親鸞聖人&DJというあわい
運営の末席として関わっていたイベントについての振り返りです。
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つながるための実験|奥田正弘@北海道伊達市のDJ坊さん|note
ミュージック寺スとは
お寺の本堂と敷地内にDJの鳴らす爆音が鳴り響く。
「本当にここはお寺なのか?」「お寺でこんなことやって大丈夫なのか?」
初めて訪れた人はそんな感想を抱くであろう「お寺の敷地でビアガーデン形式で音楽を楽しむ」イベント、それがミュージック寺スである。
2020年秋にたまたま参加した市主催のまちづくり会議で主催者の奥田さん(以下:おっくん)と知り合い、昨年から運営の末席としてお手伝いさせてもらっている。
寺スに限らず、婚活イベントだったりコンサートだったり、一見お寺とは思えないようなことをたくさんされている(同時に街の中心部にある古刹なのでお寺の本業ももちろん精力的にこなされている笑)方である。
おっくんには「お寺って本来は地域のハブになる存在だよね」という考えがあり、それに加えて普段お参りや葬儀などで地域の檀家さんを巡る中で人口減などの地域の問題点や課題を肌で感じる立場でもあることから「地域に対して仕掛け続けたい」という想いを強くもたれている。
今年の振り返り
学部4年で忙しい日々を送っていることもあり、事前準備に参加できたのは一部へのポスター配りぐらいだったが、その分当日は設営から撤収までじっくりと関わることができた。昨年度を経験しているからか設営、運営、撤収の流れは驚くほどスムーズにこなせたし、その余裕からか顔見知りの演者の方々と「最近どう?」「進路決まった!」みたいな話をたくさんできたのも嬉しかった。
昨年よりもキッチンカーの方々の出店も増えて、ずいぶんと賑やかな開催。
コロナの感染者が増え始めている時期ということもあり、来場してくださった人数こそ平年並みではあったが、「寺スにいかないと会えない」出会いがたくさん生まれた時間だった。
オンラインでしか交流したことのない遠方の地域おこしプレイヤーの方々や、最近伊達以外のリアルな場所で知り合った方々など、この場で会えて良かったと思える人がたくさんできた。
寺スを通して繋がったご縁が、今後別の場所でどのように花開いていくか本当に楽しみにしていて、実際ここ1年を振り返ると昨年度の寺スをきっかけに繋がった人、イベントがいくつもあって、寺スの威力を実感している。
だから、音楽に興味のない人でも軽食を楽しむくらいの軽い気持ちで夏祭りや盆踊り感覚でふらっと訪れてほしいし、コロナの状況次第ではあるけれど少しづつ緩い場の設計に移ってもいい段階なのかなと思い始めている。
初参加の昨年度、慣れないクラブミュージックの爆音にただただ圧倒されていた自分が、冗談半分とはいえ「来年は演者側で出ようかな笑」と思い始めているくらい、充実の1日だった。
あわいの時代
イベント終了後、毎週録画している「100分de名著」という番組の「太平記」特集をたまたま見ていて頷くものがあった。
太平記に描かれる南北朝~室町初期は公家や武士といった複数の価値観が新旧入り交じる「あわい」の時代らしい。「あわい」とは「人と人、時間と時間のあいだ」を意味する言葉である。
「あわい」の時代は、「先行きの見えない」と形容されがちな現代にもそのまま当てはまる。
そんな時代だからこそ、人と人との「あわい」を繋ぐ価値がますます高まっているのではないだろうか。
世間で「イノベーション」と呼ばれるようなものも、「あわい」の存在なくしては生まれてこない。
寺スの会場である紋別寺は真宗のお寺だが、親鸞聖人がもし令和に生きていたら、まあ当時はDJは存在しないだろうけど、この日本史上屈指の思想家は未来に対して同じようなことを仕掛けている気がするのだ。
本業である大学の研究でも、趣味の山でも、関わっている地域活動でも、
過去からの学びをかみしめた上で引き続き未来を見ていきたい。
遠い未来へのビジョンと、些末な日常のアジャイルとのバランスを大切にしながら打てる手を確実に打ち、全力で走り続けていきたい。
若いのだからもっと享楽的に生きられたらいいのかなと思うこともあるけれど、そうは言っていられないほど時代が急速に変化していることは確固たる事実である。その事実に一方的に悲観するのではなく、変化の時代に生きていることを幸せとは言わないまでも、生きがいだと思えるようにしていきたい。
想いはあるけど地域でくすぶっていると感じている人ー!!
一緒に何かやりませんか??
いつでもお待ちしております!!
最後に、寺スに関わっていただいた皆様、本当にありがとうございました。
また来年も宜しくお願いいたします。
そして、別の場所でもお会いできることを心から楽しみにしています。
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