭室の前に立ってコンコンとノックをすると、「どうぞー」と、あっけらかんとした声が聞こえる。部屋に入ると、その人は「おう」と久しぶりに会ったとは思えないような気やすさで片手を上げる。
学生時代の私の弓道部の顧問は、いつの間にやら教頭になっていたらしい。
学生時代を思い返せば、顧問と私は結構衝突していた。
真冬の朝5時に友人と学校に忍び込んで弓道場のど真ん前に顧問を模したどでかい雪だるまを作ったり、部活見学者に振舞っていた毎年恒例のぜんざいを「絶対に豚汁の方がいい!」と駄々を捏ね、忙しい最中車を出してもらって買い出しに行ったり…。
まぁまぁやらかしていたので、度々呆れた顔をしながら嗜められることがあった。悪戯だけでは止まらず、部内での恋愛や人間関係、大会の成績などでも生徒間で揉め、その度に顧問が仲裁に入ることもあった。
そんなことがありつつも、卒業後も数年に一度は部活の飲み会やら就職や出産報告やらで顔を合わせている。
あんなに反発していたのに、大人になってからは定期的に会いたくなると言うのも不思議な話だ。
つい最近、その弓道部が大きい大会で優勝したらしい。
頑張っている部員の子達に、と 手渡したのは「ヨックモック」。
手土産を選ぶのは大好き。
渡す相手によって、甘いものにするかしょっぱいものにするか、かわいい系にするかキレイめのもので攻めるか戦略を練るのが楽しくてたまらない。
だが、相手の人たちをよく知らない場合は「誰もが知っている『定番』」にするようにしている。だって「もう ちゃんとした大人」だと思われたいしね。
不特定多数の大人数が、いつどんな場面で食べるのかがわからないと、選べるお土産も限られてくる。すぐ食べる子もいれば、とりあえず持って帰る子もいるだろう。冷蔵品や冷凍品は、生ごみが出やすくなるので避けた方がいい。トレンドを押さえたユニークなものもいいだろうが、そういうのがあまり好きじゃない子だっているだろう。
こういう時、私が大体手に取るのが「ヨックモック」だ。母が親戚の方に「何を手土産に持たせればいいか」を悩んでいる時も、大体ヨックモックを勧める。あと、ちょっといい佃煮か海苔か米。
ヨックモックの代名詞とも言えるシガールはもちろん、ラングドシャまで全部美味しい。しかも、常温で保存できて賞味期限も長い。
「最強」じゃないか。
幼い頃、見知らぬ親族から定期的に送られてきたヨックモックは私にとって、気軽には食べられない「誰かのための少し特別なお菓子」なのだ。
紙袋を受け取った顧問はフッと笑い「お前もこういうことする歳になったのか」と、しみじみ呟く。えぇいい社会人ですから。
「射場でスイカ割ったり、矢道に生えた野生のサニーレタス育てて 弓道場で勝手にBBQしようとしてたお前が」と続く。
その節は本当にすみませんでした。
その後は、仕事や同級生の話をポツポツと話し、気づいた頃には夜の8時を回っていた。
教頭室を後にしようとした私の背中に「今度は、あいつらも誘って一緒に飲みにでも行こう」と、声をかけられた。
「あいつら」というのは、学生時代に一緒に悪さをした私の友人たちだろう。
かつての同級生達も、いまだに連絡を取り合い、年に一回は顔を合わせる「一生の友人」になった。
そう思える友がいて、いつでも訪ねられる場所があるということは幸せなことだと思う。
きっと近々また伺うことになる。
その時も、ワクワクしながら手土産を選ぶのだろう。
悪ガキだった私を「ちゃんとした大人」にしてくれる手土産を携えて。